マタイの福音書第20章第20節~第28節:イエスさまが他の人のために働くことについて教えるマタイの福音書第20章第1節~第16節:ぶどう園の労働者のたとえ話

2015年12月12日

マタイの福音書第20章第17節~第19節:イエスさまが再び死を予告する

第20章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Again Predicts His Death

イエスさまが再び死を予告する


17 As Jesus was going up to Jerusalem, he took the twelve disciples aside privately and told them what was going to happen to him.

17 イエスさまがエルサレムへ上ろうとしていたとき、イエスさまは十二人の弟子だけ密かに横に連れて行って、イエスさまに何が起こるかを話しました。

18 “Listen,” he said, “we’re going up to Jerusalem, where the Son of Man will be betrayed to the leading priests and the teachers of religious law. They will sentence him to die.

18 イエスさまは言いました。「聞きなさい。私たちはエルサレムへ上って行き、そこで人の子は裏切られて祭司長と律法学者たちに渡されます。彼らは人の子に死刑を宣告します。

19 Then they will hand him over to the Romans to be mocked, flogged with a whip, and crucified. But on the third day he will be raised from the dead.”

19 それから彼らは人の子をローマ人に引き渡し、人の子はローマ人にあざけられ、むちで打たれ、十字架にかけられます。ですが三日目に人の子は死者の中からよみがえらされます。」




ミニミニ解説

マタイの福音書第20章です。イエスさまの一行はいよいよエルサレムへ向かいます。第19章の冒頭でイエスさまはガリラヤ地方を出発すると、ヨルダン川を一度東側へ渡り、少し遠回りをしています。第19章はその後、イエスさまの話になりました。第20章も引き続き、イエスさまの話になっています。

今回と同じ部分の記述は「マルコ」と「ルカ」に見られます。

この直前の第20章最初の「ぶどう園の労働者のたとえ話」はマタイだけに挿入された話でしたが、マルコは第19章最後の引用の続きとなり、Mark 10:32-34(マルコの福音書第10章第第32節~第34節)です。

「32 さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二弟子をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを、話し始められた。33 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。34 すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」([新改訳])。

ルカもやはり第19章最後の引用の続きとなり、Luke 18:31-34(ルカの福音書第18章第第31節~第34節)です。

「31 さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。32 人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」 34 しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、マタイはこの部分をマルコから採用していると思われます。

今回はイエスさまが自分の死を予告した場面です。これで予告は三回目になります。第一回目は、Matthew 16:21-23(マタイの福音書第16章第第21節~第23節)です。イエスさま一行が北方のピリポ・カイザリヤへ出かけたときのことで、ペテロがイエスさまに「あなたは生ける神の御子キリストです。」([新改訳])と言ってイエスさまから褒められた直後でした。

「21 その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。22 するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」 23 しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」([新改訳])。

ペテロは自分の死の予告を始めたイエスさまを諫めて、今度は怒りを買ってしまったのでした。

第二回目はMatthew 17:22-23(マタイの福音書第17章第22節~第23節)で、イエスさまの一行が北部の旅から帰って来たときです。

「22 彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。「人の子は、いまに人々の手に渡されます。23 そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると、彼らは非常に悲しんだ。」([新改訳])。

第三回目の今回は、予告の内容が詳しくなっています。エルサレムに行くとイエスさまは裏切られて祭司長と律法学者たちに引き渡され、死刑が宣告され、ローマ人に引き渡される。それからイエスさまはローマ人にあざけられ、むちで打たれ、十字架にかけられる。そして三日目によみがえるとあります。これは実際にイエスさまに起こったことと同じです。

福音書はイエスさまの十字架死~復活を経て、最初のクリスチャンの教会ができてから流布が始まった書き物ですから、福音書に「イエスさまが自分の死を予告していた。」と書いても、それは実際にそれが起こった後になります。だからどんな風に書くことだってできたわけです。実際のイエスさまの予告がどこまで実際の出来事と一致していたかはわかりませんが、予告は三度にわたって繰り返されていますし、第16章には、「その時から弟子たちに示し始められた。」と書かれていますから、イエスさまは自分がエルサレムに行くにあたっての覚悟のようなものを弟子たちに何度も話したのだろうと思います。

しかし弟子たちは最後の最後までイエスさまが伝えようとしていることの意味を理解しませんでした。弟子たちはエルサレムに行ったらイエスさまはイスラエルの王になる、そのための行動を起こすと信じていたのです。だからイエスさまの口から出る否定的な予告には耳を貸そうとしませんでした。






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