マタイの福音書:全体目次マタイの福音書第28章第11節~第15節:番兵の報告

2015年12月04日

マタイの福音書第28章第16節~第20節:重要な任務

第28章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Great Commission

重要な任務


16 Then the eleven disciples left for Galilee, going to the mountain where Jesus had told them to go.

16 それから十一人の弟子たちはガリラヤへ向けて出発しました。イエスさまが以前彼らに行くようにと伝えた山に向かったのです。

17 When they saw him, they worshiped him -- but some of them doubted!

17 弟子たちがイエスさまを見たとき、彼らはイエスさまを拝みました。しかし中には疑った者もいたのです。

18 Jesus came and told his disciples, “I have been given all authority in heaven and on earth.

18 イエスさまは来て、弟子たちに言いました。「私には天と地のすべての権限が与えられています。

19 Therefore, go and make disciples of all the nations, baptizing them in the name of the Father and the Son and the Holy Spirit.

19 それゆえ行きなさい。そして父と息子と聖霊の名前によって洗礼を授けて、あらゆる国民の弟子を作りなさい。

20 Teach these new disciples to obey all the commands I have given you. And be sure of this: I am with you always, even to the end of the age.”

20 新しい弟子たちには、私があなた方に与えたすべての命令を守るように教えなさい。そして覚えておきなさい。私はこの時代の終わりまで、いつもあなた方と一緒にいます。」




ミニミニ解説

マタイの第28章、最終章の一番最後です。

今回の場所に対応する箇所は他の福音書には見つかりません。似た箇所が「マルコ」の最後にあります。

Mark 16:14-20(マルコの福音書第16章第14節~第20節)です。

「14 しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」 19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。アーメン。」([新改訳])。

これはマルコの「長いエンディング」の中に含まれる部分です。マルコには写本によって正確にはエンディングが三つあり、どうして異なるエンディングが存在するのか、研究と議論が行われています。その中で明らかにされているのは、第16章の第9節以降の用語や文体がそこまでの書き口とは明らかに異なっていて、展開のつながり方も不自然だし、書かれている内容も他の福音書の記述を寄せ集めた感じになっているということです。どうやら第9節以降は別の誰かがずっと後になってから書き加えたのだろう、と言われています。

ですので今回ばかりは、「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の式にあてはめることは適切ではなく、「マタイ」より先に存在した「マルコ」の最後に「後から書き加えられた部分」と、「マルコ」より後に書かれた「マタイ」の最後の部分に、やや似ている箇所が含まれている、ということになります。なんとなくつじつまの合う話ではあります。

さてユダを除く十一人の弟子たちはガリラヤへ戻り、あらかじめイエスさまから聞いていたと言う「山」へ向かいます。イエスさまが弟子たちにガリラヤの山を指し示した箇所というのは福音書の中には登場しません。が、聖書では神がかったイベントはいつも山で起こりますので、復活したイエスさまが弟子たちと会う場所として、山は適切な感じはします。弟子たちはそこで復活したイエスさまに出会います。ここには「しかし中には疑った者もいたのです。」と書かれていますが、復活したイエスさまと出会った弟子や女性の中に、イエスさまの復活を素直に受け止められず、混乱した行動を取る者がいたのです。この様子は他の福音書にも見られます。

イエスさまは弟子たちに言います。「私には天と地のすべての権限が与えられています。」 これは十字架の前と後でイエスさまの立ち位置が変わったことを要約した言葉でしょう。神さまから与えられたミッションを遂行する形で十字架にかかり、イエスさまは人類の罪をすべて背負ういけにえとして自分のいのちを捧げました。これを見定めた神さまがイエスさまを死者の中から復活させると、神さまはイエスさまに天と地のすべての権限を与えたのです。つまりイエスさまはこれで神さまと同じ位置に立たれ、神さまの意志をそのまま直接ご自身で実行できるようになったということです。ですから神さまを拝む者は同じようにイエスさまを拝まなければなりません。

イエスさまは続けます。「それゆえ行きなさい。そして父と息子と聖霊の名前によって洗礼を授けて、あらゆる国民の弟子を作りなさい。」 マルコでは第15節で「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と書かれていますが、マタイではこれが「あらゆる国民の弟子を作りなさい。」と書かれています。

