マタイの福音書第22章第34節~第40節:もっとも重要な掟マタイの福音書第22章第15節~第22節:シーザーへの税金

2015年12月10日

マタイの福音書第22章第23節~第33節:復活に関する議論

第22章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Discussion about Resurrection

復活に関する議論


23 That same day Jesus was approached by some Sadducees -- religious leaders who say there is no resurrection from the dead. They posed this question:

23 同じ日にイエスさまのところへサドカイ派の人たちが近づいて来ました。サドカイ派は死からの復活はないと言っている指導者たちです。彼らはこの質問を持ち出しました。

24 “Teacher, Moses said, ‘If a man dies without children, his brother should marry the widow and have a child who will carry on the brother’s name.’

24 「先生、モーゼは言っています。『もしある男が子供を残さずに死んだなら、その男の弟が未亡人と結婚して子供を持ち、その子供が兄の名前を保つ。』と。

25 Well, suppose there were seven brothers. The oldest one married and then died without children, so his brother married the widow.

25 そこで兄弟が七人いたと想定してください。長男が結婚して子供を残さずに死にました。そこで弟が未亡人と結婚しました。

26 But the second brother also died, and the third brother married her. This continued with all seven of them.

26 ところが次男もやはり死に、三男が未亡人と結婚しました。これが七人全員に続いたのです。

27 Last of all, the woman also died.

27 そして最後に、その女も死にました。

28 So tell us, whose wife will she be in the resurrection? For all seven were married to her.”

28 そこで私たちに教えてください。復活のときには、その女は誰の妻になるのですか。なぜなら七人全員がその女と結婚したのです。」

29 Jesus replied, “Your mistake is that you don’t know the Scriptures, and you don’t know the power of God.

29 イエスさまは答えました。「あなた方の間違いはあなた方は聖書を知らないし、あなた方は神さまの力も知らないことです。

30 For when the dead rise, they will neither marry nor be given in marriage. In this respect they will be like the angels in heaven.

30 なぜなら死者が復活するときには人は結婚することも嫁にやられることもないからです。この点では人は天国の天使たちに似ています。

31 “But now, as to whether there will be a resurrection of the dead -- haven’t you ever read about this in the Scriptures? Long after Abraham, Isaac, and Jacob had died, God said,

31 それよりも、死者の復活があるかどうかについては、あなた方は聖書の中でこれを読んだことがないのですか。アブラハムとイサクとヤコブが死んだずっと後で、神さまは言いました。

32 ‘I am the God of Abraham, the God of Isaac, and the God of Jacob.’ So he is the God of the living, not the dead.”

32 『私はアブラハムの神であり、イサクの神であり、ヤコブの神です。』と。つまり神さまは生きている者の神さまであり、死者の神さまではありません。」

33 When the crowds heard him, they were astounded at his teaching.

33 群衆はイエスさまの話を聞いて、イエスさまの教えに驚きました。




ミニミニ解説

マタイの福音書第22章です。

イエスさまは十字架にかけられる前の一週間、毎日寺院へ通い、そこで人々に教えていました。イエスさまが祭司長たちと長老たちに話した三つのたとえ話に続いて、四つの問答が書かれています。

最初の問答は「シーザーへの税金」でした。今回は「死者の復活」についての問答です。

同じ話は「マルコ」と「ルカ」に登場します。マルコは前回の続きでMark 12:18-27(マルコの福音書第12章第18節~第27節)です。

「18 また、復活はないと主張していたサドカイ人たちが、イエスのところに来て、質問した。19 「先生。モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、兄が死んで妻をあとに残し、しかも子がない場合には、その弟はその女を妻にして、兄のための子をもうけなければならない。』 20 さて、七人の兄弟がいました。長男が妻をめとりましたが、子を残さないで死にました。21 そこで次男がその女を妻にしたところ、やはり子を残さずに死にました。三男も同様でした。22 こうして、七人とも子を残しませんでした。最後に、女も死にました。23 復活の際、彼らがよみがえるとき、その女はだれの妻なのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのですが。」 24 イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。25 人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。26 それに、死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の個所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。27 神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。あなたがたはたいへんな思い違いをしています。」([新改訳])。

「ルカ」もやはり前回の続きでLuke 20:27-40(ルカの福音書第20章第27節~第40節)です。

「27 ところが、復活があることを否定するサドカイ人のある者たちが、イエスのところに来て、質問して、28 こう言った。「先生。モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、ある人の兄が妻をめとって死に、しかも子がなかった場合は、その弟はその女を妻にして、兄のための子をもうけなければならない。』 29 ところで、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子どもがなくて死にました。30 次男も、31 三男もその女をめとり、七人とも同じようにして、子どもを残さずに死にました。32 あとで、その女も死にました。33 すると復活の際、その女はだれの妻になるでしょうか。七人ともその女を妻としたのですが。」 34 イエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、35 次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。37 それに、死人がよみがえることについては、モーセも柴の個所で、主を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、このことを示しました。38 神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」 39 律法学者のうちのある者たちが答えて、「先生。りっぱなお答えです」と言った。40 彼らはもうそれ以上何も質問する勇気がなかった。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、これは「マルコ」からの採用と言うことになります。

