マタイの福音書:第14章マタイの福音書第13章第47節~第52節:漁の網のたとえ話

2015年12月19日

マタイの福音書第13章第53節~第58節:イエスさまがナザレで拒絶される

第13章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Rejected at Nazareth

イエスさまがナザレで拒絶される


53 When Jesus had finished telling these stories and illustrations, he left that part of the country.

53 これらのたとえ話を話し終えると、イエスさまはその地域を後にしました。

54 He returned to Nazareth, his hometown. When he taught there in the synagogue, everyone was amazed and said, “Where does he get this wisdom and the power to do miracles?”

54 イエスさまは郷里のナザレに戻りました。そこの会堂で教えると、みなが驚いて言いました。「彼はどこでこんな知恵と、奇跡を行う力を得るのだろう。

55 Then they scoffed, “He’s just the carpenter’s son, and we know Mary, his mother, and his brothers -- James, Joseph, Simon, and Judas.

55 それから人々は冷やかしました。「彼はただの大工の息子です。私たちは彼の母親のマリヤと彼の兄弟のヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダを知っています。

56 All his sisters live right here among us. Where did he learn all these things?”
56 彼の妹たちもみなここで私たちといっしょに住んでいます。彼はどこでこういうことを学んだのでしょう。」

57 And they were deeply offended and refused to believe in him. Then Jesus told them, “A prophet is honored everywhere except in his own hometown and among his own family.”

57 人々は激しく腹を立て、イエスさまを信じることを拒みました。イエスさまは人々に言いました。「預言者は、自分の郷里と家族の間を別にすれば、あらゆる場所で尊敬されるのです。」

58 And so he did only a few miracles there because of their unbelief.

58 それでイエスさまは、人々の不信仰のため、ほんのいくつかの奇跡しか行いませんでした。




ミニミニ解説

マタイの福音書第13章の最後の部分です。今回と同等の記述はマルコとルカにあります。

マルコはMark 6:1-6(マルコの福音書第6章第1節~第6節)です。「1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。4 イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」 5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。」([新改訳])。ここはマタイの今回の部分とよく似ています。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分は「マルコ」からの引用ということです。

ルカにはイエスさまがどのようにして郷里の人々の不信や怒りを招き、人々がどれほどイエスさまに対して気分を害したかが、より具体的に書かれています。Luke 4:16-30(ルカの福音書第4章第16節~第30節)です。「16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」 20 イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」 22 みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。23 イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」 24 また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。25 わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、26 エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。27 また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、ツァラアトに冒された人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」 28 これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、29 立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。30 しかしイエスは、彼らの真ん中を通り抜けて、行ってしまわれた。」([新改訳])。

会堂に集まった人々はイエスさまに注目しています。それは郷里のナザレにもイエスさまがカペナウムの周辺で行った奇跡の技のうわさが伝わっているからです(ナザレはカペナウムの南西15キロくらいのところにあります)。そして人々はイエスさまの話の内容に驚愕します。それまでに一度も聞いたことのないような、聖書の書き手である神さまの意志を伝えるような権威を感じさせる話だったからです。

ところがやがて冷やかしの声が上がり始めます。イエスさまがどれほどほかの聖書の先生とは異なる、わかりやすく思慮に富んだ話をしても、故郷の人たちから見れば、イエスさまは小さい頃から知っている同じイエスさまなのです。逆によく知っているからこそ妬ましいし、度を超えた発言をするのは許しがたいのです。自分のよく知っている人だから、逆にその人の大成功を心の底から喜べない体質、これは沈黙を金とし、出る杭を打つようなハイコンテクスト文化の日本人には、理解しやすい気質ではないでしょうか(日本人とユダヤ人はとてもよく似ていると言われ、そのような本がたくさん出ています)。

イエスさまが反感を買った経緯は、ルカの記述からもうかがい知ることができます。イエスさまは会堂で旧約聖書のイザヤ書を引用して話をしました。引用箇所はIsaiah 61:1-3(イザヤ書第61章第1節~第3節)です。「1 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、2 主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。」([新改訳])。

これはイザヤが将来のどこかで出現するであろう救世主を預言した箇所です。イエスさまはここを引用して読んで後、「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」と言っています。つまり、このイザヤの言葉は自分(イエスさま)が来たことで実現したのですよ、つまり自分こそがイザヤ書に預言された救世主なのですよ、と宣言しているのです。

ナザレの人たちには、小さい頃からよく知っているイエスさまの口から、これほどの大それた言葉を直接聞かされるのは耐えられませんでした。一方のイエスさまは、ほかの町で得られた反響が郷里のナザレでは得られないため、人々の不信仰に怒って、聖書から引用する形で、どれほど過去に神さまから派遣された預言者たちが故郷で歓迎されなかったか、預言者たちを適切に扱わなかった人々が神さまからどんな仕打ちを受けたかを話しました。これは火に油を注ぐ結果となって、人々はイエスさまを崖から突き落として殺そうとまでしています。こんな状態ですから、以前にも登場したように、ナザレに住むイエスさまの家族はイエスさまに一日でも早く伝道活動をやめてもらいたかったのでしょう。







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