マタイの福音書第19章第13節~第15節:イエスさまが子供を祝福するマタイの福音書:第19章

2015年12月13日

マタイの福音書第19章第1節~第12節:離婚と結婚についての議論

第19章




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Discussion about Divorce and Marriage

離婚と結婚についての議論


1 When Jesus had finished saying these things, he left Galilee and went down to the region of Judea east of the Jordan River.

1 イエスさまはこれらのことを言い終えると、ガリラヤ地方を去って、ヨルダン側の東のユダヤ地方へ行きました。

2 Large crowds followed him there, and he healed their sick.

2 大勢の群衆がイエスさまに着いてそこへ行きました。イエスさまはその人たちの病気を癒やしました。

3 Some Pharisees came and tried to trap him with this question: “Should a man be allowed to divorce his wife for just any reason?”

3 ファリサイ派の人たちが何人か来て、イエスさまを罠にかけようとして、この質問をしました。「どのようなものでも何か理由があれば、男が自分の妻を離別することは許されるのでしょうか。」

4 “Haven’t you read the Scriptures?” Jesus replied. “They record that from the beginning ‘God made them male and female.’

4 イエスさまは答えました。「聖書を読んでいないのですか。聖書には最初から神さまが人を男と女に造ったと書いてあります。

5 And he said, ‘This explains why a man leaves his father and mother and is joined to his wife, and the two are united into one.’

5 神さまは言っています。『このことが、どうして男が自分の父と母を離れ、妻と結ばれて、二人が一つになるのかを説明している』と。

6 Since they are no longer two but one, let no one split apart what God has joined together.”

6 彼らはもはや二人ではなく一つなのですから、神さまが結び合わせたものを、誰にも分割させてはいけません。」

7 “Then why did Moses say in the law that a man could give his wife a written notice of divorce and send her away?” they asked.

7 ファリサイ派の人たちがたずねました。「それではなぜモーゼは律法の中で、男は妻に離婚の書状を渡して離別できると言ったのでしょうか。」

8 Jesus replied, “Moses permitted divorce only as a concession to your hard hearts, but it was not what God had originally intended.

8 イエスさまは答えました。「モーゼが離婚を許したのは、ただあなた方のかたくなな心に譲歩してのことです。ですがそれは神さまが最初に意図したことではありません。

9 And I tell you this, whoever divorces his wife and marries someone else commits adultery -- unless his wife has been unfaithful.”

9 あなた方にこのことを言っておきます。どんな人でも、自分の妻が浮気をしたわけではないのに自分の妻を離別して、誰か他の人と結婚する人は姦淫を犯すことになるのです。」

10 Jesus’ disciples then said to him, “If this is the case, it is better not to marry!”

10 イエスさまの弟子たちがイエスさまに言いました。「そういうことならば結婚しない方がましです。」

11 “Not everyone can accept this statement,” Jesus said. “Only those whom God helps.

11 イエスさまが言いました。「この発言はすべての人が受け入れられるものではありません。神さまが助ける人たちだけです。

12 Some are born as eunuchs, some have been made eunuchs by others, and some choose not to marry for the sake of the Kingdom of Heaven. Let anyone accept this who can.”

12 宦官に生まれる者がいれば、他の人から宦官にされた者もいます。天国の王国のために結婚しないことを選択する者もいます。それができる者にはそれを受け入れさせなさい。」




ミニミニ解説

マタイの福音書第19章です。

第18章はイエスさまが二度にわたって自分の死を予告した後で、エルサレムへ向けて出発する前にカペナウムで語られたという形でイエスさまの語録集を収めていました。第19章からイエスさまの一行はいよいよエルサレムへ向かいます。イスラエル北部のガリラヤ地方から南部のエルサレムへの旅では、ガリラヤ地方を離れてそのまま南下する形でユダヤ地方へ入ることもできますが(全体の行程は約100km)、イエスさまはまっすぐ南下するのではなくて、ヨルダン川を一度東側へ渡ります。

今回と同じ部分の記述は「マルコ」と「ルカ」に見られます。第18章後半ではしばらくマタイ独自の編集でマタイの教会のルールが挿入されていましたが、ここから再びマルコからの採用に戻ります。

