マタイの福音書:第22章マタイの福音書第21章第28節~第32節:二人の息子のたとえ話

2015年12月11日

マタイの福音書第21章第33節~第46節:邪悪な農夫のたとえ話

第21章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Parable of the Evil Farmers

邪悪な農夫のたとえ話


33 “Now listen to another story. A certain landowner planted a vineyard, built a wall around it, dug a pit for pressing out the grape juice, and built a lookout tower. Then he leased the vineyard to tenant farmers and moved to another country.

33 さてもうひとつの話を聞きなさい。ある地主がぶどう園を作り、周囲に塀を作って、ぶどうジュースをしぼる穴を掘り、見張りの塔を建てました。地主はそのぶどう園を借地人の農夫に貸して、他の国へ移動しました。

34 At the time of the grape harvest, he sent his servants to collect his share of the crop.

34 ぶどうの収穫の時期に、地主は作物の取り分を徴収するために自分の使用人を送りました。

35 But the farmers grabbed his servants, beat one, killed one, and stoned another.

35 ところが農夫たちは地主の使用人たちを捕らえて、ひとりを叩き、ひとりを殺し、もうひとりを石を投げつけて殺しました。

36 So the landowner sent a larger group of his servants to collect for him, but the results were the same.

36 そこで地主は徴収のためにもっと大勢の使用人の一団を送りましたが、結果は同じでした。

37 “Finally, the owner sent his son, thinking, ‘Surely they will respect my son.’

37 最後に地主は、『農夫たちは私の息子になら敬意を払うに違いない。』と考えて、自分の息子を送りました。

38 “But when the tenant farmers saw his son coming, they said to one another, ‘Here comes the heir to this estate. Come on, let’s kill him and get the estate for ourselves!’

38 ところが借地人の農夫たちは地主の息子が来るのを見て互いに言いました。『この地所の相続者が来るぞ。さあ、彼を殺して土地を自分たちのものにしよう。』

39 So they grabbed him, dragged him out of the vineyard, and murdered him.

39 そして農夫たちは息子を捕らえて、ぶどう園の外へ引きずり出して殺しました。

40 “When the owner of the vineyard returns,” Jesus asked, “what do you think he will do to those farmers?”

40 イエスさまはたずねました。「ぶどう園の持ち主が帰ってくると、彼はこの農夫たちに何をすると思いますか。」

41 The religious leaders replied, “He will put the wicked men to a horrible death and lease the vineyard to others who will give him his share of the crop after each harvest.”

41 ユダヤの指導者たちは答えました。「地主は邪悪な者どもを残忍に殺して、ぶどう園は収穫ごとに作物の取り分を渡す他の人たちに貸すでしょう。」

42 Then Jesus asked them, “Didn’t you ever read this in the Scriptures? ‘The stone that the builders rejected has now become the cornerstone. This is the Lord’s doing, and it is wonderful to see.’

42 それからイエスさまは指導者たちにたずねました。「あなた方はこれを聖書の中に読んだことはないのですか。『建造者たちが拒んだ石が、いまや礎石になった。これは主のなさることで不思議に見えます。』

43 I tell you, the Kingdom of God will be taken away from you and given to a nation that will produce the proper fruit.

43 あなた方に言います。神さまの王国はあなた方から取り去られ、適切な実を結ぶ国民に与えられるのです。

44 Anyone who stumbles over that stone will be broken to pieces, and it will crush anyone it falls on.”

44 その石につまずく者はだれでも粉々に砕かれ、その石が落ちて当たる人をだれでも押し砕きます。」

45 When the leading priests and Pharisees heard this parable, they realized he was telling the story against them -- they were the wicked farmers.

