マタイの福音書第26章第31節~第35節:イエスさまがペテロの否定を予告するマタイの福音書第26章第1節~第13節:イエスさまを殺す計画、イエスさまがベタニヤで油を注がれる

2015年12月06日

マタイの福音書第26章第14節~第30節:ユダがイエスさまを裏切ることに合意する、最後の晩餐

第26章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Judas Agrees to Betray Jesus

ユダがイエスさまを裏切ることに合意する


14 Then Judas Iscariot, one of the twelve disciples, went to the leading priests

14 それから十二弟子のひとりのイスカリオテのユダが祭司長たちのところへ行き、

15 and asked, “How much will you pay me to betray Jesus to you?” And they gave him thirty pieces of silver.

15 たずねました。「イエスさまを裏切ってあなた方に引き渡したら私にいくらくれますか。」 そして祭司長たちはユダに銀貨三十枚を渡しました。

16 From that time on, Judas began looking for an opportunity to betray Jesus.

16 そのときからユダはイエスさまを裏切る機会を探し始めました。



The Last Supper

最後の晩餐


17 On the first day of the Festival of Unleavened Bread, the disciples came to Jesus and asked, “Where do you want us to prepare the Passover meal for you?”

17 種を入れないパンの祭りの一日目に、弟子たちがイエスさまのところに来てたずねました。「過越の食事の準備はどこですればよろしいでしょうか。」

18 “As you go into the city,” he told them, “you will see a certain man. Tell him, ‘The Teacher says: My time has come, and I will eat the Passover meal with my disciples at your house.’”

18 イエスさまは弟子たちに言いました。「都に入るとひとりの男が目に入る。彼に言いなさい。『先生が言っています。私の時が来た。私は過越の食事を弟子と共にあなたの家で食べよう、と。』」

19 So the disciples did as Jesus told them and prepared the Passover meal there.

19 それで弟子たちはイエスさまが話したようにして、そこに過越の食事の用意を整えました。

20 When it was evening, Jesus sat down at the table with the twelve disciples.

20 夕方になると、イエスさまは十二人の弟子と共にテーブルに着きました。

21 While they were eating, he said, “I tell you the truth, one of you will betray me.”

21 彼らが食事をしているとイエスさまが言いました。「あなた方に本当のことを言います。あなた方のうちひとりが私を裏切ります。」

22 Greatly distressed, each one asked in turn, “Am I the one, Lord?”

22 弟子たちは非常に悲しんで、それぞれが順番にたずねました。「主よ、それは私でしょうか。」

23 He replied, “One of you who has just eaten from this bowl with me will betray me.

23 イエスさまは答えました。「あなた方のひとり、私と共にちょうどこの鉢から食べた者が私を裏切ります。

24 For the Son of Man must die, as the Scriptures declared long ago. But how terrible it will be for the one who betrays him. It would be far better for that man if he had never been born!”

24 なぜなら人の子は死ななければなりません。遠い昔に聖書に宣言されたようにです。ですが人の子を裏切る人にとってはそれはどれほどひどいことか。その人にとっては生まれなかった方がはるかに良かったでしょう。」

25 Judas, the one who would betray him, also asked, “Rabbi, am I the one?”  And Jesus told him, “You have said it.”

25 イエスさまを裏切るユダもたずねました。「先生、それは私でしょうか。」 イエスさまはユダに言いました。「あなたがそれを言いました。」

26 As they were eating, Jesus took some bread and blessed it. Then he broke it in pieces and gave it to the disciples, saying, “Take this and eat it, for this is my body.”

26 彼らが食事をしているときにイエスさまはパンを取り、それを祝福しました。それからイエスさまはパンを細かく裂き、次のように言いながら弟子たちに渡しました。「これを取って食べなさい。なぜならこれは私の身体だからです。」

27 And he took a cup of wine and gave thanks to God for it. He gave it to them and said, “Each of you drink from it,

27 それからイエスさまはぶどう酒の杯を取り、神さまに感謝をささげました。イエスさまはそれを弟子たちに渡して言いました。「あなた方ひとりひとりが杯から飲みなさい。

28 for this is my blood, which confirms the covenant between God and his people. It is poured out as a sacrifice to forgive the sins of many.

