マタイの福音書第24章第32節~第51節:イエスさまが未来を予告する(続き)マタイの福音書:第24章

2015年12月08日

マタイの福音書第24章第1節~第31節:イエスさまが未来を予告する

第24章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Foretells the Future

イエスさまが未来を予告する


1 As Jesus was leaving the Temple grounds, his disciples pointed out to him the various Temple buildings.

1 イエスさまが寺院の構内から出ようとしているとき、弟子たちがイエスさまに寺院の建物をさし示しました。

2 But he responded, “Do you see all these buildings? I tell you the truth, they will be completely demolished. Not one stone will be left on top of another!”

2 しかしイエスさまは答えて言いました。「あなた方にはこれらの建物すべてが見えますか。あなた方に本当のことを言います。建物は完全に破壊されるのです。石のかけらひとつでさえ、他の石の上に積まれたまま残ることはありません。」

3 Later, Jesus sat on the Mount of Olives. His disciples came to him privately and said, “Tell us, when will all this happen? What sign will signal your return and the end of the world?”

3 後でイエスさまはオリーブ山で座っていました。弟子たちは密かにイエスさまのところへ来て言いました。「私たちに話してください。それらのことはみないつ起こるのですか。どのような前兆があなたの再来と世の中の終わりの兆しとなるのですか。」

4 Jesus told them, “Don’t let anyone mislead you,

4 イエスさまは弟子たちに話しました。「誰にもあなた方を欺かせてはいけません。

5 for many will come in my name, claiming, ‘I am the Messiah.’ They will deceive many.

5 なぜなら『私が救世主だ』と言って、私の名を名のる者がたくさん出て来るのです。その人たちが多くの人をだまします。

6 And you will hear of wars and threats of wars, but don’t panic. Yes, these things must take place, but the end won’t follow immediately.

6 そしてあなた方は戦争のことや、戦争の兆候について耳にしますが、慌ててはいけません。そうです。これらのことは起こらなければならないのです。ですがすぐその後に終わりが来るのではありません。

7 Nation will go to war against nation, and kingdom against kingdom. There will be famines and earthquakes in many parts of the world.

7 民族は民族に敵対し、王国は王国に敵対して戦争になります。世の中のたくさんの場所で食糧不足と地震が起こります。

8 But all this is only the first of the birth pains, with more to come.

8 しかしこれはすべて産みの苦しみのほんの最初なのです。もっとたくさん後から来るのです。

9 “Then you will be arrested, persecuted, and killed. You will be hated all over the world because you are my followers.

9 それからあなた方は逮捕され、迫害され、殺されます。あなた方は私の信者であることで世界中で憎まれるのです。

10 And many will turn away from me and betray and hate each other.

10 そしてたくさんの人たちが私から離れ、互いを裏切り憎しみ合うのです。

11 And many false prophets will appear and will deceive many people.

11 たくさんのにせ預言者が現れて、多くの人々をだまします。

12 Sin will be rampant everywhere, and the love of many will grow cold.

12 罪悪がそこら中にはびこり、たくさんの人たちの愛が冷たくなります。

13 But the one who endures to the end will be saved.

13 しかし最後まで耐え忍ぶ人は救われます。

14 And the Good News about the Kingdom will be preached throughout the whole world, so that all nations will hear it; and then the end will come.

14 そして王国についての良い知らせが世の中全体に伝えられて、すべての国民がそれを耳にします。それから終わりが来るのです。

15 “The day is coming when you will see what Daniel the prophet spoke about -- the sacrilegious object that causes desecration standing in the Holy Place.” (Reader, pay attention!)

15 預言者ダニエルが語したことをあなた方が目撃する日が来るのです。つまり神聖の冒涜を引き起こす、あの神聖を汚すものが聖なる場所に立つ姿です。(読者は注目するように!)

16 “Then those in Judea must flee to the hills.

