マタイの福音書第11章第25節~第30節:イエスさまの感謝の祈りマタイの福音書第11章第1節~第19節:イエスさまと洗礼者ヨハネ

2015年12月21日

マタイの福音書第11章第20節~第24節:不信心者への裁き

第11章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Judgment for the Unbelievers

不信心者への裁き


20 Then Jesus began to denounce the towns where he had done so many of his miracles, because they hadn’t repented of their sins and turned to God.

20 それからイエスさまは、イエスさまがたくさんの奇跡を行った町々を非難し始めました。なぜならそれらの町々は罪を悔いず、神さまに向き直らなかったからです。

21 “What sorrow awaits you, Korazin and Bethsaida! For if the miracles I did in you had been done in wicked Tyre and Sidon, their people would have repented of their sins long ago, clothing themselves in burlap and throwing ashes on their heads to show their remorse.

21 「どれほどの悲しみがあなた方を待ち受けるであろうか、コラジンよ、ベツサイダよ。なぜならあなた方の町で私が行った奇跡の数々を、もし私が邪悪なツロとシドンで行なっていたなら、人々は良心の呵責を示すために粗い布をまとい、頭に灰をかけて、ずっと以前に自分たちの罪を悔いていたであろうから。

22 I tell you, Tyre and Sidon will be better off on judgment day than you.

22 あなた方に言っておきます。裁きの日にはツロとシドンの方が、あなた方よりもずっとましなのです。

23 “And you people of Capernaum, will you be honored in heaven? No, you will go down to the place of the dead. For if the miracles I did for you had been done in wicked Sodom, it would still be here today.

23 そしてカペナウムの人たちよ、あなた方が天国で褒められるでしょうか。いいえ、あなた方は死者の場所へと降りていくのです。なぜなら私があなた方のために行った奇跡の数々が、もし邪悪なソドムで行われていたなら、ソドムは今日も残っていたでしょう。

24 I tell you, even Sodom will be better off on judgment day than you.”

24 あなた方に言っておきます。裁きの日にはソドムの方が、あなた方よりもずっとましなのです。」




ミニミニ解説

前回までイエスさまは、群衆に対して洗礼者ヨハネの話をしていましたが、イエスさまの言葉は神さまと正しく向き合おうとしないユダヤ人に対しての非難の色を濃くしていきます。今回は、イエスさまが初期に伝道の活動を行ったガリラヤの町々の人たちが厳しく非難されています。

今回と同様の記述はルカの福音書第10章に見つかります。ここは「ルカ」だけに記載されている、十二人の使徒とは別に「イエスさまが70人を選んで人々のところへ派遣した場面」で、イエスさまがその弟子たちに伝えた言葉の中です。途中から引用します。Luke 10:8-15(ルカの福音書第10章第8節~第15節)です。「8 どの町に入っても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。9 そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた』と言いなさい。10 しかし、町に入っても、人々があなたがたを受け入れないならば、大通りに出て、こう言いなさい。11 『私たちは足についたこの町のちりも、あなたがたにぬぐい捨てて行きます。しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。』 12 あなたがたに言うが、その日には、その町よりもソドムのほうがまだ罰が軽いのです。13 ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちの間に起こった力あるわざが、もしもツロとシドンでなされたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰の中にすわって、悔い改めていただろう。14 しかし、さばきの日には、そのツロとシドンのほうが、まだおまえたちより罰が軽いのだ。15 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。」([新改訳])。

マタイでは洗礼者ヨハネの話からの展開で、ヨハネや自分の言葉に耳を傾けない不信心なユダヤ人への非難となりましたが、ルカではイエスさまが送り出した弟子たちを受け入れようとしない町々を不信心な町として非難するところからの展開です。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、ここもイエスさまの語録集である「Q資料」から採用と考えられます。編集のされ方は異なりますが、町々に対する非難の言葉がイエスさま自身の言葉であることはわかります。