マルコはMark 10:1-12(マルコの福音書第10章第1節~第12節)です。「1 イエスは、そこを立って、ユダヤ地方とヨルダンの向こうに行かれた。すると、群衆がまたもみもとに集まって来たので、またいつものように彼らを教えられた。2 すると、パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。3 イエスは答えて言われた。「モーセはあなたがたに、何と命じていますか。」 4 彼らは言った。「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」 5 イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。6 しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。7 それゆえ、人はその父と母を離れ、{その妻に結びついて、}8 ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。9 こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」 10 家に戻った弟子たちが、この問題についてイエスに尋ねた。11 そこで、イエスは彼らに言われた。「だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。12 妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯しているのです。」」([新改訳])。

ルカは大変短くて、それらしき記述はたった一節です。Luke 16:18(ルカの福音書第16章第18節)です。「だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、マタイはこの部分をマルコから採用していると思われます。

イエスさまが移動するとたくさんの群衆がついて来ます。イエスさまはその中にいる病人やけが人を癒やします。するとそこへファリサイ派がやって来て議論をふっかけます。ファリサイ派はイスラエルの最高議決機関であるサンヘドリンに議席を持つ政治結社です。最高議決機関とはいっても当時のイスラエルはローマ帝国の支配下にありましたから、サンヘドリンはローマ帝国から限定的な統治権限が許されているにすぎません。

ファリサイ派の党員は律法の先生が中心です。ユダヤ人はラビと呼ばれるユダヤの宗教指導者専から、マンツーマンの専門教育を受けると律法の先生になることができました(数十年を要します)。これらの指導者は聖書に書かれた律法に加えて、口頭で伝えられてきた慣習法も同じくらい重要と考えていました。ファリサイ派は律法のすべてに精通し、それらすべての項目(600件以上あるそうです)に、ひとつも違反せずに生きている、そうやって自分たちは神さまの目に正しく映っていると自負し、民衆から尊敬と支持を集めていました。

イエスさまのように、イスラエルのどこかに人を集めて話をしたり奇跡の術を行う人が出現すると、ファリサイ派が人物を確かめに来ます。聖書の中には預言者の出現を予告する部分があるので、果たしてその人物が待望の預言者なのかどうか、聖書の権威としては確認する必要があるのです。

ここまでの段階でイエスさまの言動は、ファリサイ派の考える遵法からはほど遠いところにあることがわかっているため、ファリサイ派はイエスさまを危険視しています。たくさんの人を集めるなどの行動は、武装蜂起につながる反逆行為にも見えますから、ローマ帝国の目を引きます。もしローマ帝国軍が出動などという事態になると、サンヘドリンは管理能力を疑われて、せっかくローマ帝国から許されていた限定的な自治権を剥奪されてしまうかも知れません。ファリサイ派は既得権益を維持して、そこに長く安住したいのです。なのでファリサイ派は、なんとかイエスさまの違法行為を見つけて宗教裁判にかけて排除できないものかと狙っています。第3節にある「イエスさまを罠にかけようとして」と言うのはそういう意味です。イエスさまにきわどい質問を投げかけて、回答の言動中に律法違反にあたるものがないかを探そうとしているのです。

今回のファリサイ派の質問は「男は女を離縁できるか」です。第7節でファリサイ派は「それではなぜモーゼは律法の中で、男は妻に離婚の書状を渡して離別できると言ったのでしょうか」ときいています。律法の先生らしい質問です。ファリサイ派が引用しているモーゼの言葉は、旧約聖書の以下の部分と思われます。Deuteronomy 24:1-4(申命記第24章第1節~第4節)です。「1 人が妻をめとり夫となり、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなり、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせ、2 彼女が家を出、行って、ほかの人の妻となり、3 次の夫が彼女をきらい、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせた場合、あるいはまた、彼女を妻としてめとったあとの夫が死んだ場合、4 彼女を出した最初の夫は、その女を再び自分の妻としてめとることはできない。彼女は汚されているからである。これは、主の前に忌みきらうべきことである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に、罪をもたらしてはならない。」([新改訳])。

これを読むと、ここはそもそも「妻に何か恥ずべき事を発見したため」という前提で書き始められている部分だとわかります。が、当時の律法の運用では、「離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせ」のところだけを取り出して、「男は妻に離婚の書状を渡して離別できる」としていたようです。なんとも便利な解釈です。

