マタイの福音書第13章第44節~第46節:秘密の財宝と真珠のたとえ話マタイの福音書第13章第24節~第30節:麦と雑草のたとえ話

2015年12月19日

マタイの福音書第13章第31節~第43節:からし種のたとえ話、パン種のたとえ話、麦と雑草のたとえ話の説明

第13章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Parable of the Mustard Seed

からし種のたとえ話


31 Here is another illustration Jesus used: “The Kingdom of Heaven is like a mustard seed planted in a field.

31 ここにイエスさまが用いたもうひとつの例があります。「天の王国は畑に蒔かれた、からし種のようなものです。

32 It is the smallest of all seeds, but it becomes the largest of garden plants; it grows into a tree, and birds come and make nests in its branches.”

32 からし種はあらゆる種の中でもっとも小さいのですが、菜園の野菜の中でもっとも背が高くなります。からし種は木に育ち、鳥が来て枝に巣を作ります。



Parable of the Yeast

パン種のたとえ話


33 Jesus also used this illustration: “The Kingdom of Heaven is like the yeast a woman used in making bread. Even though she put only a little yeast in three measures of flour, it permeated every part of the dough.”

33 イエスさまはまた、この例も用いられました。「天の王国は女性がパンを作るのに使ったパン種のようなものです。女性が三つの単位の小麦粉に、ほんの少量のパン種を入れただけなのに、それはパン生地のあらゆる部分に行き渡りました。」

34 Jesus always used stories and illustrations like these when speaking to the crowds. In fact, he never spoke to them without using such parables.

34 イエスさまは群衆に話をするときには、いつもこのように話や例を用いました。実際のところ、イエスさまはたとえ話を使わないで話をしたことはありませんでした。

35 This fulfilled what God had spoken through the prophet: “I will speak to you in parables. I will explain things hidden since the creation of the world.”

35 これは神さまが預言者を通して話されたことを実現しました。「私はあなた方にたとえ話を使って話す。私は世界の創造のときから隠されてきた事柄を説明する。」



Parable of the Wheat and Weeds Explained

麦と雑草のたとえ話の説明


36 Then, leaving the crowds outside, Jesus went into the house. His disciples said, “Please explain to us the story of the weeds in the field.”

36 それからイエスさまは群衆を外に残して家に入りました。イエスさまの弟子たちが言いました。「私たちに畑の雑草の話を説明してください。」

37 Jesus replied, “The Son of Man is the farmer who plants the good seed.

37 イエスさまは答えました。「人の子が、良い種を蒔く農夫です。

38 The field is the world, and the good seed represents the people of the Kingdom. The weeds are the people who belong to the evil one.

38 畑は世の中です。良い種は王国の人々のことです。雑草は邪悪な者に属する人たちのことです。

39 The enemy who planted the weeds among the wheat is the devil. The harvest is the end of the world, and the harvesters are the angels.

39 小麦の中に雑草を植えた敵は悪魔です。収穫はこの世の終わりのことで、刈り手は天使です。

40 “Just as the weeds are sorted out and burned in the fire, so it will be at the end of the world.

40 雑草が別に分けられて火の中で燃やされたように、この世の終わりにもそうなります。

41 The Son of Man will send his angels, and they will remove from his Kingdom everything that causes sin and all who do evil.

41 人の子は天使たちを遣わし、天使たちは王国から、罪をもたらす者と邪悪を行う者すべてを取り除きます。

42 And the angels will throw them into the fiery furnace, where there will be weeping and gnashing of teeth.

42 そして天使たちはその者たちを燃えさかる炉へ投げ込みます。そこでは涙が流され、歯ぎしりが聞こえます。

43 Then the righteous will shine like the sun in their Father’s Kingdom. Anyone with ears to hear should listen and understand!