16 そうしたらユダヤにいる人々は山へ逃げなければなりません。

17 A person out on the deck of a roof must not go down into the house to pack.

17 屋上に出ている者は荷造りのために家へ入ろうと階下へ降りてはいけません。

18 A person out in the field must not return even to get a coat.

18 畑に出ている者は上着を取るためであっても戻ってはいけません。

19 How terrible it will be for pregnant women and for nursing mothers in those days.

19 その日には妊娠をしている女性や授乳をしている母親には大変つらいことになるでしょう。

20 And pray that your flight will not be in winter or on the Sabbath.

20 そしてあなた方の脱出が冬や安息日にならないように祈りなさい。

21 For there will be greater anguish than at any time since the world began. And it will never be so great again.

21 なぜなら世の中が始まったときから今までのどんなときよりも激しい苦難があるからです。そしてそれほど大変なことは二度とありません。

22 In fact, unless that time of calamity is shortened, not a single person will survive. But it will be shortened for the sake of God’s chosen ones.

22 実際のところ、その惨禍の時期が短くされなければ誰ひとりとして生き残れないでしょう。しかし神さまの選ばれた者たちのために、その時期は短くされます。

23 “Then if anyone tells you, ‘Look, here is the Messiah,’ or ‘There he is,’ don’t believe it.

23 そのとき誰かがあなた方に『見なさい。ここに救世主がいる』とか、『あそこにいる』と言ったとしても信じてはいけません。

24 For false messiahs and false prophets will rise up and perform great signs and wonders so as to deceive, if possible, even God’s chosen ones.

24 なぜなら偽物の救世主や偽物の預言者たちが立ち上がり、可能ならば神さまの選ばれた者たちさえもだまそうと、偉大なしるしや不思議なことを見せるのです。

25 See, I have warned you about this ahead of time.

25 いいですか。私はあなた方に前もって警告しました。

26 “So if someone tells you, ‘Look, the Messiah is out in the desert,’ don’t bother to go and look. Or, ‘Look, he is hiding here,’ don’t believe it!

26 だからもし誰かがあなた方に『見なさい。救世主が荒野にいる』と言っても、出かけて見に行くようなことはしてはいけません。あるいは『みなさい。救世主がここに隠れている』と言っても信じてはいけません。

27 For as the lightning flashes in the east and shines to the west, so it will be when the Son of Man comes.

27 なぜなら稲妻が東で光って西へ輝き渡るように、人の子の来るときにはそのようになるからです。

28 Just as the gathering of vultures shows there is a carcass nearby, so these signs indicate that the end is near.

28 はげたかが集まっていれば近くに死体があることを示すように、これらの前兆は終わりが近いことを示しているのです。

29 “Immediately after the anguish of those days, the sun will be darkened, the moon will give no light, the stars will fall from the sky, and the powers in the heavens will be shaken.

29 これらの日々の苦難のすぐ後に引き続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、宇宙の力が揺さぶられるのです。

30 And then at last, the sign that the Son of Man is coming will appear in the heavens, and there will be deep mourning among all the peoples of the earth. And they will see the Son of Man coming on the clouds of heaven with power and great glory.

30 それからとうとう人の子が来る前兆が空に出現します。そして地上のすべての人々が深く嘆き悲しみます。そして人々は、人の子が力と偉大なる栄光とともに天の雲に乗って来るのを目にするのです。

31 And he will send out his angels with the mighty blast of a trumpet, and they will gather his chosen ones from all over the world -- from the farthest ends of the earth and heaven.

31 それから人の子はトランペットの力強い一吹きで天使たちを送り出し、天使たちは人の子が選んだ人たちを世界中から集めます。地と天の最も遠く離れたところから。




ミニミニ解説

マタイの福音書第24章です。第24章は全体がイエスさまによる「未来の予告」の話になっています。

イエスさまは逮捕されて十字架にかけられる前の一週間、毎日エルサレムの寺院を訪れて人々に話をしていましたが、未来の予告の話が始まるきっかけは、ある日の夕刻近くのことでしょうか、イエスさまの一行が寺院を去ろうとするところで、弟子たちが寺院の建物を指し示したことでした。当時の寺院は建築マニアとして知られるヘロデ大王が30年以上もかけて増改築を続けてきた壮大な寺院でした。これはイエスさまの時代から500年ほど前にエズラなどをリーダーにして小規模に再建されたものを基礎にして行われて来た壮大な建築プロジェクトだったようで、作業はヘロデ大王の死後も継続して続けられて結局20BC~AD64までの80年以上をかけたのです。皮肉なことに、この一大プロジェクトの成果はAD70年のローマ帝国軍によるエルサレム攻撃で完全に粉砕されてしまいます。これは歴史上の大きな損失だと思います。