イエスさまの回答にはうなります。イエスさまはいつも律法の制定者である神さまの視点から語るのです。モーゼが離婚のことを書いたのは、人の心があまりにも頑固だから、仕方なく書いたのであって、もともと神さまは離婚など望んでいない、と。なんて正しいのでしょうか。初めから離婚するつもりで結婚する男女などいないでしょう。ところがいざ結婚して共同の生活が始まると、夫婦間でいろいろな衝突や問題が起こり、どうしてもお互いに我慢できなくなると男女は離婚します。それをイエスさまは、人の心が頑固だから、柔軟ではないからと言っているのです。だから仕方なく律法の中に離婚の手続きを書いてあげたのだ、と言います。ただし繰り返しますが、ここの書き出しはあくまでも「妻に何か恥ずべき事を発見したため」です。

法の制定者の意図についてはマルコのときにも書きました。たとえば刑法に窃盗の罪について、最大何年の懲役とか、最大いくらの罰金とか書いてあったら、ファリサイ派はこれを読んで、「何を盗むかにもよるが、一定期間牢屋に入るか、罰金を払えば物を盗んでも良いと法律には書いてある」と解釈することになります。「60km」と書かれた道路標識は、「道路交通法に定められた罰金を負担するつもりなら60kmを超える速度で車を運転をしても良い」と読むと言うことです。

法の制定者はそんなつもりで法律を定めているわけではありません。「窃盗をしてはいけない」「スピード違反をしてはいけない」、そういう意図で、どうすれば平安な世の中を作れるだろうかと考えて法律を定めているはずです。それなのにファリサイ派風の解釈だと、リスクを承知なら窃盗もスピード違反もやりなさい、とまるでそれらを促進するような語り口になってしまいます。昨今の少年法の議論(法律を逆手にとって、重罪を犯すなら少年法が加害者を保護する未成年の間が良い、との風潮についての議論)のようです。

イエスさまが言った「聖書には最初から神さまが人を男と女に造ったと書いてあります」の部分は旧約聖書の「Genesis(創世記)」からの引用です。Genesis 1:27(創世記第1章第27節)には「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」([新改訳])。Genesis 5:1-2(創世記第5章第1節~第2節)には「これはアダムの歴史の記録である。神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。」([新改訳])。そしてGenesis 2:23-24(創世記第2章第23節~第24節)には「人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」」([新改訳])と書かれています。

いまから2000年前のローマ帝国支配下のイスラエルでは、女性も子供も、今日のような人権が確立されておらず、社会的地位は大変低いものでした。男性が、結婚した女性が気に入らないときに、離婚状を書いて離別できるとの律法解釈は女性の地位の低さの表れだと思います。それにしても、そんな男尊女卑の世の中からさらに遡ること1500年、紀元前1500年頃の記述される「創世記」に、「神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された」との記述があることには驚かされます。

第9節、「どんな人でも、自分の妻が浮気をしたわけではないのに自分の妻を離別して、誰か他の人と結婚する人は姦淫を犯すことになるのです。」は、「どんな人でも、自分の妻が浮気をしたわけではないのに自分の妻を離別して、誰か他の人と結婚する人は、神さまをガッカリさせるのです。」ということです。結婚は神さまが結び合わせたものなのですから、「浮気」という神さまをガッカリさせる「罪(sin)」抜きで結婚を解消するのなら、神さまはさぞかしガッカリされることでしょう。

第10節~第12節はマルコにはない「マタイ」独自の編集ですが、ここは「結婚しないこと」についての考え方になっています。弟子たちが「それなら結婚しない方がまし」と言うのに対し、イエスさまは頭ごなしに否定するのではなく、「この発言(=結婚しない)はすべての人が受け入れられるものではありません」とします。つまり「結婚しない」という選択肢もありで、それができるのは「神さまが助ける人たちだけ」としています。

「宦官」は「eunuch」の訳です。「KJV」でも「eunuch」としてありますが、[新改訳]では単に「独身者」としています。「宦官」は「wikipedia」では「宦官(かんがん)とは、去勢を施された官吏である。(中略)その原義は「神に仕える奴隷」であったが、時代が下るに連れて王の宮廟に仕える者の意味となり、禁中では去勢された者を用いたため、彼らを「宦官」と呼ぶようになった。」とあります。つまり生殖の能力を奪った官吏のことです。王の近くで働く仕事なので、生殖能力を奪っておかないと王族と子供を作って謀反を企む可能性があるからです。

「宦官」は、イエスさまの言葉の中にはそのままあてはまらないとは思いますが、「その原義は神に仕える奴隷」ともあるように、つまりは結婚よりも、神さまに使えることを優先する信者のことだと思います。イエスさまは、中にはそういう人もいるから、それができる人にはそうさせなさい、としています。ここもやはり当時の教会の運営の実態に合わせた編集のような気がします。






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