28 なぜならこれは私の血だからです。神さまと、神さまの人間たちの間の契約を固める血です。それは多くの人の罪を赦すための犠牲として流されるのです。

29 Mark my words -- I will not drink wine again until the day I drink it new with you in my Father’s Kingdom.”

29 私の言うことをよく注意して聞きなさい。私の父の王国であなた方と新しく飲む日が来るまでは、私は二度とぶどう酒を飲むことはありません。」

30 Then they sang a hymn and went out to the Mount of Olives.

30 それから彼らは賛美歌を歌い、オリーブ山へと出て行きました。




ミニミニ解説

マタイの第26章です。

前回の第26章の冒頭では、祭司長たちと長老たちが大祭司カヤパの屋敷で会合を開いて、どうすればイエスさまを秘密裏に捕らえて殺害できるかを相談しているのを読みました。今回はそれに対応する形でイエスさまの十二弟子のひとりのユダが、イエスさまを裏切ることに決めて、祭司長たちのところへ出向いたところから話が始まっています。

今回と同じ部分の話はすべての福音書に登場します。順番に見てみましょう。まず「マルコ」は、Mark 14:10-26(マルコの福音書第14章第10節~第26節)です。

「10 ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。11 彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。12 種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」 13 そこで、イエスは、弟子のうちふたりを送って、こう言われた。「都に入りなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい。14 そして、その人が入って行く家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる』と言いなさい。15 するとその主人が自分で、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。」 16 弟子たちが出かけて行って、都に入ると、まさしくイエスの言われたとおりであった。それで、彼らはそこで過越の食事の用意をした。17 夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。18 そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」 19 弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう」とかわるがわるイエスに言いだした。20 イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに鉢に浸している者です。21 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」 22 それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」 23 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。24 イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。25 まことに、あなたがたに告げます。神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」 26 そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。」([新改訳])。

「ルカ」はLuke 22:1-23(ルカの福音書第22章第1節~第23節)です。

「1 さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。2 祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。3 さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。4 ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。5 彼らは喜んで、ユダに金をやる約束をした。6 ユダは承知した。そして群衆のいないときにイエスを彼らに引き渡そうと機会をねらっていた。7 さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。8 イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。「わたしたちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」 9 彼らはイエスに言った。「どこに準備しましょうか。」 10 イエスは言われた。「町に入ると、水がめを運んでいる男に会うから、その人が入る家にまでついて行きなさい。11 そして、その家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる』と言いなさい。12 すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」 13 彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。14 さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。15 イエスは言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。16 あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」 17 そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに分けて飲みなさい。18 あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」 19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」 20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。21 しかし、見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。22 人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。」 23 そこで弟子たちは、そんなことをしようとしている者は、いったいこの中のだれなのかと、互いに議論をし始めた。」([新改訳])。

「ヨハネ」は最後の晩餐の場面の途中を引用します。John 13:21-30(ヨハネの福音書第13章第21節~第30節)です。

「21 イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」 22 弟子たちは、だれのことを言われたのか、わからずに当惑して、互いに顔を見合わせていた。23 弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。24 そこで、シモン・ペテロが彼に合図をして言った。「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」 25 その弟子は、イエスの右側で席に着いたまま、イエスに言った。「主よ。それはだれですか。」 26 イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。27 彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」 28 席に着いている者で、イエスが何のためにユダにそう言われたのか知っている者は、だれもなかった。29 ユダが金入れを持っていたので、イエスが彼に、「祭りのために入用の物を買え」と言われたのだとか、または、貧しい人々に何か施しをするように言われたのだとか思った者も中にはいた。30 ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。」([新改訳])。

いつものように「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の式にあてはめると、この部分がほぼ「マルコ」から採用されていることがわかります。

イエスさまを裏切ったユダはイエスさまが多くの弟子たちの中から特別に直接選んだ十二人の弟子(「使徒」と呼ばれる)の一人です。ユダは英語で「Judas Iscariot」、日本語では「イスカリオテのユダ」と呼ばれています。この「イスカリオテ」が何を意味するかについては諸説あるようですが、もっとも一般的に言われているのは、この言葉を「イス」と「カリオテ」に分けて「カリオテという土地出身の人」と解釈します。「カリオテ」と言う土地はイスラエル南部にあったと考えられていて、と言うことは十二人の弟子の中でユダだけが南部のユダヤ地方出身者ということになります(残りの十一人は北部のガリラヤ地方出身です)。

