マタイの福音書:第20章マタイの福音書第19章第13節~第15節:イエスさまが子供を祝福する

2015年12月13日

マタイの福音書第19章第16節~第30節:金持ちの男

第19章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Rich Man

金持ちの男


16 Someone came to Jesus with this question: “Teacher, what good deed must I do to have eternal life?”

16 ある人がイエスさまところへ来てこの質問をしました。「先生、永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしなければならないのでしょうか。」

17 “Why ask me about what is good?” Jesus replied. “There is only One who is good. But to answer your question -- if you want to receive eternal life, keep the commandments.”

17 イエスさまは答えました。「何が良いことなのかをどうして私にたずねるのですか。良いのはただひとりだけです。ですが、あなたの質問に答えると、もしあなたが永遠のいのちを得たいのなら、戒めを守りなさい。」

18 “Which ones?” the man asked. And Jesus replied: “‘You must not murder. You must not commit adultery. You must not steal. You must not testify falsely.

18 「どの戒めですか?」と男の人はたずねました。イエスさまは答えました。「殺してはいけません。姦淫してはいけません。盗んではいけません。偽りの証言をしてはいけません。

19 Honor your father and mother. Love your neighbor as yourself.’ ”

19 あなたの父と母を敬いなさい。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」

20 “I’ve obeyed all these commandments,” the young man replied. “What else must I do?”

20 若い男は答えました。「その戒めはすべて守って来ました。他に何をしなければならないでしょうか。」

21 Jesus told him, “If you want to be perfect, go and sell all your possessions and give the money to the poor, and you will have treasure in heaven. Then come, follow me.”

21 イエスさまは男に言いました。「もし、あなたが完全になりたいなら、行って、あなたの持ち物をすべて売り払い、お金を貧しい人たちに与えなさい。そうすればあなたは天に宝を持つことになります。それから来て、私に従いなさい。」

22 But when the young man heard this, he went away sad, for he had many possessions.

22 ところが若い男はこれを聞くと、悲しんで去って行きました。男はたくさんの財産を持っていたのです。

23 Then Jesus said to his disciples, “I tell you the truth, it is very hard for a rich person to enter the Kingdom of Heaven.

23 それからイエスさまは弟子たちに言いました。「あなた方に本当のことを言います。金持ちが天の王国に入るのは大変難しいのです。

24 I’ll say it again -- it is easier for a camel to go through the eye of a needle than for a rich person to enter the Kingdom of God!”

24 もう一度言います。金持ちが神さまの王国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しいのです。」

25 The disciples were astounded. “Then who in the world can be saved?” they asked.

25 弟子たちは驚いてたずねました。「それでは世の中の誰が救われるのでしょうか。」

26 Jesus looked at them intently and said, “Humanly speaking, it is impossible. But with God everything is possible.”

26 イエスさまは弟子たちをじっと見て言いました。「人間の見地では、それは不可能です。ですが神さまはどんなことでもできます。」

27 Then Peter said to him, “We’ve given up everything to follow you. What will we get?”

27 それからペテロがイエスさまに言いました。「私たちはあなたに従うためにすべてを捨てました。私たちは何を得るのでしょうか。」

28 Jesus replied, “I assure you that when the world is made new and the Son of Man sits upon his glorious throne, you who have been my followers will also sit on twelve thrones, judging the twelve tribes of Israel.

28 イエスさまは答えました。「私があなた方に保証します。世界が新しくなり、人の子が栄光の座に着くとき、私に従って来たあなた方も十二の座に着いて、イスラエルの十二氏族を裁くのです。

29 And everyone who has given up houses or brothers or sisters or father or mother or children or property, for my sake, will receive a hundred times as much in return and will inherit eternal life.

29 そして私のために、家や、兄弟や、姉妹や、父や、母や、子や、財産を捨てた者は誰でも見返りに百倍を受け取り、永遠のいのちを得るのです。

30 But many who are the greatest now will be least important then, and those who seem least important now will be the greatest then.