前回のファリサイ派とヘロデの支持者に続き、今回イエスさまに近づいてきたのはサドカイ派です。サドカイ派は当時の政治的、宗教的な諸派の一つで、ユダヤの最高議決機関のサンヘドリンにも議席を持っていました。サドカイ派の構成は祭司を中心とした裕福な人たちで、ファリサイ派が宗教的な色合いを強く持っていたのに対し、サドカイ派は政治的な色合いが強い結社のようです。

サドカイ派もファリサイ派同様に聖書(=旧約聖書)を信じていましたが、ファリサイ派が聖書全体(律法も預言書も歴史書も文学も)に加えて、口頭で伝承されてきた慣習法にも聖書と同等の価値を与えて重んじていたのに対し、サドカイ派は旧約聖書を構成する39冊の本のうち「モーゼ五書」と呼ばれる、旧約聖書の最初の五つの律法書だけを信じていました。それは「Genesis(創世記)」「Exodus(出エジプト記)」「Levitecus(レビ記)」「Numbers(民数記)」「Deuteronomy(申命記)」の五書です。またサドカイ派は「死者の復活」を信じないことで知られています。たとえば新約聖書の「Acts(「使徒の働き」)」はイエスさまの十字架死~復活の後でどのように初期の伝道活動が行われたかを記述している本ですが、第23章では使徒のパウロが逮捕されてサンヘドリンの前へ連れ出されます(これはつまり国会の前で申し開きをさせられているのと同じことです)。このときパウロはわざと死者の復活について声高に叫んでファリサイ派とサドカイ派の間に口論を生じさせ、議会を混乱に陥れてローマ帝国に介入させ、それで難を逃れています。

今回のサドカイ派のイエスさまに対する質問も、「死者の復活」とモーゼの律法が矛盾していることを指摘してイエスさまを窮地に追い込もうと画策しているのです。サドカイ派が聖書から引用した箇所は、Deuteronomy 25:5-6(申命記第25章第5節~第6節)です。「5 兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。その夫の兄弟がその女のところに、入り、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。6 そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。」([新改訳])。これは第6節に書かれているように家系や血筋を重んじるユダヤ民族が、男子の名に基づく血筋を途絶えさせないようにと意図して作られた律法のようです。サドカイ派は律法のこの部分と「死者の復活」が両立するなら、今回のケースの様な状況では死者の復活が起こったときに困ったことになるのではないか、と言うのです。

これに対するイエスさまの答えは「死者が復活するときには人は結婚することも嫁にやられることもないからです。この点では人は天国の天使たちに似ています。」でした。イエスさまによると、どうやら男女の「結婚」は、地上に住む人間にだけに当てはまるように神さまが用意したもののようです。そもそも男女が「結婚」をして子孫を残す、というのは「死」を前提にした話です。もし天国に暮らす人たちが永遠に生きるのであれば、結婚も子孫を残すための生殖も的外れということになるのかも知れません。

さらにイエスさまは死者の復活があることを、サドカイ派が信じるモーゼ五書のうち、「Exodus(出エジプト記)」からの引用で証明します。これは旧約聖書のヒーローであるモーゼが神さまと初めて出会う有名な場面です。神さまは柴の中に燃える炎の姿で現れます。遠くから見ると確かに柴が燃えているのに炎がいつまでも燃え尽きないのです。モーゼが不思議に思って近づいていくと、モーゼに神さまが語りかけます。Exodus 3:4-6(出エジプト記第3章第4節~第6節)です。「4 主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります」と答えた。5 神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。6 また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。」([新改訳])。

この最後の部分、「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」は、[NLT]では「I am the God of your father -- the God of Abraham, the God of Isaac, and the God of Jacob.」と現在形で書かれています。神さまはこの時点でとうの昔に死んでいるはずのアブラハム、イサク、ヤコブの三人があたかも生きている人物のように現在形で語りかけているのです。逆に言えば「私はかつてアブラハムやイサクやヤコブが信じた神である。」という具合に、過去形で言って当然のところなのに神さまはそのようには言わなかったということです。

人々はイエスさまの回答に驚きます。誰でも知っている有名な箇所なのに、そんな解釈をいままでに聞いたことがなかったからです。






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