マタイの福音書第15章第29節~第39節:イエスさまがたくさんの人々を癒やす、イエスさまが四千人に食べさせるマタイの福音書第15章第1節~第20節:イエスさまが内なる清らかさについて教える

2015年12月17日

マタイの福音書第15章第21節~第28節:ある異邦人女性の信仰

第15章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Faith of a Gentile Woman

ある異邦人女性の信仰


21 Then Jesus left Galilee and went north to the region of Tyre and Sidon.

21 それからイエスさまはガリラヤを離れて、北方のツロとシドンの地方へ行きました。

22 A Gentile woman who lived there came to him, pleading, “Have mercy on me, O Lord, Son of David! For my daughter is possessed by a demon that torments her severely.”

22 そこに住んでいた一人の異邦人の女性がイエスさまのところへ来て頼みました。「私をあわれんでください。主よ。ダビデの子よ。私の娘が悪霊に取りつかれていて、悪霊が娘をひどく苦しめるのです。」

23 But Jesus gave her no reply, not even a word. Then his disciples urged him to send her away. “Tell her to go away,” they said. “She is bothering us with all her begging.”

23 しかしイエスさまは彼女に何も、たった一言も答えませんでした。それから弟子たちがイエスさまに女性を追い払うように促して言いました。「彼女に向こうへ行くように言ってください。彼女が懇願するので、私たちを悩ませているのです。」

24 Then Jesus said to the woman, “I was sent only to help God’s lost sheep -- the people of Israel.”

24 イエスさまは女性に言いました。「私は神さまの迷える羊、イスラエルの人々を助けるだけのために遣わされたのです。

25 But she came and worshiped him, pleading again, “Lord, help me!”

25 しかし女性は来て、再び懇願しながらイエスさまを礼拝しました。「主よ。私を助けてください。」

26 Jesus responded, “It isn’t right to take food from the children and throw it to the dogs.”

26 イエスさまは答えました。「子どもたちのパンを取り上げて、犬に投げてやるのは正しくないことです。」

27 She replied, “That’s true, Lord, but even dogs are allowed to eat the scraps that fall beneath their masters’ table.”

27 女性は答えました。「その通りです、主よ。でも、たとえ犬でも主人の食卓から落ちるパンくずを食べることは許されています。」

28 “Dear woman,” Jesus said to her, “your faith is great. Your request is granted.” And her daughter was instantly healed.

28 イエスさまは女性に言いました。「女性よ、あなたの信仰は素晴らしい。あなたの願いは叶えられます。」 そして女性の娘は瞬時に癒やされました。




ミニミニ解説

マタイの福音書の第15章です。

今回の部分と同じ記述は「マルコ」に見られます。マルコのMark 7:24-30(マルコの福音書第7章第24節~第30節)、今回も前回の続きです。マタイの流れはこのところずっとマルコに沿っています。「24 イエスは、そこを出てツロ{とシドン}の地方へ行かれた。家に入られたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れていることはできなかった。25 汚れた霊につかれた小さい娘のいる女が、イエスのことを聞きつけてすぐにやって来て、その足もとにひれ伏した。26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。そして、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた。27 するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」 28 しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」 29 そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」 30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に伏せっており、悪霊はもう出ていた。」([新改訳])。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分は「マルコ」からの採用なのでしょうが、かなりマタイ独自の編集が入っているようです。

イスラエル北部のガリラヤ地方で伝道活動を行ってきたイエスさまが、イスラエルを離れて北方へ旅をします。前回エルサレムからファリサイ派がイエスさまが何をやっているのか確かめにやって来たので、ちょっとイスラエルを離れて様子を見ることにしたのかも知れません。

ツロとシドンはレバノンの地中海沿いの都市です。ガリラヤ湖北岸のカペナウムからツロまでが直線で30キロ、地中海沿いを20キロさらに北へ上がるとシドン、さらに20キロ上がるとベイルートです。ツロは世界史では「ティルス」と習う都市です。都市遺跡で有名で、ユネスコの世界遺産にも登録されています。現在はスールないしはティールと呼ばれています。シドンは現サイダで、レバノン第三の都市です。世界史ではティルス同様、フェニキアの主要都市国家として繁栄したと習いました。ここでも多数の遺跡が発掘されています。

レバノンは外国ですから住んでいる人たちはユダヤ人から見れば異邦人です。が、イエスさまの噂はここにも届いています。たとえばMark 3:7-8(マルコの福音書第3章第7節~第8節)を読むと、「7 それから、イエスは弟子たちとともに湖のほうに退かれた。すると、ガリラヤから出て来た大ぜいの人々がついて行った。また、ユダヤから、8 エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうやツロ、シドンあたりから、大ぜいの人々が、イエスの行なっておられることを聞いて、みもとにやって来た。」([新改訳])と書いてあり、ここにツロもシドンも登場していますから、ガリラヤ地方のイエスさまのところへは異邦人も多数押し寄せていたのです。

イエスさまが来ているとの噂を聞きつけた異邦人の女性(マルコによるとギリシア人)がイエスさまのところへやってきて懇願します。娘が悪霊に取りつかれているので助けて欲しいと言うのです。意外なことに、これまであらゆる人を癒やし助けてきたイエスさまはこの女性を助けません。その理由は「私は神さまの迷える羊、イスラエルの人々を助けるだけのために遣わされたのです」とあるように、イエスさまの伝道活動はユダヤ人を対象に行っているから、異邦人であるあなたは助けられないよ、と言うのです。

女性はあきらめずに懇願しますが、イエスさまは「子どもたちのパンを取り上げて、犬に投げてやるのはよくないことです」と追い打ちをかけます。旧約聖書の時代から、ユダヤ人から見る異邦人は犬扱いですし、ユダヤ人のパンを取り上げて犬である異邦人にあげるのは「正しくない(It isn’t right)」と言っています。

女性は「その通りです。主よ。でも、たとえ犬でも主人の食卓から落ちるパンくずを食べることは許されています」と返しました。これは素晴らしい返し方だと思います。女性は、その通りですとイエスさまの言葉を肯定した上で、自分を犬だとしています。

これは神さまの前に跪く人間のあるべき姿です。ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、全知全能であり、天地を創造された全宇宙の主である神さまの前に人は頭を地面にすりつけてひれ伏さなければなりません。本来は自分には神さまの恵みをいただく資格はないのだと、どれほど自分が神さまの期待を裏切りガッカリさせてきたのかをきちんと自覚しなければなりません。神さまに助けていただくこと、神さまの恵みを受けることを当たり前だと思ってはいけないのです。

それからこの女性は自分を犬だとしながらも、イエスさまから助けていただくことを決してあきらめていません。きっと自分の娘を助けるための最後の望みだと思っているのでしょう。なんとしてもイエスさまに助けていただかなければ、という必死の懇願です。追い払われてもどこまでもついていきます。

神さまはこうした正しいあるべき姿勢で助けを求める人を拒んだり、捨て置くことはありません。たとえそれが異邦人であろうと変わりはないことは旧約聖書から一貫して書かれていることです。イエスさまは女性の信仰の姿勢に感心し、女性の願いを叶えます。

今回の箇所からわかるのは、まずユダヤ人が神さまにとって特別な人たちだと言うことです。これは聖書を貫いて変わらない記述です。ユダヤ人は神さまがメッセージの運び手として特別に選ばれた民族なのです。だからと言って異邦人である私たちに神さまへの道が閉ざされているわけではありません。正しいあるべき姿勢で神さまにアプローチすれば、神さまはすべての人を救われるのです。







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