ユダは第15節で祭司長たちに「イエスさまを裏切ってあなた方に引き渡したら私にいくらくれますか。」とたずねています。祭司長たちと長老たちはイエスさまを秘密裏に捕らえて殺す計画を立てていたのですから、ユダの申し出はまさに渡りに船です。ユダがイエスさまを裏切ろうと決めた理由は福音書の中では謎のままです。ユダは第15節で「私にいくらくれますか。」とたずねていますから、ここからはお金欲しさにイエスさまを裏切ったように読めるのですが、マルコとルカではユダのイエスさまを引き渡すという申し入れに対して、祭司長たちの側から「金をやろう」と約束しています。マルコとルカが同様の展開なので、おそらくマタイはオリジナルの伝承に編集を加え、何らかの理由でユダの裏切りの目的を直接的にお金に結びつけたのだと思います。

続いて最後の晩餐の場面に移ります。「ヨハネ」の最後に「すでに夜であった」とあるように、ここからイエスさまの十字架前の最後の夜がスタートします。

「過越(すぎこし)の祭り」はユダヤ暦の第一の月(私たちの暦で3~4月頃)の14日に毎年行われる祭事です。ユダヤ人は一日を日没から日没で考えます。それで14日の昼間の間に過越の食事用の、いけにえの子羊を殺して準備を済ませておきます。日没後、つまりユダヤ人の暦で15日になってから、イエスさまは弟子たちとともに最後の晩餐に臨みました。それからオリーブ山へ移動し、そこで逮捕され、エルサレム市内へと連行され、深夜から明け方までの間に大祭司邸で予審が行われ、夜が明けてから正式に寺院でサンヘドリンによる判決が下されます。それからローマ総督ピラトによる裁判を経て十字架刑、そして日没前にあわただしく埋葬という一日になります。十字架の翌日が安息日の土曜日なので、この15日は金曜日ということになります。

「過越の祭り」については前回説明しました。ユダヤ人がエジプトで奴隷になっていた時代の話です。神さまの厄災を避けるための目印に戸口に塗る「羊の血」を得るために、「過越」が起こる夜が来る前にユダヤ人たちはモーゼの指示どおりに子羊を殺し、後でその子羊をやはりモーゼの指示どおりに料理して食べました。このイベントを思い出すための過越の祭りでは、同じようにしてみなで子羊を食べるのです。イエスさまは晩餐の準備のために弟子をエルサレムへ使いに出します。エルサレムは周囲を城塞に囲まれた都市で、中に入るためには何カ所かに設けられた城門をくぐる必要があります。使いに出された弟子が城塞の中へ入っていくと物事は不思議とイエスさまが言ったとおりに起こります。マルコやルカで詳細に語られた「水がめを運んでいる男」についての不思議な成り行きはマタイではやや省略されています。

第21節、食事の途中でイエスさまから衝撃の発言が飛び出します。「あなた方に本当のことを言います。あなた方のうちひとりが私を裏切ります。」 この発言で弟子たちは騒然となります。弟子たちは一人一人が「それは私のことでしょうか。」とイエスさまにきいています。これに対するイエスさまの答えは第23節、「あなた方のひとり、私と共にちょうどこの鉢から食べた者が私を裏切ります。」でした。

パンを鉢のソースに浸して食べるのはユダヤの習慣だったようです。また同じソースの鉢をテーブルを共にする人たちで分かち合うのも普通のことだったようです(さらに言うとホストや主賓と同じ鉢を使うことは名誉なことだったようです)。ですので「私と共にちょうどこの鉢から食べた者」とイエスさまに言われたところで、その場に居合わせた弟子のほぼ全員がイエスさまと同じ鉢のソースを使う栄誉に預かったでしょうから、それが実際に誰であるかを特定することはできません。

ヨハネの福音書にはこのときの様子がもう少し詳しく書いてあります。それが誰であるかを探るようにペテロから指示を受けた弟子の一人がイエスさまに「それは誰ですか」とたずねると、イエスさまはそれは「自分がパンを鉢のソースに浸して渡す人だ」と言い、その弟子の目の前でソースに浸したパンをユダに渡すのです。でもこの様子を見ていたのはその弟子一人だけだったのかも知れません。

第24節、イエスさまはその人について語ります。「ですが人の子を裏切る人にとってはそれはどれほどひどいことか。その人にとっては生まれなかった方がはるかに良かったでしょう。」 この表現は[新改訳]のマルコの第21節にある「しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」([新改訳])に比べるとユダに同情的に感じさせます。

