マタイの福音書第13章第53節~第58節:イエスさまがナザレで拒絶されるマタイの福音書第13章第44節~第46節:秘密の財宝と真珠のたとえ話

2015年12月19日

マタイの福音書第13章第47節~第52節:漁の網のたとえ話

第13章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Parable of the Fishing Net

漁の網のたとえ話


47 “Again, the Kingdom of Heaven is like a fishing net that was thrown into the water and caught fish of every kind.

47 また天の王国は、海に投げ込まれ、あらゆる種類の魚を捕らえた漁の網のようなものです。

48 When the net was full, they dragged it up onto the shore, sat down, and sorted the good fish into crates, but threw the bad ones away.

48 網がいっぱいになったので、人々は網を岸へ引き上げ、座って、良い魚はかごに入れましたが、悪い魚は捨てました。

49 That is the way it will be at the end of the world. The angels will come and separate the wicked people from the righteous,

49 世の中の終わりもそのようになります。天使たちが来て、正しい人たちの中から邪悪な人たちを分離します。

50 throwing the wicked into the fiery furnace, where there will be weeping and gnashing of teeth.

50 邪悪な人たちを灼熱の炉に投げ込み、そこでは涙が流され、歯ぎしりが聞こえます。

51 Do you understand all these things?” “Yes,” they said, “we do.”

51 あなた方は、これらのことすべてがわかりますか。」彼らは言いました。「はい。わかります。」

52 Then he added, “Every teacher of religious law who becomes a disciple in the Kingdom of Heaven is like a homeowner who brings from his storeroom new gems of truth as well as old.”

52 それからイエスさまは付け加えました。「天の王国で弟子となる律法の先生はどの人も、倉の中から、古い宝石と同じように新しい宝石を取り出す家主のようなものです。」




ミニミニ解説

マタイの福音書の第13章にはイエスさまの話したたとえ話が書かれています。今回の「漁の網のたとえ話」が最後のたとえ話です。このたとえ話はマルコにもルカにも見つかりません。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分はマタイの「独自の資料」と言うことになります。

内容は「麦と雑草のたとえ話」とほぼ同じです。イエスさまによる種明かしも書かれています。聖書の周辺で「終末論」として信じられている「この世の終わり」に起こる出来事についてです。つまり世の中の終わりには神さまが天使を使ってすべての人間を善と悪の二つのグループに分けます。そして邪悪とされた人たち(麦と雑草のたとえ話では「サタンに属する人」)は、燃えさかる炉の中に投げ込まれ、そこで涙を流しながら歯ぎしりをするのです。しかし今回も神さまが何を基準に善と悪を分けるかは書かれていません。

第51節~第52節は第13章で話されたたとえ話のまとめです。マタイだけに登場します。最後の最後に第52節で「天の王国で弟子となる律法の先生」についてのたとえ話をしています。ここではそれは「倉の中から古い宝石と同じように新しい宝石を取り出す家主のようなもの」だとされています。

「律法の先生」は長く厳しい専門教育課程を経た聖書の専門家のことです。イエスさまの時代には、聖書の先生の多くはファリサイ派に所属していました。が、ここでは「律法の先生」に、「天の王国で弟子となる」と言う修飾がついています。つまりイエスさまを信じる「律法の先生」と言うこととなります。

マタイの教会はどうやら、ファリサイ派などのユダヤの保守派層を出身母体としてできた教会です。マタイの教会に属する律法の先生はどの人も「倉の中から、古い宝石と同じように新しい宝石を取り出す」のです。この二つの宝石は、旧約聖書に書かれている神さまの約束と、イエスさまを通して開示された旧約聖書に秘められていた奥義、「福音」と呼ばれる新しい約束のことだと思います。イエスさまを信じる律法の先生は、旧約聖書と新約聖書を新しいパラダイムに沿って教えられる先生です。

マタイの教会に所属したこれらの先生は旧約聖書に精通していたからこそ、どれほどイエスさまが旧約聖書に書かれた預言を実現しているか、どれほど旧約聖書がイエスさまを救世主として指し示しているかが理解できました。だから旧約聖書に基づいて、どれほどイエスさまを信仰することが正しいことかを説明できる人たちなのです。







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