まず第1節~第14節部分と同じ記述はマルコとルカに見つかります。マルコはMark 13:1-13(マルコの福音書第13章第1節~第13節)です。

「1 イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」 2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」 3 イエスがオリーブ山で宮に向かってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに質問した。4 「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」 5 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。6 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。7 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。9 だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。10 こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。11 彼らに捕らえられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。12 また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。13 また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」([新改訳])。

ルカはLuke 21:5-19(ルカの福音書第21章第5節~第19節)です。

「5 宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。するとイエスはこう言われた。6 「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」 7 彼らは、イエスに質問して言った。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」 8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私がそれだ』とか『時は近づいた』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。9 戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。」 10 それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、11 大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。12 しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。13 それはあなたがたのあかしをする機会となります。14 それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。15 どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。16 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。19 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、ここは「マルコ」からの採用と言うことになります。

巨大で荘厳な建物をほめる弟子たちに対してイエスさまは「建物は完全に破壊されるのです。石のかけらひとつでさえ他の石の上に積まれたまま残ることはありません。」と寺院が破壊されることを予告しました。オリジナルの「マルコ」が記述されたのは西暦55~65年頃とされ、これは70年のエルサレム陥落と寺院の破壊が起こる前の話ですから、本当の意味で予言/予告になっていました。「石のかけらひとつでさえ他の石の上に積まれたまま残ることはない」の部分は、ローマ帝国軍が寺院に火を放ったことで寺院の内部に使われていた金の装飾が熱で溶け落ちて石の隙間に流れ込んでしまい、この膨大な量の金を回収するためにローマ軍の兵士は石をひとつずつ動かして作業するはめになったことを指して言っているのだとも言われています。マタイが記述された時期については、この西暦70年の前であるという説と後であるという説があるようです。たとえ後であったとしてもエルサレムが破壊されて火が放たれ、町を追われて生活の基盤を失うような切迫した状況は続いていたはずで、人々はこれから自分たちに何が起こるのか、恐れながら生活していたはずです。

マルコではイエスさまに質問をしたのはペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレの四人、つまり二組の兄弟がイエスさまに質問したことになっていますが、マタイでは具体的な名前は省略されています。弟子たちは「どのような前兆があなたの再来と世の中の終わりの兆しとなるのですか。」とかなり具体的な質問を発しますが、これはオリジナルのマルコやルカではシンプルに「これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」となっていて、「イエスさまの再来」であるとか「世の中の終わり」という言葉がマタイによって加えられていることがわかります。いずれどこかのタイミングで一度天に戻ったイエスさまが再来することと(「イエスさまの再来」)、やがて最終的には世の中の終わりが来ること(「終末論」)の考え方は、今日の聖書の世界観の根幹をなす部分です。マルコの後発となるマタイの中で、当時の人々が伝えられていた世界観が形を成していく様子がよくわかります。

イエスさまは「前兆」について話し始めます。第4節~第5節には「誰にもあなた方を欺かせてはいけません。 なぜなら『私が救世主だ』と言って私の名を名のる者がたくさん出て来るのです。その人たちが多くの人をだまします。」と書かれています。これが実際に起こった出来事であることは、たとえばイエスさまが復活して天に戻られた後の使徒の伝道活動の様子を書いている「Acts(使徒の働き)」の中から読むことができます。

たとえばActs 5:35-39(使徒の働き第5章第35節~第39節)は使徒のペテロが逮捕された場面ですが、このときサンヘドリンでファリサイ派に属するガマリエル(この人はパウロがファリサイ派に所属していたときのパウロの先生だった人です)が議会に向かって次のように言っています。「35 それから、議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。36 というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。37 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。」([新改訳])。ここに登場する「チゥダ」と「ガリラヤ人ユダ」などが、きっと自分こそがイスラエルの救世主だと言うような発言をして人々を扇動して反乱を引き起こしたのだろうと想像できます。他にもイエスさまが十字架にかけられる前にイエスさまと引き換えに釈放するかを議論した「バラバ」もそうでしょう。イエスさまの十字架の頃から、熱心党などに代表される急進派が活発に動き、武装蜂起でローマ帝国からの独立を勝ち取ろうとする運動は国家全体に拡大していったのです。世の中はイスラエル対ローマ帝国の全面戦争の様相を呈して行きました。