「あらゆる国民」は「all the nations」で、これは[NLT]でも[KJV]でも同じです。「新英和中辞典」(研究社)には「nation」は「政府の下で共通の文化・言語などを有する国民」とした後、「類語」の解説で「country」が「国」の意味を表わす最も普通の語で「国土」を意味するのに対し、「nation」は国土よりその国民に重点を置く語であるとしています。つまりここは、すべての国のすべての国民をイエスさまの弟子にしなさいと言っているのです。これは「ユダヤ民族」の中に閉じていた旧約聖書から発して、新約聖書に書かれたイエスさまに関する信仰は、世界のすべての人に開かれた教えであることを表しています。大変、革新的な言葉です。

あらゆる国民を弟子にする方法としてここに書かれているのは、まず「それゆえ行きなさい」と書かれているように、まず世界のあらゆる国へと自分たちが出向いていき、そこで「父と息子と聖霊の名前によって洗礼を授ける」ということになります。「洗礼を授ける」「バプテスマを授ける」と言うのは「儀式」のことです。教会ではイエスさまに対する信仰を表明し、イエスさまに属する者となった人に「洗礼を授ける」「バプテスマを授ける」儀式を行います。たとえば牧師さんが、他の信者たちの見守る中で、「父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けます」と宣言して、その人を浴槽の水の中にザブリと水没させるような儀式を行います。このような儀式は、今回の部分も含めて、新約聖書に書かれている「洗礼」「バプテスマ」のあり方を踏襲して行っていることになっているのです。

たとえば「私はクリスチャンです」と言うと、「それではあなたは洗礼を受けたのですね」とか「あなたは教会に通っているのですね」と言われることがありますが、誤解いただきたくないのは、「洗礼」や「バプテスマ」と呼ばれる儀式や、教会へのメンバーシップが人をクリスチャンにするのではない、と言うことです。

上に書いたように、教会では「イエスさまに対する信仰を表明した人」に洗礼を授けるのですから、まず自分がひとりの人間として個人的に「イエスさまに対する信仰を表明する」という行為が先に立ちます。この信仰を表明した時点で、この人はクリスチャンになります。

イエスさまを信じることと、その後で洗礼を受けるかどうかは別の話ですし、イエスさまを信じることは教会に行っても行かなくてもできることですから、クリスチャンであることと教会に行くことも別の話です。教会は一般に、信者でない人がキリスト教と出会い、キリスト教を深く知ることのできる場所なので、教会を通じてクリスチャンになる人は多いですし、教会に通うクリスチャンも多いです。また教会でイエスさまに対する信仰を表明した人で、教会で洗礼を受ける人も多いと思います。「洗礼」や「バプテスマ」の儀式の形はキリスト教の宗派によってさまざまです。聖書のどの部分をどのように解釈して「洗礼」や「バプテスマ」の儀式に定めるかについては、たくさんの議論が行われているはずです。

イエスさまは続けます。「新しい弟子たちには、私があなた方に与えたすべての命令を守るように教えなさい。」 これは続く最後の句と併せてとても素敵な言葉ですが、大変なことです。イエスさまが教えたすべての命令を守るためには聖書を何度も繰り返し読む必要があるでしょう。それ自体はとても良いことです。が、そんな時間はとてもないと言う人には、マタイの第22章に聖書を要約した最も大切な二つの教えが書かれていましたからここに掲載しておきます。Matthew 22:34-40(マタイの福音書第22章第34節~第40節です。

「34 しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、いっしょに集まった。35 そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。 36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」 37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 38 これがたいせつな第一の戒めです。39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」([新改訳])。

神さまを全身全霊で愛すること、隣人を自分自身のように愛すること、この二つが実現できれば私たちは聖書の教えを実践できるのです。

そしてマタイの福音書を結ぶイエスさまの最後の言葉は「そして覚えておきなさい。私はこの時代の終わりまで、いつもあなた方と一緒にいます。」です。これはなんとも心強いイエスさまから私たちへの約束の言葉であり、「覚えておきなさい。」と書かれているのですから、私たちへの命令でもあるのです。






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