ガリラヤの町々に対する非難は二つのグループに整理できます。コラジンとベツサイダはツロとシドンに比較され、カペナウムはソドムと比較されます。

コラジンという町は聖書の他の箇所には登場しません。ガリラヤ地方にあった町なのでしょうが、現在は場所の特定が難しいようです。近年の発掘でどうやらガリラヤ湖北岸のカペナウムから北へ3~4キロの位置にあったとされ、会堂(シナゴーグ)の遺跡が見つかっています。ベツサイダはやはりガリラヤ湖北岸の町です。ガリラヤ湖には北岸に上流から川が流れ込む河口がありますが、カペナウムはその川の西側、ベツサイダは東側になります。二つの町は5キロも離れていません。John 1:44(ヨハネの福音書第1章第44節)は十二使徒の一人のピリポを説明した箇所ですが、ここには「ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。」([新改訳])と書かれています。

カペナウムはイエスさまのガリラヤ伝道の拠点となった町です。イエスさまはカペナウムに長期間滞在し、カペナウムからガリラヤ地方の伝道へ出かけ、再びカペナウムへ戻ります。その間に数々の奇跡がこの町で行われたことが福音書に記述されています。カペナウム、ベツサイダ、コラジンは互いに数キロしか離れていません。周辺には実際にイエスさまの奇跡を目撃した人もいれば、噂を伝え聞いた人も多かったはずです。近隣からもイエスさまの噂を聞きつけて、たくさんの人が押し寄せたことでしょう。それにも関わらず、神さまと正しく向き合おうとしなかったこれらの町の人々が厳しく非難されます。

コラジンとベツサイダが、まだましだ、と比較されたツロとシドンは、「シドンとティルス」と書いた方が世界史を勉強された方には馴染みがあるかも知れません。どちらも紀元前15世紀頃から地中海で都市国家を形成したフェニキア人の代表的な都市です。シドン(Sidon)は現在は「サイダ(Saida)」と呼ばれています。地中海に面し、ベイルートを南下したところにあるレバノン第三の都市です。ティルス(Tyrus)は、やはりレバノン南西部の地中海沿いの町で、シドンをさらに南下した場所にあります。紀元前2500年頃まで遡れるほどの古い都市で、もともとは陸地から1キロほど離れた小島だったのですが、後に陸地から州をつなげて半島にしました。ここの都市遺跡はユネスコの世界遺産にも登録されています。

フェニキア人はユダヤ人から見れば邪教を信仰する悪徳の異邦人なのです。たとえば旧約聖書の「Isaiah 23」(イザヤ書第23章)は、ツロとシドンに対する預言宣告になっています。長いですがそのまま引用します。「1 ツロに対する宣告。タルシシュの船よ。泣きわめけ。ツロは荒らされて、家も港もなくなった、とキティムの地から、彼らに示されたのだ。2 海辺の住民よ。黙せ。海を渡るシドンの商人はあなたを富ませていた。3 大海によって、シホルの穀物、ナイルの刈り入れがあなたの収穫となり、あなたは諸国と商いをしていた。4 シドンよ、恥を見よ、と海が言う。海のとりでがこう言っている。「私は産みの苦しみをせず、子を産まず、若い男を育てず、若い女を養ったこともない。」 5 エジプトがこのツロのうわさを聞いたなら、ひどく苦しもう。6 海辺の住民よ。タルシシュへ渡り、泣きわめけ。7 これが、あなたがたのおごった町なのか。その起こりは古く、その足を遠くに運んで移住したものを。8 だれが、王冠をいただくツロに対してこれを計ったのか。その商人は君主たち、そのあきゅうどは世界で最も尊ばれていたのに。9 万軍の主がそれを計り、すべての麗しい誇りを汚し、すべて世界で最も尊ばれている者を卑しめられた。10 タルシシュの娘よ。ナイル川のように、自分の国にあふれよ。だが、もうこれを制する者がいない。11 主は御手を海の上に伸ばし、王国をおののかせた。主は命令を下してカナンのとりでを滅ぼした。12 そして仰せられた。「もう二度とこおどりして喜ぶな。しいたげられたおとめ、シドンの娘よ。立ってキティムに渡れ。そこでもあなたは休めない。」 13 見よ、カルデヤ人の国を。-- この民はもういない。アッシリヤ人がこれを荒野の獣の住む所にした。-- 彼らは、やぐらを立てて、その宮殿をかすめ、そこを廃墟にした。14 タルシシュの船よ。泣きわめけ。あなたがたのとりでが荒らされたからだ。15 その日になると、ツロは、ひとりの王の年代の七十年の間忘れられる。七十年が終わって、ツロは遊女の歌のようになる。16 「立琴を取り、町を巡れ、忘れられた遊女よ。うまくひけ、もっと歌え、思い出してもらうために。」 17 七十年がたつと、主はツロを顧みられるので、彼女は再び遊女の報酬を得、地のすべての王国と地上で淫行を行う。18 その儲け、遊女の報酬は、主にささげられ、それはたくわえられず、積み立てられない。その儲けは、主の前に住む者たちが、飽きるほど食べ、上等の着物を着るためのものとなるからだ。」([新改訳])。ほかにも旧約聖書にはアモス書やエゼキエル書にツロとシドンを非難する預言が書かれていますが、コラジンとベツサイダに比べれば、これらの都市はまだましだ、とイエスさまは言うのです。

