マタイの福音書第9章第9節~第13節:イエスさまがマタイを呼ぶマタイの福音書:第9章

2015年12月23日

マタイの福音書第9章第1節~第8節:イエスさまが麻痺した男を癒す

第9章





(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Heals a Paralyzed Man

イエスさまが麻痺した男を癒す


1 Jesus climbed into a boat and went back across the lake to his own town.

1 イエスさまは舟に乗り込み、湖を渡って自分の町へ帰りました。

2 Some people brought to him a paralyzed man on a mat. Seeing their faith, Jesus said to the paralyzed man, “Be encouraged, my child! Your sins are forgiven.”

2 何人かの人が、イエスさまのところへ身体の麻痺した人を床に載せて運んで来ました。この人たちの信仰を見て、イエスさまは麻痺した人に言いました。「元気を出しなさい、私の子よ。あなたの罪は許されます。」

3 But some of the teachers of religious law said to themselves, “That’s blasphemy! Does he think he’s God?”

3 ところが律法学者たちの中には独り言を言う人たちがいました。「あれは冒涜だ。彼は自分が神だと思っているのか?」

4 Jesus knew what they were thinking, so he asked them, “Why do you have such evil thoughts in your hearts?

4 イエスさまは彼らが何を考えているのかを知っていましたので、彼らにたずねました。「なぜあなた方は心の中にそんな邪悪な考えを抱くのですか。

5 Is it easier to say ‘Your sins are forgiven,’ or ‘Stand up and walk’?

5 『あなたの罪は許される』と言うのと、『立って歩きなさい』と言うのと、どちらが易しいでしょうか。

6 So I will prove to you that the Son of Man has the authority on earth to forgive sins.” Then Jesus turned to the paralyzed man and said, “Stand up, pick up your mat, and go home!”

6 それでは人の子が地上で罪を許す権限を持っていることを、あなた方に証明しましょう。」 それからイエスさまは麻痺した男の方を向いて言いました。「起きなさい。床を持ちなさい。家に帰りなさい。」

7 And the man jumped up and went home!

7 するとその人は跳ね起きて家へ帰りました。

8 Fear swept through the crowd as they saw this happen. And they praised God for sending a man with such great authority.

8 これが起こるのを見ると群衆の中に畏怖が拡がりました。そして群衆はこれほどのすごい権威を持つ人を送ってくれたことについて、神さまを褒め称えました。




ミニミニ解説

第9章も第8章から引き続き、イエスさまの奇跡の話が続きます。今回と同じ記述は「マルコ」と「ルカ」にも見られます。いつものように、「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、今回の部分は「マタイ」と「ルカ」が「マルコ」から採用したと考えられます。いつものように「マルコ」と「ルカ」のそれぞれの記述を見てみます。

「マルコ」は、Mark 2:1-12(マルコの福音書第2章第1節~第12節)です。「1 数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。3 そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。4 群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。6 ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。7 「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」 8 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。9 中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、11 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。」([新改訳])。

「ルカ」は、Luke 5:17-26(ルカの福音書第5章第17節~第26節)です。「17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」 22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。26 人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た」と言った。」([新改訳])。

これらを読むと「マタイ」では話が大幅に省略されていることがわかります。場面はガリラヤ湖北岸の町、カペナウムのどこかの家です。イエスさまが戻ったとの噂を聞きつけて、そこには群衆がたくさん集まって来ていて、イエスさまはその人たちに向かって話をしていました。もしかすると場所は再びペテロとアンデレの家だったのかも知れません。

群衆に交じってイエスさまの話を聞きに来ていた律法学者(the teachers of religious law)は聖書とユダヤ文化についての専門教育を受けた人たちで、各集落にある会堂(シナゴーグ)で人々に聖書を教えたり、コミュニティの中でも中心的な役割を果たしていました。律法学者の大半はファリサイ派に所属しています。ファリサイ派は政治結社であり、イスラエルの最高議決機関であるサンヘドリンにも議席を持っています。ローマ帝国の支配下で、ファリサイ派やサドカイ派のように、イスラエルの中央で限定的な統治権限を委ねられていた人たちは、国内のどこかにイエスさまのような宗教指導者が出現したと聞くと、この噂に敏感に反応し、そこへ出向いていって様子を探りました。もしそういう指導者が群衆を扇動して反ローマ帝国の武装蜂起などを起こし、その鎮圧のためにローマ帝国軍が出動するような事態になると、せっかくの既得権益が失われてしまいかねないからです。