30 しかしそのときにはいま一番偉大な者は一番重要ではなくなり、いま一番重要でないと見える人がそのときには一番偉大になるのです。




ミニミニ解説

イエスさまの一行はいよいよエルサレムへ向かいます。第19章の冒頭でイエスさまはガリラヤ地方を出発すると、ヨルダン川を一度東側へ渡り、少し遠回りをしています。第19章はその後、イエスさまの話になっています。

今回と同じ部分の記述は「マルコ」と「ルカ」に見られます。

マルコは前回の続きのMark 10:17-31(マルコの福音書第10章第17節~第31節)です。 「17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」 18 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。19 戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」 20 すると、その人はイエスに言った。「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」 21 イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」 22 すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。23 イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」 24 弟子たちは、イエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。{富にたよる者が}神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。 25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」 26 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」 27 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」 28 ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」 29 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、30 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。31 しかし、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」([新改訳])。

ルカはLuke 18:18-30(ルカの福音書第18章第18節~第30節)です。「18 またある役人が、イエスに質問して言った。「尊い先生。私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」 19 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。20 戒めはあなたもよく知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。父と母を敬え。』」 21 すると彼は言った。「そのようなことはみな、小さい時から守っております。」 22 イエスはこれを聞いて、その人に言われた。「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」 23 すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。 24 イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」 26 これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」 27 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」 28 すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」 29 イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、30 この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、マタイはこの部分をマルコから採用していると思われます。

マタイ、ルカ、マルコで、イエスさまに質問をする人が微妙に違います。オリジナルのマルコでは「ひとりの人」([NLT] a man、[KJV] one)であったものを、ルカは「ある役人」([NLT] a religious leader、[KJV] a certain ruler)、マタイでは「青年」([NLT] the young man、[KJV] the young man)としています。財産をたくさん持っているのだし、イエスさまに「自分は律法をすべて守っている」と言っているので、マタイの「青年」よりも、ファリサイ派の議員とか役人などの方がイメージが合います。マルコでは「ひとりの人」だったものを、なぜわざわざマタイが「青年」としたのかはわかりません。

さてイエスさまのところへ男の人がやってきて、「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしなければならないのでしょうか。」と、永遠のいのちを獲得するための条件をききます。

イエスさまはなんと答えたでしょうか。イエスさまはまず「何が良いことなのかをどうして私にたずねるのですか。良いのはただひとりだけです。」と答えています。これはオリジナルのマルコにあるように、男の人がイエスさまに「尊い先生」と呼びかけたからで、イエスさまは「尊い」という形容詞をつけるべきは神さまだけなのですよ、と前置きをしているのです。

イエスさまは男の人の質問に答えます。イエスさまの答は「もしあなたが永遠のいのちを得たいのなら、戒めを守りなさい。」です。引き続きイエスさまがあげている「戒め」の例は有名なモーゼの十戒からの引用です。モーゼの十戒は旧約聖書のExodus  20(出エジプト記第20章)の最初に書かれています。長いですが引用します。

「1 それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。-- あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も -- 11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。13 殺してはならない。14 姦淫してはならない。15 盗んではならない。16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」([新改訳])。

イエスさまはここから引用したわけですが、ユダヤ人ならイエスさまが十戒から引用したことは誰にでもすぐにわかります。つまりイエスさまは十戒から例をいくつかあげながら、「永遠のいのちを手に入れたければ、旧約聖書に書かれた律法を守りなさい。」と言っているのです。

するとこの男の人は「その戒めはすべて守って来ました。他に何をしなければならないでしょうか。」と言います。これはファリサイ派などに代表されるユダヤ民族の保守層が主張していたことです。イエスさまは福音書の中でその主張を否定しています。何度か書いてきていますが、イエスさまの主張は、律法は制定者である神さまの視点で解釈しなければならないし、神さまは人の心をご覧になる方なので、心の中に律法に違反する種があれば、その時点でアウトなのですよ、と言っています。たとえば誰かを憎らしいと思ったら、神さまから見ればそれは人を殺したのと同じようにガッカリされる、と言うのです。

