マタイの福音書第16章第21節~第28節:イエスさまが自分の死を予告するマタイの福音書第16章第5節~第12節:ファリサイ派とサドカイ派のパン種

2015年12月16日

マタイの福音書第16章第13節~第20節:イエスさまについてのペテロの宣言

第16章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Peter’s Declaration about Jesus

イエスさまについてのペテロの宣言


13 When Jesus came to the region of Caesarea Philippi, he asked his disciples, “Who do people say that the Son of Man is?”

13 イエスさまがピリポ・カイザリヤの地方に来たとき、イエスさまは弟子たちにたずねました。「人々は人の子はだれだと言っていますか。」

14 “Well,” they replied, “some say John the Baptist, some say Elijah, and others say Jeremiah or one of the other prophets.”

14 弟子たちは言いました。「そうですね。洗礼者ヨハネだと言う人がいれば、エリヤだと言う人もいます。他の人たちはエレミヤだとか、他の預言者のだれかだと言っています。」

15 Then he asked them, “But who do you say I am?”

15 するとイエスさまは弟子たちにたずねました。「ではあなた方は私をだれだと言いますか。」

16 Simon Peter answered, “You are the Messiah, the Son of the living God.”

16 シモン・ペテロが答えました。「あなたはメシア、生ける神の子です。」

17 Jesus replied, “You are blessed, Simon son of John, because my Father in heaven has revealed this to you. You did not learn this from any human being.

17 イエスさまは答えました。「あなたは幸いです、ヨハネの息子シモンよ。なぜなら天の父がこのことをあなたに明かしてくださったからです。あなたはこのことを誰か人間から知ったわけではありません。

18 Now I say to you that you are Peter (which means ‘rock’), and upon this rock I will build my church, and all the powers of hell will not conquer it.

18 ここで私はあなたに言います。あなたはペテロです(ペテロは「岩」の意味)。そしてこの岩の上に私は私の教会を建てます。地獄のあらゆる力もそれを武力で奪うことはありません。

19 And I will give you the keys of the Kingdom of Heaven. Whatever you forbid on earth will be forbidden in heaven, and whatever you permit on earth will be permitted in heaven.”

19 私はあなたに天の王国の鍵をあげましょう。あなたが地上で禁じるものは天でも禁じられ、あなたが地上で許すものは天でも許されます。」

20 Then he sternly warned the disciples not to tell anyone that he was the Messiah.

20 それからイエスさまは、自分がメシアであることを誰にも言わないようにと、弟子たちに厳しく警告しました。




ミニミニ解説

イエスさまは第15章でガリラヤ地方を離れて北のレバノンのあたりを旅してガリラヤ地方へ戻って来て、第16章に入って船でガリラヤ湖を渡って、湖の北岸のベツサイダへ来ました。今回はイエスさまは再度弟子たちを連れて北方のピリポ・カイザリヤへ出かけています(ピリポ・カイザリヤはガリラヤ湖北岸から北へ20キロくらい)。湖を渡ってベツサイダへ着いたときにも、どこから渡ったのかについて福音書間で話がちぐはぐになっている部分があると書きましたが、ここでもう一度イスラエルを出て北へ旅をするとなると、このところのイエスさま一行は旅ばかりしているような、しかも南北方向へ行ったり来たりの印象です。私はきっと、イエスさまの一行は北方のレバノンへ一度旅をして、帰りにピリポ・カイザリヤ経由でガリラヤ地方へ戻ったのではないかと想像します。

今回と同じ記述は「マルコ」と「ルカ」に見られます。

マルコは、Mark 8:27-8:30(マルコの福音書第8章第27節~第30節)です。今回は前回のすぐの続きではなくて、マルコのMark 8:22-8:26(マルコの福音書第8章第22節~第26節)は採用しませんでした(ここに何が書かれていたのか気になる人は読んでみてください)。以下が今回の部分です。「27 それから、イエスさまは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスさまは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」 28 彼らは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」 29 するとイエスさまは、彼らに尋ねられた。「では、あなた方は、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスさまに言った。「あなたは、キリストです。」 30 するとイエスさまは、自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。」([新改訳])。

ルカは、Luke 9:18-21(ルカの福音書第9章第18節~第21節)です。「18 さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちがいっしょにいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。」 19 彼らは、答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。ある者はエリヤだと言い、またほかの人々は、昔の預言者のひとりが生き返ったのだとも言っています。」 20 イエスは、彼らに言われた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言った。「神のキリストです。」 21 するとイエスは、このことをだれにも話さないようにと、彼らを戒めて命じられた。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、今回の部分は、骨子は「マルコ」から採用されていますが、第17節~第19節にあるイエスさまがペテロにかけた謎の言葉の部分、ここは読み解きが難解な箇所で、これが何を意味しているのか、さかんに議論が行われているのですが、この部分はマタイが独自の資料から挿入したということになります。