45 祭司長たちとファリサイ派はこのたとえ話を聞くと、イエスさまが彼らに反する話をしているのだと気づきました。彼らが邪悪な農夫だったのです。

46 They wanted to arrest him, but they were afraid of the crowds, who considered Jesus to be a prophet.

46 彼らはイエスさまを捕らえたかったのですが、彼らは群衆を恐れました。群衆はイエスさまを預言者だと思っていたのです。




ミニミニ解説

マタイの福音書第21章です。

イエスさまは十字架前の一週間、毎日寺院へ通い、そこで人々に教えています。あるときイエスさまのところへ祭司長たちと長老たちが近づいて来てイエスさまが寺院の異邦人の庭で行った動物商や両替商を追い立てたことについて「何の権威によって、あなたはこれらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を与えたのですか。」と問いました。イエスさまはこの質問に質問で応じて「洗礼者ヨハネの洗礼の権威は天から来たのでしょうか。あるいは単に人間のものですか。」とたずねて、祭司長たちと長老たちはこれに回答できませんでした。

マタイではこの出来事に続いてイエスさまが祭司長たちと長老たちに話して聞かせた三つのたとえ話が書かれています。前回の「二人の息子のたとえ話」は「マタイ」だけに登場しました。

今回の「邪悪な農夫のたとえ話」は「マルコ」と「ルカ」にも登場します。

マルコはMark 12:1-12(マルコの福音書第12章第1節~第12節)です。「1 それからイエスは、たとえを用いて彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。2 季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、しもべを農夫たちのところへ遣わした。3 ところが、彼らは、そのしもべをつかまえて袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。4 そこで、もう一度別のしもべを遣わしたが、彼らは、頭をなぐり、はずかしめた。5 また別のしもべを遣わしたところが、彼らは、これも殺してしまった。続いて、多くのしもべをやったけれども、彼らは袋だたきにしたり、殺したりした。6 その人には、なおもうひとりの者がいた。それは愛する息子であった。彼は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう』と言って、最後にその息子を遣わした。7 すると、その農夫たちはこう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』 8 そして、彼をつかまえて殺してしまい、ぶどう園の外に投げ捨てた。9 ところで、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。彼は戻って来て、農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。10 あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。11 これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』」 12 彼らは、このたとえ話が、自分たちをさして語られたことに気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、やはり群衆を恐れた。それで、イエスを残して、立ち去った。」([新改訳])。

ルカはLuke 20:9-19(ルカの福音書第20章第9節~第19節)です。「9 また、イエスは、民衆にこのようなたとえを話された。「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。10 そして季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえをもらうために、農夫たちのところへひとりのしもべを遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべを袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。11 そこで、別のしもべを遣わしたが、彼らは、そのしもべも袋だたきにし、はずかしめたうえで、何も持たせないで送り帰した。12 彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』 14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』 15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。16 彼は戻って来て、この農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。」これを聞いた民衆は、「そんなことがあってはなりません」と言った。17 イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。18 この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」 19 律法学者、祭司長たちは、イエスが自分たちをさしてこのたとえを話されたと気づいたので、この際イエスに手をかけて捕らえようとしたが、やはり民衆を恐れた。」([新改訳])。

大変よく似ていますが、ルカでは地主から派遣されたしもべはひとりも殺されず、最後に送られた息子だけが殺されています。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、これは「マルコ」からの採用と言うことになります。

今回イエスさまはぶどう園の話をしました。以前も書きましたが、ブドウとイチジクは聖書全体に何度も登場する象徴的な植物です。預言者は繰り返し「イスラエルの国」をブドウやイチジクの木にたとえています。またイチジクやブドウの木が実を結ぶこと、収穫を生むことはイスラエルの国が神さまの目に正しく映ること、つまり神さまの意図に沿って神さまを愛し、信じ、褒め称え、感謝しながら日々を喜びと平安のうちに過ごすことで、イスラエルの受けるすべての栄光が神さまに帰され、結果として神さまに喜びを与えることです。