イエスさまは男の人が「その戒めはすべて守って来ました。」と言うのを聞いて、この人の解釈が表面的なことを言っており、本当に律法を守るというのがどういうことなのかわかっていないと知りました。ただオリジナルのマルコには、第21節の最初に「イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。」とありますから、この人はこれを傲慢に言い放ったのではないのかも知れません。「ファリサイ派」とひとくくりにするのは大変危険なことで、当時は律法を守ることが神さまの目に正しく映ること、つまりは天国へ行く条件と信じることが普通でしたし、そのときの「律法を守る」は「ファリサイ派のように守る」と考えるのが普通で、だからこそイエスさまが会堂で教えて、聖書の言葉を神さまの視点から語ると人々はそこに「新しさ」と同時に「権威」を感じたのです。

そこでイエスさまは「もし、あなたが完全になりたいなら、行って、あなたの持ち物をすべて売り払い、お金を貧しい人たちに与えなさい。」と言います。これは具体的な命令なので、律法解釈のように表面的に行うことはできません。男の人は文字どおり、持ち物をすべて売らないとイエスさまの言葉を実現できません。男の人は困り果てて悲しみのうちに去って行きます。きっと誠実な人なのでしょう。

イエスさまは弟子たちに「金持ちが天の王国に入るのは大変難しい。金持ちが神さまの王国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しい。」と言います。すると弟子たちは驚いて「それでは世の中の誰が救われるのでしょうか。」とききました。この問いに対する正解は「世の中で天国に入れる人は誰もいない。」です。らくだが針の穴を通れないくらい、すべての人は天国には入れないのです。なぜなら神さまの設定する基準を満たせるような人、自分の言動はもちろんのこと、自分の心までもを覗かれて、神さまを一度もガッカリさせずに生きていける人、そんな人間は地球上には存在しないからです。

続けてイエスさまは言います。「人間の見地では不可能ですが、神さまはどんなことでもできます。」と。そのとおりです。人が自力で天国に入れない以上、神さまにすがる他はありません。自力で天国に到達することができない人間のために、神さまが提供した手段、天国行きの切符、それがイエスさまの十字架です。

第27節でペテロが、それでは自分たちはどうなのだ、自分たちはすべてを捨ててイエスさまに従ってきたが、そういう自分たちはどうなるのだ、と言います。金持ちの男にはできませんでしたが、弟子たちは文字どおり、すべてのものを捨て去ってイエスさまに従ってきた、と主張します。

これはやや怪しい発言だと思うのです。弟子たちはエルサレムへ向かう道中で誰が一番偉いかを議論しますし、イエスさまが十字架で処刑されてしまうと、落胆して、捨ててきたはずのガリラヤ地方の故郷へ戻るのですから。弟子たちがイエスさまに従った理由は、やがてイエスさまがイスラエルの王となり、ローマ帝国の支配を打ち破って、かつてダビデやソロモンが繁栄させた栄光あるイスラエルを復活させると信じていたからです。そのときには自分たちがイエスさまの下で、重職に登用されるのだと信じていたからです。つまりはきわめて世俗的な理由で従っていたのです。

ですがここでイエスさまは「私があなた方に保証します。世界が新しくなり、人の子が栄光の座に着くとき、私に従って来たあなた方も十二の座に着いて、イスラエルの十二氏族を裁くのです。」と言っています。この言葉はマルコにもルカにも見当たりませんが、ルカの別の箇所に類似の記述があります。Luke 22:28-30(ルカの福音書第22章第28節~第30節です。「28 けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。29 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。30 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。」([新改訳])。つまり「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この「十二使徒が十二氏族を裁く」の部分は、イエスさまの語録集である「Q資料」からの引用でしょう。これは恐らくこの世の中の終わりに何が起こるのかをめぐる、当時の「終末論」の中で信じられていたことのひとつだと思います。十二というのはユダヤ人には特別な数字のようです。

最後の部分を読むと、イエスさまのために「捨てる」覚悟をした者には百倍の見返りがあるのです。そして、最後の最後に書かれている言葉、「先の者があとになり、あとの者が先になる」というイエスさま特有の謎の言い回し、これは私たちの死後に待っている天国では、神さまが人間に与える序列があり、その順序づけは私たちがこの世の中の価値観に沿って考える序列とはまったく違うものなのだよ、と言っているのだと思います。その価値観の違いは、次の第20章冒頭のたとえ話の中にも現れています。








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