今回イエスさまの一行が来たピリポ・カイザリアは、英語では「Caesarea Philippi」と表記され、発音は「シサリア・フィラパイ」のように聞こえます。日頃英語の聖書に接していると、これを日本語のピリポ・カイザリアに結びつけるのはとても難しいですね。町は標高2,800メートルのヘルモン山の麓にあり、風光明媚な土地だったようです。ギリシア神話に登場する「パン」という神が祭られている土地で、人々はここを観光で訪れてパンをお参りしていました。「パンパイプ」の楽器の名前にも使われているパンは、山羊のような角を持ち、下半身が獣のような姿形をした神です。イエスさまの一行が訪れるのには、なんとも不釣り合いな場所のような気がします。

今回の部分は、まず「マルコ」から採用されている問答で始まります。イエスさまは弟子たちに「人々は人の子はだれだと言っていますか」とたずねます。「人の子」については他の記事でも何度か説明していますが、イエスさまが自分のことを呼ぶのに好んで使った呼称です。つまり「人々は自分のことをだれだと言っているか」という質問です。

弟子たちは答えとして「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」「他の預言者の一人」の四つを挙げました。マタイでは「マルコ」にはなかった「エレミヤ」が追加されています。

最初の「洗礼者ヨハネ」はイエスさまが現れる少し前にイスラエルに現れた人で、荒野で「悔い改めよ。神さまに向き直れ」と呼びかけた預言者です。たくさんの人々がヨハネのもとへ集まって来て、悔い改めを表明して洗礼を受けました。ヨハネは後にその土地の領主のヘロデ・アンティパスによって捕らえられて殺されてしまいました。人々の中にはイエスさまは復活した洗礼者ヨハネなのではないかと言っていた人がいたのです。

二番目の「エリヤ」は旧約聖書に登場する預言者の中ではモーゼと並んで最強と言える一人です。たくさんのドラマチックな奇跡を行いました。イエスさまの時代から800~900年前の人です。旧約聖書の最後の本である「マラキ書」(紀元前400年頃の本)の最後の部分は、「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」([新解訳])と結ばれています。つまり旧約聖書の最後はエリヤ再来の予告で締めくくられているのです(ただしエリヤが来たらその後の「主の大いなる恐ろしい日」も来てしまうのかも知れませんが)。人々はこの予告に従って預言者エリヤの到来を待っていた面があり、実はイエスさまがそのエリヤなのではないか、と言っていた人もいたのです。ちなみにイエスさま自身はこれについて洗礼者ヨハネこそが、マラキ書で再来が予告された預言者エリヤだったのだと言いました。

三番目の「エレミヤ」はやはり旧約聖書に登場する預言者のひとりです。イスラエルが南北朝に分裂した後、北朝に続いて南朝のユダが滅ぼされて、ユダの人民はバビロニアに連れ去られてしまいますが、この時代に活躍した預言者の一人です。ユダヤ人にとって、一度地上から消えた預言者がもう一度現れるという考え方は極めて普通だったので、このほかにも預言者をあげてイエスさまは「他の預言者の一人」の再来だという人もいたのです。

弟子からこれを聞いたイエスさまが「ではあなた方は私をだれだと言いますか」と弟子たちに問います。ドキリとさせる質問です。するとペテロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました(ちなみオリジナルのマルコは[新改訳]では「あなたはキリストです」となっていますので、「生ける神の子」の部分はマタイが追加したと思われます)。

ここの「メシア」とか、「キリスト」に当てられた単語は、[NLT]では「Messiah(メシヤ)」、[KJV]では「Christ(キリスト)」になっています。「メシヤ」はヘブライ語で「油を注がれた者」の意味で、ユダヤ人が王などを任命するときにその人に油を注いだことに由来します。もともとはイスラエルの王は神さまが選びましたので「油を注がれた者」とは神さまが王として任命した者ということになります。当時のユダヤ人が待ち望むメシヤ像は、旧約聖書のサムエル書ほかに書かれた記述に沿って、ダビデ王(旧約聖書に理想的な王として描かれるイスラエルの第二代の王)の血筋から生まれ、イスラエルを再建してダビデの王国を回復するような人なのでした。人々はローマ帝国の圧政下で重税に苦しみながら、そんなメシヤの到来を待ち望んでいたのです。

「救世主」に充てられた単語は[KJV]では「Christ(キリスト)」となっていました。「Christ」はヘブライ語の「メシヤ」にあてられたギリシア語の「クリストス」から来ています。これも同じく「油を注がれた者」の意味らしいのですが、この単語は後に十字架死を経て三日後に死からよみがえって聖書の預言をことごとく成就したイエスさま個人を指す言葉として特別な意味が付加されるようになります。