43 それから正しい者は父の王国で太陽のように輝きます。耳のある人は注意深く聞いて理解しなさい。




ミニミニ解説

マタイの福音書の第13章にはイエスさまの話したたとえ話が書かれています。今回の部分には「からし種のたとえ話」と「パン種のたとえ話」の二つのたとえ話と、前回の「麦と雑草のたとえ話」についての説明が書かれています。順番に見ていきましょう。

「からし種のたとえ話」はマルコとルカに見られます。

マルコは、Mark 4:30-32(マルコの福音書第4章第30節~第32節)です。

「30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」」([新改訳])。

ルカは、Luke 13:18-19(ルカの福音書第13章第18節~第19節)です。

「18 そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。19 それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分は記述がほぼ同じ「マルコ」からの採用と言うことになります。

「からし種」はカラシナ(アブラナ科)の種のことでしょうか。栽培する場合は10~12月頃に細かな種を蒔きます。すると背丈がぐんぐん伸びて1~1.5メートルに達します。春にはアブラナ科らしい黄色い花を咲かせます。果たしてカラシナが鳥が巣を作れるほどの木なのかどうかはわかりませんが、言わんとしていることは、小さな種の粒が短期間で驚くほど大きな植物に育つ自然の不思議を用いて、たとえ話にしているのです。

ではそうやって小さく始まって驚くほど大きく育つ「天の王国(the Kingdom of Heaven)」とは何のことなのでしょうか。宇宙を創造した神さまは、きっとどこか私たちには存在を知ることができない「天国」に存在しているのでしょう。私たちは漠然と天国はどこか「上」にあると思っていますが、それが物理的にどれくらい上のことなのか(宇宙の外側?)、あるいは私たちの物理の常識を越えた空間(違う次元の?)なのかは知る由もありません。が、その「天国」という空間はきっと最初から想像を絶するほど広大なのではないでしょうか。

では小さく始まって大きく育つ天国とは何のことなのか。Luke 17:20-21(ルカの福音書第17章第20節~第21節)に次の記述があります。「20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」([新改訳])。

ファリサイ派の人が「神さまの国はいつ来るのか」とイエスさまに聞きます。「神さまの国」とは神さまが王として君臨し、地球上の誰もが神さまの存在を認知してひれ伏す、そんな王国のことです。日本人なら誰でも皇居に天皇がいることを知っています。それと同じように全知全能の神さまが王として君臨して支配いることを、自分の五感で理解できるのが神さまの王国ですから、それが実現するときには神さまの存在に対する疑いは何もありません。そのとき、王として神さまに従うか、逆らうかは、それぞれの人の選択になります。それがいつ来るのかは、聖書の周辺では「終末論」として論じられます。

一方、その神さまの王国が来るまでの間、遠い昔、旧約聖書の頃から神さまは「神さまを信じる人」「神さまを愛する人」を特別扱いにしています。何名かの例外を別にして、この神さまを信じる人たちが、実際の天国や実際の神さまの姿を自分の目で見ることはありません。しかしこの人たちは、神さまの存在を強く感じ、神さまからの恩恵と祝福を享受します。つまり人と神さまとの関係は心の中に築かれる信仰に基づくのです。「終末論」の神さまの王国では全知全能の神さまが物理的に世界を支配しますが、その日が来る前であっても、自分の心の中で神さまの支配を受け入れて神さまに服従するのなら、そこはすでに神さまの王国なのです。そうやって自分の心に神さまを信じる信仰を持てば、いまこのときからでも、まるで神さまの王国に住むのと同じ恩恵と祝福を享受できる、イエスさまはこれを「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」と表現しています。そのような心の中の神さまの王国は、最初は小さく始まっても短期間で驚くほど大きく育つのです。


次の「パン種のたとえ話」はルカに見られます。Luke 13:20-21(ルカの福音書第13章第20節~第21節)です。

「20 またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。21 パン種のようなものです。女がパン種を取って、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分はイエスさまの語録集である「Q資料」からの採用となります。