そんな戦乱の世の中です。第6節にあるように人々は「戦争のことや、戦争の兆候について耳にします。」 そしてついに民族と民族が敵対し、王国と王国が戦争状態となるのです。ここにはさらに「世の中のたくさんの場所で食糧不足と地震が起こります。」と書かれています。この頃に飢饉がたくさんあったことはやはり「Acts(使徒の働き)」の中にも、歴史資料にも書かれています。地震などの自然災害についても、たとえばイタリアのヴェスヴィウス火山が噴火して火砕流と土石流がポンペイ市などを埋没させたのは西暦79年の出来事です。

ところが第8節には「 しかしこれはすべて産みの苦しみのほんの最初なのです。もっとたくさん後から来るのです。」と恐ろしい予告が行われます。それは第9節~第10節にある「 それからあなた方は逮捕され、迫害され、殺されます。あなた方は私の信者であることで世界中で憎まれるのです。そしてたくさんの人たちが私から離れ、互いを裏切り憎しみ合うのです。」という出来事です。「Acts(使徒の働き)」を読むとイエスさまの十字架からしばらくの間はイエスさまの信者たちは普段と変わらずユダヤ人の会堂に集うことができたようですのに、やがてクリスチャンはユダヤ人からもローマ帝国からも迫害されるようになるのです。

マルコとルカではこの後に、迫害を恐れずに逆にそれはイエスさまの福音を人々に伝えるチャンスだと考えなさいとのイエスさまの言葉が続きますが、マタイではその部分は省略され、いきなり第13節で「しかし最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」の言葉で結ばれます。この句はクリスチャンの間で大きな議論となったようです。果たして「最後まで堪え忍ぶ」ことが「救い」、つまり天国の神さまの元へ行く条件なのか、では最後まで堪え忍べなかった人はいったいどうなってしまうのか、というような議論です。ここの部分はイエスさまが十字架の前に弟子たちに話した「終わりの予告」の言葉に重ねて、ついに現実となった迫害に苦しむクリスチャンの実情を盛り込んで、クリスチャンに宛てた「励まし」のメッセージと解釈すれば納得がいきます。


ここまで、第1節~第14節は西暦70年の出来事、つまりローマ帝国とイスラエルが戦争状態となり、ついに70年にエルサレムが陥落し、ローマ軍の兵士によって寺院に火が放たれて破壊されたユダヤ人にとって悲痛の出来事を中心に、その前後でクリスチャンが味わう苦難や混乱について述べた後で、最後にクリスチャンを元気づけるようなメッセージで結ばれました。ところがイエスさまの語る未来予告の内容は第15節から様相が変わり、「終わりの日」に何が起こるかを語る「終末論(eschatology)」の雰囲気になっていきます。

第15節~第31節の部分とほぼ同じ記述はマルコとルカに見つかります。マルコは前回の続きでMark 13:14-27(マルコの福音書第13章第14節~第27節)です。

「14 『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように。)ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。15 屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。16 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。17 だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。18 ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。19 その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。20 そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。21 そのとき、あなたがたに、『そら、キリストがここにいる』とか、『ほら、あそこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。22 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。23 だから、気をつけていなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。24 だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、25 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。26 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。27 そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。」([新改訳])。

ルカもやはり前回の続きで、Luke 21:20-27(ルカの福音書第21章第20節~第27節)です。

「20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都に入ってはいけません。22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。23 その日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。25 そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、26 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、ここは「マルコ」からのほぼ忠実な採用と言うことがわかりますが、ルカは後半分の雰囲気が少し異なります。

