マタイの福音書第14章第22節~第36節:イエスさまが水の上を歩くマタイの福音書第14章第1節~第12節:洗礼者ヨハネの死

2015年12月18日

マタイの福音書第14章第13節~第21節:イエスさまが五千人に食べさせる

第14章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Feeds Five Thousand

イエスさまが五千人に食べさせる


13 As soon as Jesus heard the news, he left in a boat to a remote area to be alone. But the crowds heard where he was headed and followed on foot from many towns.

13 この知らせを聞くと、イエスさまはすぐに舟で出発して、一人になるために人里離れたところへ向かいました。しかし群衆はイエスさまがどこへ向かったかを聞いて、たくさんの町から歩いてイエスさまの後を追いました。

14 Jesus saw the huge crowd as he stepped from the boat, and he had compassion on them and healed their sick.

14 イエスさまが舟から上がると、たくさんの群衆を目にしました。イエスさまは群衆に同情を寄せて、病気を癒やしました。

15 That evening the disciples came to him and said, “This is a remote place, and it’s already getting late. Send the crowds away so they can go to the villages and buy food for themselves.”

15 その日の夜、弟子たちがイエスさまのところに来て言いました。「ここはへんぴなところです。時刻も遅くなりつつあります。群衆を解散させてください。そうすれば彼らは村に行って、自分たちの食物を買うことができます。」

16 But Jesus said, “That isn’t necessary -- you feed them.”

16 しかしイエスさまは言いました。「その必要はありません。あなた方が群衆に食べさせない。」

17 “But we have only five loaves of bread and two fish!” they answered.

17 「しかし私たちにはパンが五つと魚が二匹しかありません。」 弟子たちは答えました。

18 “Bring them here,” he said.

18 「それをここへ持って来なさい。」 イエスさまが言いました。

19 Then he told the people to sit down on the grass. Jesus took the five loaves and two fish, looked up toward heaven, and blessed them. Then, breaking the loaves into pieces, he gave the bread to the disciples, who distributed it to the people.

19 イエスさまは群衆に草の上に座るように言いました。イエスさまは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福しました。それからイエスさまはパンをばらばらに裂いて弟子たちに与え、弟子たちがそれを人々に配りました。

20 They all ate as much as they wanted, and afterward, the disciples picked up twelve baskets of leftovers.

20 人々は全員が食べたいだけ食べました。後で弟子たちが食べ残しを拾い集めると、かごに十二個分になりました。

21 About 5,000 men were fed that day, in addition to all the women and children!

21 その日、女性と子どもに加えて、男性五千人ほどが食べさせてもらいました。




ミニミニ解説

マタイの福音書の第14章です。第14章にはイエスさまの行った奇跡の話が書かれています。前回は洗礼者ヨハネがどのように殺されたのか、その様子が書かれていました。イエスさまの奇跡の話は今回の部分から始まります。

今回と同じ記述は、四つのすべての福音書に見られます。

まず「マルコ」です。前回の続きの部分で、Mark 6:31-44(マルコの福音書第6章第31節~第44節)です。「31 そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。32 そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。33 ところが、多くの人々が、彼らの出て行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ徒歩で駆けつけ、彼らよりも先に着いてしまった。34 イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。35 そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。36 みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」 37 すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」 38 するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」 39 イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。40 そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。41 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。42 人々はみな、食べて満腹した。43 そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。44 パンを食べたのは、男が五千人であった。」([新改訳])。

続いて「ルカ」です。Luke 9:10-14(ルカの福音書第9章第10節~第17節)です。「10 さて、使徒たちは帰って来て、自分たちのして来たことを報告した。それからイエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた。11 ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来た。それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。12 そのうち、日も暮れ始めたので、十二人はみもとに来て、「この群衆を解散させてください。そして回りの村や部落にやって、宿をとらせ、何か食べることができるようにさせてください。私たちは、こんな人里離れた所にいるのですから」と言った。13 しかしイエスは、彼らに言われた。「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」彼らは言った。「私たちには五つのパンと二匹の魚のほか何もありません。私たちが出かけて行って、この民全体のために食物を買うのでしょうか。」 14 それは、男だけでおよそ五千人もいたからである。しかしイエスは、弟子たちに言われた。「人々を、五十人ぐらいずつ組にしてすわらせなさい。」 15 弟子たちは、そのようにして、全部をすわらせた。16 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福して裂き、群衆に配るように弟子たちに与えられた。17 人々はみな、食べて満腹した。そして、余ったパン切れを取り集めると、十二かごあった。」([新改訳])。

最後に「ヨハネ」です。「ヨハネ」は四つの福音書の中では異色の福音書です。他の三つの福音書(「共観福音書」と呼ばれます)については、いつもここで、「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式を使って考察しているように、成立の過程での参照の形跡がうかがえますが、「ヨハネ」だけはまったく独立した本なのです。その「ヨハネ」にも同じエピソードが見つかると言うことは、この奇跡の話はよほど有名なエピソードだったのでしょう。John 6:1-15(ヨハネの福音書第6章第1節~第15節)です。「1 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。2 大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。3 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。4 さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」 6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」 8 弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。9 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」 10 イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。12 そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」 13 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。14 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。15 そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。」([新改訳])。

いつものように「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分は記述がほぼ同じ「マルコ」からの採用です。前回同様、マタイはマルコの記述を簡略化しているようです。

前回は洗礼者ヨハネがどのように殺されたのか、その様子が書かれていました。ヨハネの弟子たちはヨハネの死体を引き取って埋葬し、それからイエスさまに事の次第を報告に行きました。今回の冒頭の第13節の「この知らせを聞くと」がその報告にあたります。「マルコ」と同様、「マタイ」でもイエスさまはヨハネの死をきっかけに伝道活動を次のステップに進めたように書かれています。