ここに書かれているパン種はパンを作るとき使うイースト菌や酵母菌のことです。水で練った小麦粉に少量のパン種を加えると、菌は短い時間でパン生地全体のすみずみにまで広がって生地を大きくふくらませます。このたとえ話も、からし種のたとえ話と同様、始まりは小さくとも驚くほど大きく育つ不思議を例に取り上げています。

この後ろに書かれている第34節と第35節ですが、第34節はMark 4:33-34(マルコの福音書第4章第33節~第34節)に類似の記述があります。「33 イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。34 たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。」([新改訳])。

第35節はマタイにだけ見つかる記述です。マタイはイエスさまがたとえ話を使うのは預言の実現だとして旧約聖書を引用しています。引用箇所はおそらくPsalms 78(詩編第78章)の最初の部分からと思われます。第1節~第4節を引用します。「1 私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。2 私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。3 それは、私たちが聞いて、知っていること、私たちの先祖が語ってくれたこと。4 それを私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行なわれた奇しいわざとを。」([新改訳])。これを預言の実現と言っても良いのかについては議論があるかも知れませんが。


さて三つ目は、前回語られた「麦と雑草のたとえ話」の種明かしです。せっかく種を蒔いた小麦畑に、誰かがこっそりとドクムギを植えていく話でした([NLT]では「weed」という単語が使われているため、私は「雑草」と訳しています)。ドクムギは特別な菌(麦角菌)が付着しやすい植物で、麦角菌が生み出す有毒のカビが、ときに中毒症状を引き起こすのでした。この植物は若いうちは小麦と判別しづらく、根も小麦と絡み合っているため、せっかく植えた小麦畑に植えられては大変厄介です。農夫は、収穫の時期まで両方とも育つままにしておいて、刈り入れの時にはドクムギを別にして集めて束にして燃やしてしまうように、小麦は納屋に納めるように、と指示しました。

イエスさまの種明かしは、農夫は人の子、畑は世の中、良い種は王国の人々、ドクムギは邪悪な者に属する人たち、ドクムギを植えたのは悪魔、収穫はこの世の終わり、刈り手は天使とのことです。

「人の子」がイエスさまが自分を呼ぶときに好んで使った呼称であることは、このメルマガでも何度か触れています。全体を整理すると、イエスさまが世の中に神さまに属する人々を増やしますが、悪魔はその間に邪悪な者に属する人たちを増やしていきます。「邪悪な者」とは悪魔の王のサタンのことでしょう。いまの時代には神さまに属する人とサタンに属する人の区別は難しく、サタンに属する人たちが幅をきかせて、神さまに属する人たちは苦労しますが、この世の終わりになると両者はわかりやすく判別できるようになります。そのときにはイエスさまが天使を遣わし、天使は人間を二つのグループにより分けて、サタンに属する人たちを燃えさかる炉の中へ投げ込み、一方、神さまに属する人々は天国で太陽のように輝くのです。

「麦と雑草のたとえ話」はマルコにもルカにも見つかりません。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分はマタイの「独自の資料」と言うことになります。これは聖書の周辺で信じられている「終末論」の要約です。似たような終末論の物語は聖書のあちこちに登場します。マタイの教会がこのたとえ話を使って、どのような人たちをサタンに属する人として想定しているのかはここからはわかりませんが、そのような人たちはこの世の終わりには必ず滅ぼされるのだ、と言っています。

マタイの教会は保守的なユダヤ層から出発した教会のようで、外部にたくさんの敵を抱えていたはずです。この物語のポイントは小麦とドクムギは若いうちには区別しづらいところにあるので、サタンに属する人とは、マタイの教会を目の敵にしてあからさまな攻撃や迫害を仕掛けてくる保守派のユダヤ人のことではなく、もしかすると教会の内部にいたり、あるいは同じようにイエスさまを信じると言って振る舞いながら、実はマタイの教会の教義から見て危険な存在である、そんな人たちを警戒するたとえ話なのかも知れません。







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