第15節には、「預言者ダニエルが語したことをあなた方が目撃する日が来る」、そしてそれは「あの神聖を汚すものが聖なる場所に立つ姿です」と書かれています。 預言者ダニエルが話したこととは、恐らくDaniel 8:13(ダニエル書第8章第13節)の「私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」」([新改訳])の部分のことだと思われます。 ダニエル書の第8章は預言者ダニエルが見た幻のひとつを記述した章です。それは羊やヤギの戦いの様子として描かれるのですが、章の最後の方になると、それが将来にどのようにしてローマ帝国が興り、ユダヤ民族を苦しめるようになるかの歴史を模しているのだよと天使のガブリエルが種明かしして明かしてくれているようです。そしてその過程で「あの荒らす者」が、「聖所と軍勢」を踏みにじるのです。

「聖所」とはエルサレムの寺院の最深部にある分厚いカーテンに囲まれた禁断の場所で、ユダヤ人の中でもただひとり大祭司だけが年に一回だけ入ることを許された聖域の中の聖域です。 西暦70年にローマ帝国軍は寺院に踏み込んで火を放ったのですから、異邦人のローマ人が聖域に踏み込んだことが「あの神聖を汚すものが聖なる場所に立つ姿」なのかも知れません。

ダニエル書には「荒らす忌むべき者」がこの後にも出てきます。Daniel 9:25-27(ダニエル書第9章第25節~第27節)には次のように書かれています。

「25 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」」([新改訳])。

ここに書かれた「エルサレムを再建」とは、かつて栄華を極めたイスラエルが南北朝に分裂し、最終的に周辺諸国の侵入に敗れてしまったこと、そして南朝のユダからバビロニアに連れ去られていたユダヤ人たちが、それから70年後にエルサレムへ戻ることを許されて、そこでエズラたちをリーダーとして町と寺院を再建したときのことを指しているように読めます。 そこから七週、六十二週と時が経ちますが、どうやらこれは世界史に引き直すと「週」の中の「一日」を「一年」に置き換えて解釈できるようです(つまり一週間を七年と読み解く)。そしてここでも「来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する」という寺院の破壊が預言されていて、ここではその後で「荒らす忌むべき者」が出現して、その者の上についに絶滅がふりかかっています。

ダニエル書のこれらの場所に書かれている「荒らす忌むべき者」が、どうやら今回マタイに登場した聖なる場所に立つ「あの神聖を汚すもの」であろうことは私たちにもわかります。また異邦人が寺院の禁断の聖域に立つという冒涜は、実は紀元前168年にシリアの王がエルサレムの神殿に立ち入って異邦の神の祭壇を築いた事件を指すとも言われますし、西暦70年のローマ軍によるエルサレム侵攻であるとも言われているようです。さらにこれらの部分は「Revelation(ヨハネの黙示録)」と合わせて読むと、実はこの「荒らす忌むべき者」が、この世の終わりに現れる「反キリスト者」(Anti-Christ)のことを指して言っているようにも読めます。それはこの世の終わりに起こる光(神さま)と闇(サタン)の戦いの終焉とそれに続く最後の裁きについての預言なのです。

旧約から新約に至る聖書の中では同じようなイベントが何度も何度も繰り返し起こります。そして先に起こったイベントは後から起こるイベントの「型」(antitype)、つまり前兆としての仮の姿と解釈されているのです。ですのでダニエル書やマルコ、マタイ、ルカが記述する「あの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つ」場面は、紀元前168年の事件の繰り返しとして、西暦70年に再び起こった出来事であり、それは恐らくこれから私たちの将来に起こる「この世の終わり」の出来事の前兆(「型」)になっているのです。

イエスさまの警告はローマ帝国軍がエルサレムの寺院に踏み込むような事態になったら、とにかく大慌てで非難すべきだとしています。それが「ユダヤにいる人々は山へ逃げなければなりません。」、「屋上に出ている者は荷造りのために家へ入ろうと階下へ降りてはいけません。」、「畑に出ている者は上着を取るためであっても戻ってはいけません。」として書かれています。 ちなみに二つ目の「屋上」の話は当時のユダヤ人の住居が家の外側に屋根へ通じる階段がついた構造だったので、逃げるために階段を駈け降りても、ついでに家の中に入って荷造りなどしないで、とにかく身体ひとつで良いから一目散に逃げなさい、と言っているのです。