ヨハネの死の知らせを聞いたイエスさまは、「マタイ」では自分一人で舟で出発したように書かれています。「マルコ」は弟子たちとイエスさまが行動を共にしています。どちらにしてもあまりにもたくさんの人がイエスさまのまわりに四六時中押しかけてくるので、気持ちの休まるときがなかったのでしょう。イエスさまは一度、静かな場所でゆっくりとお祈りをして、神さまと話がしたかったのだと思います。

第13章の終わりでイエスさまは生まれ故郷のナザレへ行っています。ナザレは内陸ですので舟には乗れません。イエスさまのガリラヤ地方での活動拠点は、ガリラヤ湖北岸のカペナウムですから、ここから舟に乗って出発したと考えるのが自然でしょうか。ルカには「ベツサイダという町へひそかに退かれた」と書かれています。ベツサイダはやはりガリラヤ湖北岸の町で、カペナウムの東5キロほどのところにありますから、舟でカペナウムからベツサイダの方面へ向かったと考えて良いかも知れません。ベツサイダはペテロとアンデレの兄弟の出身地と言われています。

群衆は最長で5キロの道のりを湖畔を歩いてイエスさまの舟を追いかけて先回りします。イエスさまはそれを見ると、「マルコ」には「彼らが羊飼いのいない羊のように見えた」と書いてあります。羊はとても珍しい動物なのだそうで、およそサバイバルの能力に乏しいのです。自分でエサも見つけられなければ帰巣本能もない、攻撃されたらとりあえず逃げるだけ、ウールになる体毛は人が刈らなければ伸び放題です。人が手入れを怠ると体毛が汚れてすぐに病気になってしまうとか。いったいどうしてこんな動物がいるのか理解に苦しみます(人に飼われるため?)。

イエスさまは一心にイエスさまだけを頼りについてくる群衆を見て、まるで羊飼いのいない羊のようだと思ったのでした。羊は先導する何か(たとえば羊飼いや群れの中の一頭)について集団で動く習性があります。自分だけを見つめてついてくる群衆が、イエスさまには羊の群れに見えたのです。イエスさまは結局一人になることをあきらめて舟を下ります。そうして人々に話をしたり、病気を癒やしたりしました。イエスさまが舟を下りた場所は、カペナウムとベツサイダの間のあたりではないか、と想定できます。

そうこうしているうちに日が暮れてきます。カペナウムへ戻るにしても、ベツサイダまで行くにしても少し距離があります。弟子たちは暗くならないうちに解散した方が良いと考えて、イエスさまに提案しますが、イエスさまは「あなた方が食べさせない」と言います。男だけで五千人です。女性や子供入れたら一万人以上の群衆かも知れません。何という無茶を言う師でしょうか。

「ヨハネ」によると現実派のピリポが「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません」と客観的な分析を述べています。一デナリは当時のほぼ一日分の賃金だそうです。現代に置き換えると日当五千円とか八千円とか、そういう感じでしょうか。二百デナリなら百万円くらいのお金です。仮に一万人いたとして、百万円だとひとりあたり百円ですね。なるほど現実的な計算です。

どうなるのかと思っているときに事態を打開したのは、やはり「ヨハネ」によると行動派のアンデレでした。神さまが求めるのは信仰に基づく行動です。アンデレは群衆の中にいた少年が大麦パン五つと小さい魚二匹を持っているのを見つけてきたのです。イエスさまにはそれだけで十分なのでした。イエスさまはその食べ物を手に取り、天を見上げお祈りをします。それからパンを割きながら弟子に渡して行きます。弟子はそれを50~100人単位で草の上に座っている人々に順番に配っていく・・・。

不思議なことにイエスさまの手の中のパンはいつまでたってもなくなりません。裂いては渡し、裂いては渡し、その作業はいつまでも続くのです。果たしていつまで続いたのでしょうか。それは一万人の群衆が食べたいだけ食べるまででした。もう誰もパンが欲しいと言わなくなったので、弟子たちは配るのをやめて食べ残しを回収しました。そうしたらなんと十二のかごが一杯になったのです。たった五つのパンからスタートしたのに、です。

不思議な話です。これ以上の説明はありません。ただ「尽きない食べ物」という意味では旧約聖書に類似の話があります。1 Kings 17:8-16(列王記第1第17章第8節~第16節)です。冒頭、主(神さま)から言葉を受ける「彼」と書かれているのは、旧約聖書最強の預言者エリヤです。シドンはいまのレバノンにあるサイダの町のことです。地中海沿岸のレバノン第三の町です。なので登場する未亡人の女性は異邦人(外国人)です。当時は神さまがイスラエルの王アハブに怒って雨を止めたので、一帯は水不足で大変なことになっていました。

「8 すると、彼に次のような主のことばがあった。9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」 10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」 11 彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」 12 彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」 13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。14 イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」 15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。16 エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。」([新改訳])。

ユダヤ人はみんなこの話を知っているのです。だからイエスさまはエリヤに匹敵するか、それ以上の預言者なのだろうと考えるのです。イエスさまが神さまから遣わされた存在であることを疑いません。「ヨハネ」では最後に人々がイエスさまを「王とするために、むりやりに連れて行こうと」しています。これは場合によるとヘロデに対して暴動を起こそうとして、イエスさまをそのリーダーに担ぎ上げようとしていたのかも知れません。荒野で指導者のまわりに5千人の男性が集結していたら、それを暴動の準備ととらえれても反論できないでしょう。







english1982 at 21:00│マタイの福音書 
マタイの福音書第14章第22節~第36節:イエスさまが水の上を歩くマタイの福音書第14章第1節~第12節:洗礼者ヨハネの死