カペナウムが、まだましだ、と比較されたソドムは「ソドムとゴモラ」の組み合わせで馴染みがある名前だと思います。旧約聖書の「Genesis(創世記)」の中で、神さまが天から硫黄と火を降らして滅ぼしたとされる都市です。ユダヤ人の父祖であるアブラハムは、しばらく甥のロトと一緒に暮らしていましたが、お互いの羊の群れが大きくなって牧夫同士の争いが始まると、無用の争いを避けるために住む場所を分けることにしました。そのときにロトが住む場所に選んだのがソドムとゴモラの近くです。

その後、Genesis 18:20-21(創世記第18章第20~第21節)で神さまの使い三人がアブラハムの前に現れて「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。([新改訳])」と言い、アブラハムは神さまがソドムとゴモラを滅ぼすつもりであると知ります。アブラハムはロトの身を気遣って、どうしても滅ぼすのかと食い下がります。神さまの使いは、もし町に正しい者をたった10人見つけることができたら町を滅ぼすことはしないと約束してアブラハムと別れます。

神さまの使いはソドムの町の外でロトと出会い、ロトに家に迎えられますが、Genesis 19:4-5(創世記第19章第4節~第5節)で、「彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。そしてロトに向かって叫んで言った。「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」([新改訳])というような状態に陥ります。この町の男たちが要求する「彼らをよく知りたい」と言うのは、「彼らと性交をしたい」の意味とのことです。これを見て神さまの使いはソドムとゴモラを滅ぼすことにし、命からがら脱出したロトの家族の後ろで、ソドムとゴモラの町の上へ天から硫黄の火が降り注ぎます。ソドムは町の中からすべての男と言う男が出てきて、旅の者を暴力でなぶり者にさせろと要求するような町です(ちなみに英単語の「Sodomite(ソドム人)」は「男色者, 獣姦者」の意味を持ちます)。そんな町もカペナウムに比べればまだましだと言うのです。

どうしてこれほどまでに非難されるのでしょうか。それはカペナウム、ベツサイダ、コラジンの人たちが、旧約聖書の中にも例を見ないほどの奇跡の技を直接目にし、イエスさまの説教の言葉を直接耳にした人たちだからでしょう。それほどの説得力を持つ伝道に直接触れながら、神さまと正しく向き合わなかった、そのことが非難されているのです。特にイエスさまの伝道の本拠地であったカペナウムについては、あなた方は死者の場所へと降りていく、[KJV]では「shalt be brought down to hell(拙訳:地獄へ堕とされる)」と厳しく断罪されています。








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