そんな緊迫した状況なのですから、「妊娠をしている女性や授乳をしている母親には大変つらいことになるでしょう」し、「脱出が冬や安息日にならないように祈る」べきなのです。冬にはヨルダン川が増水しますので、川を渡って東へ逃げようとする人には脱出の妨げになるかも知れません。その苦痛は「世の中が始まったときから今までのどんなときよりも激しい苦難」であり、「その惨禍の時期が短くされなければ誰ひとりとして生き残れない」ほどなのです。しかし神さまは「選ばれた者たち」を救うために苦難の時期を短くしてくださいます。

この「選ばれた者たち」は第22節では「God’s chosen ones」だったものが、第31節では「his chosen ones」となっていて、「his」が指すのは「人の子(Son of Man)」、つまりイエスさまです。 今回の部分だけでも、前半が神さまが選んだユダヤ人のことを言っているように読めるのが、最後の部分になるとイエスさまが選んだクリスチャンのことを言っているように読めます。「終わりの日」に起こる厄災がユダヤ人にではなくてクリスチャンに対して起こるのだとすると、クリスチャンが誰ひとりとして生き延びられないような災難は歴史上ですでに実現したでしょうか。クリスチャンに対する迫害はたくさんの史実がありますが、世界中に散らばったクリスチャンが「誰ひとりとして生き延びられないような」イベントはまだ起こっていないと解釈できるのかも知れません。そういう意味でもここに書かれている「終わりの日」が1世紀のことなのか、これから私たちの将来に起こることなのか、だんだんどちらかわからなくなっていきます。

「終わりの日」の前兆として「偽物の救世主」や「偽物の預言者」が何人も出現し、偉大なしるしや不思議なことをして見せて、あわよくば「神さまの選ばれた者たち」さえもだまそうとします。だから「救世主がいるよ」と言っても見に行ってはいけないのです。

そしていよいよ次の予兆が描かれる第27節から、話は「人の子が来るとき」に移ります。「人の子」とはDaniel 7:13-14(ダニエル書第7章第13節~第14節)に「13 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」([新改訳])と書かれた部分に登場する「人の子」のことで、福音書の中ではイエスさまが自分を呼ぶときに好んで用いた呼称なのです。今回の部分にも第30節に「人の子が力と偉大なる栄光とともに天の雲に乗って来る」と書かれているように、人の子が来るとき、つまりイエスさまが地上に再来するときにはダニエル書の預言を成就するために「雲に乗って来る」のです。

そして第27節には、その人の子が来るときは「稲妻が東で光って西へ輝き渡るよう」であると書かれています。これの意味するところは何なのでしょうか。ここの記述はマルコにはなかったのですが、ルカでは他の箇所で見つかります。Luke 17:20-24(ルカの福音書第17章第20節~第24節)です。

「20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」 22 イエスは弟子たちに言われた。「人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。23 人々が『こちらだ』とか、『あちらだ』とか言っても行ってはなりません。あとを追いかけてはなりません。24 いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。」([新改訳])。

この稲妻が東から西へ輝き渡るようなイエスさまの再来の様子の描写はマタイとルカに共通であることから、これはイエスさまの語録集である「Q資料」からの採用と考えられます。ルカではそのときの話の展開を読むことができます。ここでイエスさまがファリサイ派の質問に答えて言っているのは、ファリサイ派が「神の国」が目に見える形で来ると信じているのに対して、イエスさまは「神の国はあなたがたのただ中にある」と言っています。

この自分の中にある「神の国」とは、私たちが神さまの存在を信じ、強く意識することで、心の中までもを見通す神さまを自分がどれほどガッカリさせて来ているかをよく知り、大変申し訳ないことをしてきたと認識した上で、それにも関わらずわざわざ自分のような者に差し伸べられた救いの計画がどれほどあり得ない、ありがたい話なのかをかみしめて、信仰を表明してその日から神さまを向いて生きることで、そうやってまず私たちの内部から始まる「神の国」があると言うことを言っています。これは決して思い込みなどではなくて、ある日神さまを知り(この「知る」という状態が不思議な体験だと思うのですが)信じ始めると、そこから始まる毎日はまるで自分が実際に神さまのいる天国に至ったのと同じように、神さまの存在と守りと導きを強く感じることができて、自分のことよりも神さまの意図に沿って生きようとすればするほど、有り余るほどの祝福が降り注ぐのを感じることができるのです。これはクリスチャンが共有する実感だと思います。