今回の話は特にIsaia 5:1-8(イザヤ書第5章第1節~第8節)に関連しています。「1 「さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。2 彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。3 そこで今、エルサレムの住民とユダの人よ、さあ、わたしとわがぶどう畑との間をさばけ。4 わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。なぜ、甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか。5 さあ、今度はわたしが、あなたがたに知らせよう。わたしがわがぶどう畑に対してすることを。その垣を除いて、荒れすたれるに任せ、その石垣をくずして、踏みつけるままにする。6 わたしは、これを滅びるままにしておく。枝はおろされず、草は刈られず、いばらとおどろが生い茂る。わたしは雲に命じて、この上に雨を降らせない。」 7 まことに、万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植えつけたもの。主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。8 ああ。家に家を連ね、畑に畑を寄せている者たち。あなたがたは余地も残さず、自分たちだけが国の中に住もうとしている。」([新改訳])。

冒頭の第2節の部分、「彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。」のところがほぼそのまま採用されて、今回のイエスさまのたとえ話になっています。イザヤ書では神さまはぶどう園を作って(イスラエルを建国して)そこに甘いぶどうが実るのを待ち望んでいたのに、神さまの意に反して酔いぶどうができてしまったことを嘆き、その報いとしてぶどう園(つまりイスラエル)を荒れてすたれるに任せる、滅びるままにしておくとしています。

イエスさまの話はイザヤ書に関連づけてぶどう園を造るところから始まっています。第33節の解釈は神さまがイスラエルという国を用意して、その管理をユダヤ人に委ねたという意味でしょう。また委ねた相手はユダヤ人全般というよりも、イスラエルという国を支配して動かしていた人たち、つまりは王室や指導者層を指すと考えた方が良いと思います。と言うことはイエスさまが語りかけている祭司長、律法学者、長老たちがこの話の主題なのです。

第34節以降、ぶどう園の持ち主の地主は収穫を回収するために次々と使者を送りますが、その使者はいずれもひどい目に遭わされるか殺されてしまいます。旧約聖書の中で神さまのもとからイスラエルに派遣されたのは預言者です。「預言」は神さまのことばを預かることを言います。預言者はほとんど例外なく、上のイザヤ書のように神さまの怒りを伝えています。イスラエルの民は神さまの意図に反して自分たちのしたいように振る舞っているので、預言者はこれを責めます。そして自分たちのあやまちを悔いて神さまに向き直るようにと勧告します。そしてユダヤ人は神さまの裁きを免れないと警告したのです。預言者の言葉を聞いて行いを改めた王もいましたが、預言者の多くは疎んじられ、迫害されたり、追放されたりします。殺されてしまった預言者もいました。

最後に派遣された神さまの息子とはイエスさまのことでしょう。と言うことは、この時点ですでにイエスさまは自分がイスラエルの指導者層に殺されると予告していることになります。イエスさまは自分を殺害しようとする計画が進行していると見抜いていたのです。

第40節でイエスさまは「ぶどう園の持ち主が帰ってくると、この農夫たちに何をすると思うか。」とたずねます。マルコではその答えをイエスさま自身が言いますが、マタイでは答えを指導者たちに言わせています。「地主は邪悪な者どもを残忍に殺して、ぶどう園は収穫ごとに作物の取り分を渡す他の人たちに貸すでしょう。」 ぶどう園が他の人たちに貸されると言うのは、イスラエルの国がユダヤ人から取り上げられて、そこは異邦人が支配するようになる、ということです。これは西暦70年のエルサレムの陥落とイスラエルの消滅を指していると思われます。

第42節でイエスさまが聖書の中に読んだことはないのか、ときいているのはPsalms 118:22-23(詩編第118章第22節~第23節)のことです。「22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。」([新改訳])。

家を建てる者たち、つまりイスラエルの建国を行う指導者たちが捨てた石、それが次のある段階では家を建てるときに一番大切な「礎の石」となったという話です。つまりこの石はイエスさまを指していて、この預言が実現するとしているのです。この後でイエスさまはユダヤ人指導者や群衆から拒絶され、迫害され、殺されます。家を建てる者たちから捨てられるのです。ところがイエスさまの死は、人類全体を神さまと和解させるために用意された大切な必要なステップだったのです。そうしてイエスさまはやがて神さまの王国が立つこの世の「礎の石」となったのです。これは私たち人間には到底理解できない神さまの深遠な計画です。「私たちの目には不思議なこと」なのです。






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