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2015年12月19日

マタイの福音書第13章第44節~第46節:秘密の財宝と真珠のたとえ話

第13章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Parables of the Hidden Treasure and the Pearl

秘密の財宝と真珠のたとえ話


44 “The Kingdom of Heaven is like a treasure that a man discovered hidden in a field. In his excitement, he hid it again and sold everything he owned to get enough money to buy the field.

44 天の王国とは、ある人が畑に隠されていた財宝を見つけたようなものです。その人は興奮して、その財宝を再び隠し、その畑を買うのに十分なお金を得るために持ち物を全部売り払いました。

45 “Again, the Kingdom of Heaven is like a merchant on the lookout for choice pearls.

45 また天の王国とは、最上級の真珠を捜している商人のようなものです。

46 When he discovered a pearl of great value, he sold everything he owned and bought it!

46 その商人は大変価値のある真珠を見つけると、持ち物を全部売り払ってそれを買いました。




ミニミニ解説

マタイの福音書の第13章にはイエスさまの話したたとえ話が書かれています。今回の部分は「秘密の財宝のたとえ話」と「真珠のたとえ話」の二つのたとえ話です。

今回と同じ記述は、マルコにもルカにも見つかりません。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分はマタイの「独自の資料」と言うことになります。

今回のたとえ話についてはイエスさまの種明かしはありませんので、これまでの流れに沿って、裏に隠されたたとえ話の真の意味を類推してみます。

イエスさまのたとえ話は、ずっと神さまの王国のことを話してきていますから、畑に隠されていた財宝も、最上級の真珠も、それぞれ神さまの王国を象徴していると考えるのが自然だと思いました。神さまの王国は「終末論」で信じられているように、これから先の未来のどこかで実際に物理的に実現するのですが、その実現を待ついまの時点でも、自分が神さまを王として崇め、神さまを信じ愛することで、自分の心の中に神さまの支配を実現してスタートさせることが出来るとイエスさまは教えました。そうやって神さまを信仰すると、神さまからの祝福や恩恵が有り余るほどに降り注いで来ます。実際にそれを受け止めてみて、あぁ、本当に神さまはいるんだと実感し、最初は小さく始まった王国が、その人の心の中でますます大きく育って行くのです。

でもそんな風に、その人の心の中で神さまの王国が大きく育っていることは、周囲の人からはまったくわかりません。その人の心の中にまさかキラキラ輝く神さまの王国があることは、周囲の人に気づかれることはありません。それはまるで畑の中に埋めて隠された財宝のようであり、海の底の貝殻の中に眠る真珠のようです。真珠は、いまでこそ養殖されてたくさんの商品が出回っていますが、当時の真珠は、藻やフジツボがたくさん付着した汚らしい貝殻を開けると、中からキラキラと純白に輝く宝石が出てくるのですから、それはそれは驚異の宝物だったはずです。畑に埋められた財宝の方も、特に畝(うね)などもなく、作物もイバラもぼうぼうと生え放題の畑の下に、誰かがそんなにすごい財宝を埋めたとは、誰にも想像できません。

神さまの王国とはそんな風にまったく予想外の場所に、人に気づかれない場所にひっそりと隠されているものなのです(少なくとも「終末論」が実現するまでの間は)。そして神さまの王国、あるいは神さまへの信仰は、財宝や真珠のように大変な価値があるものなので、もしそれを見つけたら、なんとしても、場合によっては他のすべてのものを投げ出してでも、とにかく手に入れなさい、と言っています。

マタイの教会が福音を伝えていた当時のユダヤ人は、本当にすべてを投げ出す覚悟でないと、神さまへの信仰を福音書に書かれた形で実践することはできませんでした。このたとえ話は、ユダヤ人の共同体を棄てて壮絶な覚悟で教会に加わり、迫害に耐えながら伝道の日々を送る信者を鼓舞する意味で使われていたのかも知れません。

でもいまの日本では、神さまの王国を手に入れる代償はそれほど高くつかないのではないでしょうか。聖書は安いものなら1000円もしないでどこででも手に入るし、国際化が進んで個人の自由が尊重される風潮はますます強まってきているので、教会に通うことをいちいちとがめられることも減っています。聖書や福音に触れる機会もたくさんあります。聖書や福音に最初に手を伸ばすことは、「その畑を私に売ってください」、「その汚い貝を私に売ってください」と言うのと同じです。売る側の人にしても、その商売を端から眺めている人にしても、この人はどうしてこんな畑が欲しいのか、どうしてこんな汚い貝殻が欲しいのか、その価値も意味もよくわからないのかも知れません。いま私たちのまわりには、こっそりと最高の財宝を手に入れるチャンスがいっぱいです。







english1982 at 19:00│マタイの福音書 
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