マタイの福音書第12章第22節~第37節:イエスさまと悪霊の王子マタイの福音書第12章第9節~第14節:イエスさまが安息日に癒す

2015年12月20日

マタイの福音書第12章第15節~第21節:イエスさま、神さまが選んだしもべ

第12章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus, God’s Chosen Servant

イエスさま、神さまが選んだしもべ


15 But Jesus knew what they were planning. So he left that area, and many people followed him. He healed all the sick among them,

15 しかしイエスさまはファリサイ派の人たちが何を企てているかを知っていました。そこでイエスさまはその地域を去り、たくさんの人たちがイエスさまに従いました。イエスさまは人々の中の病人をすべて癒しました。

16 but he warned them not to reveal who he was.

16 が、イエスさまは人々に自分が誰かを知らせて欲しくありませんでした。

17 This fulfilled the prophecy of Isaiah concerning him:

17 このことはイエスさまに関するイザヤの預言を実現しました。

18 “Look at my Servant, whom I have chosen. He is my Beloved, who pleases me. I will put my Spirit upon him, and he will proclaim justice to the nations.

18 「私の選んだ私のしもべを見なさい。彼は私の最愛の人であり、私を喜ばせてくれます。私は彼の上に私の霊を置き、彼は諸国に対して正義を宣言します。

19 He will not fight or shout or raise his voice in public.

19 彼は戦うことも、叫ぶことも、人前で声をあげることもしません。

20 He will not crush the weakest reed or put out a flickering candle. Finally he will cause justice to be victorious.

20 彼は弱い葦を折らず、ちらちらと燃えるろうそくを消すこともありません。最後に彼は正義に勝利させるのです。

21 And his name will be the hope of all the world.”

21 そして彼の名前は全世界の希望となります。」




ミニミニ解説

マタイの第12章、今回は前回の安息日についてのイエスさまとファリサイ派の会堂での直接対決の場面の続きです。ファリサイ派はイエスさまが安息日の慣習法を守らず、その一方では病の癒しの奇跡を行って民衆の支持を集めていくのを見てイエスさまの殺害を企てました。イエスさまはファリサイ派が何を考えているのかを知り、その地を去ります。

今回と同様の記述はマルコに見つかります。Mark 3:7-12(マルコの福音書第3章第7節~第12節)です。「7 それから、イエスは弟子たちとともに湖のほうに退かれた。すると、ガリラヤから出て来た大ぜいの人々がついて行った。また、ユダヤから、8 エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうやツロ、シドンあたりから、大ぜいの人々が、イエスの行なっておられることを聞いて、みもとにやって来た。9 イエスは、大ぜいの人なので、押し寄せて来ないよう、ご自分のために小舟を用意しておくように弟子たちに言いつけられた。10 それは、多くの人をいやされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押しかけて来たからである。11 また、汚れた霊どもが、イエスを見ると、みもとにひれ伏し、「あなたこそ神の子です」と叫ぶのであった。12 イエスは、ご自身のことを知らせないようにと、きびしく彼らを戒められた。」([新改訳])。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、ここは「マルコ」からの採用となりますが、「マタイ」は「マルコ」の記述をかなり省略しているようです。

イエスさまが移動するとたくさんの人がイエスさまについてきます。マルコの記述によると、近くからも遠くからも、イエスさまの噂を聞きつけて本当に大勢の人がイエスさまに従って来たようです。いろいろな理由で人々はイエスさまのところへ集まって来たのでしょうが、イエスさまの癒しの奇跡を期待していた人がたくさんいたはずです。イエスさまが瞬時に病を癒してしまうという噂を聞きつけて、一度はあきらめていた人たちが、藁にもすがるつもりでイエスさまのところへやって来たのです。そして第15節によると、イエスさまは群衆の中の病人をすべて癒してしまいました。

人々はこの癒しの奇跡に驚き、喜び、感涙し、イエスさまを声の限りに褒め称えたでしょうが、第16節によると、イエスさまはそのことを広く知らしめて欲しくなかったのです。第16節は、[NLT]の拙訳では「自分が誰か」を知らせて欲しくなかったと、やや意味深に書いてありますが、直訳に近いと思われる[KJV]では「And charged them that they should not make him known(イエスさまは人々に自分のことを知らせないように命じました:拙訳)」と書いてあります。

「マタイ」は、イエスさまが人々にそのように求めた理由を書くのではなく、このことは旧約聖書の預言を実現したのだ、として、イザヤ書を引用しています。引用箇所は、Isaiah 42:1-4(イザヤ書第42章第1節~第4節)です。「1 見よ。私のささえる私のしもべ、私の心の喜ぶ私が選んだ者。私は彼の上に私の霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。2 彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。3 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。4 彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。」([新改訳])。

ここはイザヤ書の中に書かれている救世主についての預言の一部です。神さまが「私のしもべ」について語る言葉をイザヤが預かって預言しています。イザヤ書は紀元前700年頃の本ですから、イエスさまの時代から700年前の本になります。第2節の「彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない」のあたりを引いて、イエスさまが自分のことを広く知られることを嫌ったのは、あらかじめここで預言されていたのだ、と言っているのでしょうが、それにしてもこの預言はすごいな、と思います。「私は彼の上に私の霊を授け」と言うのは洗礼者ヨハネによる洗礼の後で鳩の姿をした聖霊がイエスさまの上に降り立ったことを指し、「彼は国々に公義をもたらす」は、イエスさまの説いた言葉が聖書として編纂されて、ついにはたくさんの外国語にも翻訳されて世界の国々に流布されるようになり、その中でイエスさまが神さまの意志、つまり「公義」を語ったことを言っているかのようです。「マタイ」の記述者は、自分が記述している福音書そのものが後の世で果たす役割のことなど、そしてそのことまでもを含めてイザヤが預言をしていたことなど、まったく考えていなかったでしょう。

第21節に書かれている、「そして彼の名前は全世界の希望となります」は、[KJV]では「And in his name shall the Gentiles trust.(異邦人は彼の名を信じる:拙訳)」、[新改訳]では「異邦人は彼の名に望みをかける」となっていて、ここがイザヤ書の引用部分の最後の「島々も、そのおしえを待ち望む」に対応するのでしょう。ユダヤ人の中から登場したイエスさまはユダヤ人によって十字架にかけられた後、死からよみがえって使徒たちに聖霊を与えます。その使徒たちはエルサレムから飛び出して外国人の間にイエスさまの福音を伝えて行きます。信者は急速に外国人の中に増殖していきます。これらのことが紀元前700年頃に書かれたイザヤ書の中ですでに預言されていたのです。









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