実はこれは英文の[KJV]と[NLT]にニュアンスの違いを読み取ることができます。「マルコ」も「マタイ」も[KJV]と[NLT]はほぼ同じ表現になっています。[KJV]は「but woe unto that man by whom the Son of man is betrayed! it had been good for that man if he had not been born.」となっていて、これを翻訳すると[新改訳]の「しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」と同じような文意になります。このように[KJV]と[新改訳]は往々にしていつも対訳の関係があるように読み取ることができます。

一方、[NLT]ではここの部分は「But how terrible it will be for the one who betrays him. It would be far better for that man if he had never been born!」となっているので、私はこれを「ですが人の子を裏切る人にとってはそれはどれほどひどいことか。その人にとっては生まれなかった方がはるかに良かったでしょう。」と訳しました。つまり読み易さを追求して「意訳」を行う[NLT]が文意をややユダに同情的に感じさせているのです。

第25節のやりとり、ユダがイエスさまに「先生、それは私でしょうか。」とたずねると、イエスさまがユダに「あなたがそれを言いました。」という場面はマタイだけに登場しています。「あなたがそれを言いました。」と言うのは、「それは私でしょうか。」つまり「あなたを裏切るのは私でしょうか。」という問いに対する答えです。イエスさまは「あなたを裏切る」と言っているのは私ではなくてあなたですよ、と言っているのだと思います。マタイはユダの裏切りの理由をお金に特定する編集を加えたり、イエスさまに「あなたを裏切る」と言っているのは私ではなくてあなたですよと言わせるような編集を加えて、裏切り者であるユダの非を明白にしているかのようです。

最後にイエスさまが食事の途中で語った「なぞの言葉」についてです。過越の食事では一番最初に家長がパンを手にとって神さまに祝福の祈りを唱え、そのパンを割いてテーブルにいる人たちに与えるようですので、第26節でイエスさまがパンを取り、それを祝福して、それからパンを細かく裂いて弟子たちに渡すのは普通のことだと思います。ところがそのときに言った「これを取って食べなさい。なぜならこれは私の身体だからです。」は不思議な言葉です。同じようにイエスさまはぶどう酒の杯を取り、神さまに感謝の祈りをささげてから、「あなた方ひとりひとりが杯から飲みなさい。なぜならこれは私の血だからです。神さまと、神さまの人間たちの間の契約を固める血です。それは多くの人の罪を赦すための犠牲として流されるのです。」と言います。

旧約聖書では生きものの「血」は寺院での儀式に「清め」の目的で何度も繰り返し登場します。また過越の目印にユダヤ人の家の戸口に塗られたのも「子羊の血」です。ですから「血」が「神さまと人間の間で結ばれる契約のしるし」であることについては、ユダヤ人には何の疑問もないだろうと思うのです。しかし杯に注がれたぶどう酒を指して「これは私の血です。」「あなた方ひとりひとりが同じ杯からお飲みなさい。」と言われると話が違ってきます。ユダヤ人はやはり旧約聖書に書かれた律法で血を飲むことを禁じられているからです。たとえばDeuteronomy 12:23-25(申命記第12章23節~第25節)には「23 ただ、血は絶対に食べてはならない。血はいのちだからである。肉とともにいのちを食べてはならない。24 血を食べてはならない。それを水のように地面に注ぎ出さなければならない。25 血を食べてはならない。あなたも、後の子孫もしあわせになるためである。あなたは主が正しいと見られることを行なわなければならない。」([新改訳])と書かれています。

しかも今回の「血」は旧約聖書に書かれた子羊などの動物の血ではなく、尊敬して敬う師である人間のイエスさまの血です。杯を共にする前に「これを私の血として飲め」と言われたら、律法を重んじるユダヤ人にはおいそれと飲めるものではありません。弟子たちはこのイエスさまの言葉を強い印象を持って心に刻んだことでしょう。このときには弟子たちにはこの言葉の意味はわかりません。人類のいけにえとして死ぬイエスさま、人類の身代わりになって血を流すイエスさま、その血を受けるものだけが神さまの目に叶うという福音の意味が、ようやく弟子たちにわかるのは十字架刑の後で死から復活したイエスさまに会って後のことなのです。

一行は食事を終えるとエルサレム市内の家を後にして、市の南の城門からエルサレムの城壁の外に出て市の東側に広がるオリーブ山へと向かいます。


下の地図は最後の晩餐の日のイエスさまの経路です。上の俯瞰図は『Holman Bible Atlas』から、下のエルサレムの地図は『New Living Translation: Life Application Study Bible』からです。矢印はすべて私が付けています。

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