ですが「神の国」はクリスチャンの心の中から始まるだけの話ではなくて、人の子はある日実際に来ることが予告されているのです。十字架から復活して天に戻ったイエスさまが、もう一度地上に戻る日が到来します。でも人々が「こちらだ」「あちらだ」と言っても追いかけてはいけないのです。なぜならイエスさまの再来は「いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くよう」であるからです。これは「稲妻が東から西へ輝き渡るように」、イエスさまの再来は誰の目にも明らかだと言おうとしているのだとの解釈を言う人もいますし、私たちは日常稲妻を予期して待つようなことをしませんから、稲妻がまったく予期しないときに突然発生するようにイエスさまの再来を予期することに意味はないのだ、という解釈をいう人もいます。この「予期不能」のたとえ話は福音書にたくさん登場しますから、後者の方が正しいのかも知れません。ただ稲妻は一度発生すると大きな光りや音を伴って空を渡って人々を震え上がらせますから、そういう予測不能な状態と、誰の目にも明らかな驚くほどのアピールを合わせて言っているのかも知れない、という話をする人もいます。

第28節の「はげたかと死体」の話もやはりルカの他の場所に見つかります。Luke 17:37(ルカの福音書第17章第37節)です。「弟子たちは答えて言った。「主よ。どこでですか。」主は言われた。「死体のある所、そこに、はげたかも集まります。」」([新改訳])。つまりここもイエスさまの語録集とされる「Q資料」からの採用です。

第29節には「これらの日々の苦難のすぐ後に引き続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、宇宙の力が揺さぶられる」とあります。これは難解です。終わりの日に起こる天変地異の予告でしょうか。「Revelation(ヨハネの黙示録)」にはこのようなイベントが次々と順番に起こる様が予告されています。もしかするとこれは日食や月食が起こることを言っているのかも知れません。

実は似たような預言は旧約聖書にも見つかるのです。Isaiah 13:9~10(イザヤ書第13章第9節~第10節)には「9 見よ。主の日が来る。残酷な日だ。憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪人たちをそこから根絶やしにする。10 天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。」([新改訳])とあります。ですからイエスさまの口からこういう天変地異の預言の言葉が出て来ると、聖書に通じたユダヤ人にはある意味ピンと来るのかも知れません。預言書の中で親しんだ「終わりの日」「主の日」の予告の言葉との符合が見つかるからです。

さらにこの天変地異には「星は天から落ち、宇宙の力が揺さぶられる」と言う事態が加わります。「星が天から落ち」とは流星群とか隕石が降り注ぐことを指すのかも知れませんが、「宇宙の力が揺さぶられる」は実際に何が起こるのか想像もつきません。上空で「宇宙の力が揺さぶられる」ような何かが見えるのでしょうか。たとえばオーロラのような異常な発光現象であるとか。

そして第30節では「それからとうとう人の子が来る前兆が空に出現します。」とあり、そして「地上のすべての人々が深く嘆き悲しみます。」 それから「人々は人の子が力と偉大なる栄光とともに天の雲に乗って来るのを目にする」のです。なんとイエスさまが現れる予兆が空に出現するのを見て(果たしてどんな予兆なのでしょうか)、「地上のすべての人々が深く嘆き悲しむ」のです。クリスチャンでない人たちにとってはイエスさまが現れることは深い嘆きと悲しみの出来事なのでしょうか。あるいはクリスチャンでない人たちが「深い嘆きと悲しみ」を感なければならない理由が、すでにそのときまでに生じているのかも知れません。これについても「Revelation(ヨハネの黙示録)」に語られる「終末論」の中の、最後の裁きへのステップを感じさせるものがあります。

第31節、地上に戻ったイエスさまは「トランペットの力強い一吹きで天使たちを送り出し」ます。そして送り出された「天使たちは人の子が選んだ人たちを世界中から集める」のです。そのときには地上のクリスチャンたちは天使によってイエスさまの元へ集められるようです。







english1982 at 22:00│マタイの福音書 
マタイの福音書第24章第32節~第51節:イエスさまが未来を予告する(続き)マタイの福音書:第24章