麻痺した男は、「イエスさまはどんな病でも瞬時に癒す」との噂にすがって、床の四隅を四人の仲間たちが持って床に寝かされたまま運ばれて来ましたが、家の入り口にまで人があふれていてとても中へ入れません。そこで彼らは家の屋根へ登ります。当時の一般的なユダヤ人の家は外部の壁伝いの階段で屋根へ上れるようになっています。屋上は土と藁を混ぜた材料で平らに作ってあったので、それをバリバリとはがして屋根にポッカリと穴を開けて、そこから麻痺した男を、床に載せたまま、イエスさまの目の前へ吊り下ろしたのです。

イエスさまは、イエスさまの治癒の能力を信じて行動を起こしたこの人たちの信仰を見て、麻痺した人に「子よ。あなたの罪は赦されました」と言いましたが、これは運んできた人たちにも周囲の人たちにも意外な言葉です。「罪が許された?」 意味がよくわかりません。何度か書いてきていますが、「罪(sin)」は神さまの期待に背くこと、神さまをガッカリさせること、神さまに対する裏切りの行為です。神さまの善悪の基準は大変高く、さらに神さまは人の心をご覧になるので、私たちは誰一人として神さまの期待に100%応えて生きることはできません。私たちは例外なく必ずどこかで神さまをガッカリさせています。

「罪」は神さまにとっては「汚(けが
)れ」にあたります。神聖な存在である神さまは「汚れ」に触れることはできません。ですから私たちは誰一人として神さまのいる天国に入ることはできないのです。人間は、神さまがわざわざ自分の姿を映して創造したほどの存在ですから、神さまは人間を愛していますが、神さまは自分の神聖さ故に人間を天国へ迎えることができないのです。もし人間が天国に入るとしたら、その前に神さまによる「罪の許し」が行われなければなりません。聖書の律法が定める「罪の許し」の条件は、身代わりになって死ぬ動物のいけにえの血です。イエスさまは、イエスさまを信じて行動を起こした人たちの信仰を見て、「あなたの罪は赦されました」と言いました。ここからわかるのはイエスさまを信じる気持ち、すなわち「信仰」が「罪の許し」につながったということです。

これを聞いていた律法学者は「冒涜だ」と言いました。「罪」は神さまに対する裏切りなので、それを許すという行為は、神さまだけがすることです。それにも関わらず、人に向かって「あなたの罪は許されました」と言うのは、まるで自分が神さまのように振る舞っていることになります。律法では冒涜は死罪です。全会衆がその人に石を投げつけて殺すことになっています。イエスさまは律法学者たちの考えていることを読んで、『あなたの罪は許された』と言うのと、『起きて床をたたんで歩け』と言うのと、どちらが易しいか、と問います。この問いも解釈が難しいところです。『あなたの罪は許された』は誰にでも言えます。しかしその人の罪が許されたかどうかをその場で証明することはできません。ですが、『起きて床をたたんで歩け』と言った場合、身体が麻痺してこれまで何年も寝たきりだった人が人々の前で起き上がって歩かなければなりません。ですから言葉に出して言うという意味においては、『あなたの罪は許された』の方が容易ということになります。

イエスさまは「人の子が地上で罪を許す権限を持っていることをあなた方に証明するために」とことわった上で、「起きなさい。床を持って家へ帰りなさい」と言います。「人の子」はイエスさまが好んで自分を呼んだ呼称です。罪を許すことも、麻痺を癒すことも、神さまでなければできないことはわかっています。そうであれば、いますぐにたくさんの目撃者の前で証明することができる、病の癒しをやって見せましょう、と言うのです。するとこの病人は突然起き上がり、寝床をたたんで持って自分で歩いて家へ帰ります。長い間寝込んでいれば足は萎えて身体も衰弱しているはずなのに、跳び起きて寝床を抱えて自分の足で歩いて行ったのです。この人が長い間病んで寝込んでいたことは、運んできた四人の友人だけでなく、町に住んでいる人ならほとんどが知っていたでしょう。ですから見ている人はみな驚いてしまいました。自分の目で神さまの技を見てしまった怖さが家中に拡がります。そして人々は口々に神さまを褒め称えます。

イエスさまは、イエスさまを信じて行動を起こした人たちの信仰を見て、「あなたの罪は許されました」と言い、私たちには意味がわかりませんでした。麻痺を癒してもらおうと思って連れてきたのに、それに対する言葉が「あなたの罪は許されました」では、果たして麻痺が癒されるのかどうか、よくわからないからです。つまり私たちにとって最大の関心事は麻痺が癒されるかどうかだったのですが、イエスさまにとっての関心事は「罪が許されるか」なのです。麻痺の癒しは「人の子が地上で罪を許す権限を持っていることを証明するために」やったにすぎません。これは罪の許しを受けて天国の神さまの元へ行くこと、神さまの王国を待ち望むことが第一義であり、それが成し遂げられれば、いま私たちが苦難と感じる事柄は、天国には存在しないからでしょう。








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