その「キリスト」という言葉が特別な意味を持つようになる「変化」は、あくまでもイエスさまの復活の後の話です。マタイの第16章の時点でまだガリラヤ地方にいるイエスさまを、ペテロは「あなたはメシヤです」と呼んだのですが、ここをギリシア語に置き換えて「あなたはキリストです」と訳したことである誤解が生じています。「誤解」とは、この時点でペテロはすでにイエスさまの救世主としての本当の意味を知っていたという誤解です。この誤解を避けるために、原典が「キリスト」なのにも関わらず、[NLT]ではわざわざ「Messiah(メシヤ)」と書いているようです。この方法は[NLT]に独特なわけではなく、ほかにも同じことをしている聖書の版があるようです。

さてここからの第17節~第19節で「マタイ」独自の資料部分が挿入されます。第17節でイエスさまはペテロに「あなたは幸いです、ヨハネの息子シモンよ。なぜなら天の父がこのことをあなたに明かしてくださったからです。あなたはこのことを誰か人間から知ったわけではありません」と言います。イエスさまはシモンと呼びかけていますが、ペテロの名前はこの後の第18節で命名されるので、この時点ではまだシモンなのです。

ここでイエスさまは、天の神さまが人間には知り得ない、何か特別な秘密をペテロに明かしたのだ、というようなことを言っています。どうやらこの特別な秘密が、イエスさま=キリスト=死の三日後によみがえる救世主、という誤解部分のことのようなのです。

続いて第18節で、イエスさまはシモンをペテロと命名し、ペテロが「岩」の意味であることの意図として「この岩の上に」、つまりペテロの上に「私は私の教会を建てます」と宣言します。これはつまりペテロを教会の長として任命し、キリスト教会がペテロから始まることを示唆した言葉と受け取れます。そしてペテロから始まる教会は大変強力で「地獄のあらゆる力もそれを武力で奪うことは」ないとされます。

さらに第19節、イエスさまは「私はあなたに天の王国の鍵をあげましょう。あなたが地上で禁じるものは天でも禁じられ、あなたが地上で許すものは天でも許されます」と言ってペテロに「天国の鍵」を授けています。バチカンのシスティナ礼拝堂の『聖ペテロへの天国の鍵の授与』の絵や、ミケランジェロの『最後の審判』の中に描かれたペテロが手に鍵を握っているのは、この第19節の記述に基づいています。

さて議論の多い第17節~第19節の解釈ですが、まずこの時点でペテロが、イエスさまが死を克服して復活する人類の救世主であると考えて、「あなたはメシアです」「あなたはキリストです」と言ったとは考えられません。ペテロはこのすぐ後で、イエスさまのことをまったく理解していない発言をしてイエスさまから厳しくとがめられますし、イエスさまの十字架の場面でも一目散に逮捕の現場から逃げてしまいましたから。ペテロは純粋にユダヤ人の視点から、ダビデの王国の復活を待望して「あなたはメシアです(あなたがダビデの王国を復活する人です)」と言ったのです。ついにユダヤ人の長年の夢を実現する人物がイスラエルに現れた、それがあなたなのです、と。

しかし、第17節~第19節はどうもペテロがイエスさまの真の意味をこの時点で理解していた、という想定で書かれているようです。つまりマタイはペテロをキリスト教会の礎として持ち上げて賞賛するような記述を、ここに独自に加えているのです。これは想像するに「マタイの福音書」を残した教会(あるいは教会群)が、福音を伝えて信者を増やしていく伝道活動の中で、ペテロの立場を擁護して確立し、リーダーとしてのペテロに権威を与え、そうやって教会を運営していこうとしていたからではないかと思います。実際、福音書の中のペテロは十二使徒のリーダーのように振る舞いますし、イエスさま復活後の初期の教会で、ペテロがどれほど大きな役割を果たしたかは、ルカの「使徒の働き」やパウロの書簡の中でも明らかです。

ちなみに第19節は、旧約聖書のIsaiah 22:20-24(イザヤ書第22章第20節~第24節)の記述にとてもよく似ています。「20 その日、わたしは、わたしのしもべ、ヒルキヤの子エルヤキムを召し、21 あなたの長服を彼に着せ、あなたの飾り帯を彼に締め、あなたの権威を彼の手にゆだねる。彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。22 わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。23 わたしは、彼を一つの釘として、確かな場所に打ち込む。彼はその父の家にとって栄光の座となる。24 彼の上に、父の家のすべての栄光がかけられる。子も孫も、すべての小さい器も、鉢の類からすべてのつぼの類に至るまで。25 その日、-- 万軍の主の御告げ -- 確かな場所に打ち込まれた一つの釘は抜き取られ、折られて落ち、その上にかかっていた荷も取りこわされる。主が語られたのだ。」([新改訳])。旧約聖書の預言の実現を福音の中に強く打ち出すマタイの福音書ですから、ペテロの立場の擁護のために採用された言葉も、このあたりから引用しているのかも知れません。







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