マタイの福音書第8章第5節~第13節:ローマ帝国軍将校の信仰マタイの福音書:第8章

2015年12月24日

マタイの福音書第8章第1節~第4節:イエスさまがハンセン病に冒された人を癒す

第8章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Heals a Man with Leprosy

イエスさまがハンセン病に冒された人を癒す


1 Large crowds followed Jesus as he came down the mountainside.

1 イエスさまが山から降りて来ると、多くの群衆がイエスさまについて来ました。

2 Suddenly, a man with leprosy approached him and knelt before him. “Lord,” the man said, “if you are willing, you can heal me and make me clean.”

2 突然、ハンセン病に冒された人がひとり、イエスさまに近づきイエスさまの前にひざまずきました。男は言いました。「主よ、もしあなたがお望みであれば、あなたは私を癒し、私を清くすることができます。」

3 Jesus reached out and touched him. “I am willing,” he said. “Be healed!” And instantly the leprosy disappeared.

3 イエスさまは手を伸ばして男に触れました。イエスさまは言いました。「私は望みます。癒されなさい。」 すると瞬時にハンセン病が消えてなくなりました。

4 Then Jesus said to him, “Don’t tell anyone about this. Instead, go to the priest and let him examine you. Take along the offering required in the law of Moses for those who have been healed of leprosy.  This will be a public testimony that you have been cleansed.”

4 イエスさまは男に言いました。「このことは誰にも話してはいけません。代わりに祭司のところへ行き、あなたを検査してもらいなさい。モーゼの律法が定める、ハンセン病が癒された人に求められる捧げ物を持って行きなさい。それがあなたが清められたということの、公の証明となります。」




ミニミニ解説

「マタイ」の第8章はイエスさまが山から降りて来たところから始まります。これは第5章から第7章が「山の上の説教」としての「説教集」に位置づけられているので、山の上でひととおりの話を終えたイエスさまが山から降りて来たという展開です。

イエスさまは第4章では伝道の本拠地をガリラヤ湖北岸のカペナウムの町に置き、そこを拠点にガリラヤ地方一帯を回っていましたので、降りてきた場所もカペナウム周辺と想定するのが自然です。また第5章~第7章の「山の上の説教」は、ただ一度の山の上で行われた説教のように書かれていますが、これはイエスさまが伝道活動のあちらこちらで話された語録をこのような形に編集していると考えられます。イエスさまが屋外で群衆や弟子たちに教える場面も少なからずあったと言うことでしょう。

伝道活動を行うイエスさまには、弟子たちの他にも多くの群衆が従って歩いていました。そこへ「ハンセン病に冒された人」が近づいてきます。これは「a man with leprosy」を訳したもので、「leprosy」を辞書で調べると「ハンセン病」と書かれています。ハンセン病患者を英語で「leper」と言います。ハンセン病は「らい菌」がもたらす重い皮膚病の感染症で、病名は1873年に「らい菌」を発見したノルウェーの学者にちなみます。「ハンセン氏病」「らい風」とも呼ばれます。らい菌の発見以前はハンセン病に似た症状の皮膚病を広く「らい病」と呼んでいたため、聖書に書かれた「leprosy」が今日のハンセン病かどうかは正確にはわかりません。なお、日本で「らい病」は差別用語のようです。このため[新改訳]聖書はあえて「ハンセン病」や「らい病」などの言葉を使わず、原語のヘブライ語をそのまま使って「ツァラアト」と訳しています。ハンセン病に感染して発症すると、末梢神経が侵され、知覚障害、運動障害、自律神経障害が出ます。病気のタイプにもよりますが、やがて皮膚症状が現れて独特の奇怪な外観になります。皮膚の構造破壊が進むと鼻、耳、指などの末端部分が崩れ落ちて欠損してしまうこともあります。

今回、このハンセン病に冒された人はイエスさまに近づいて来て、イエスさまの前にひざまずきますが、これはユダヤ社会では律法違反となります。旧約聖書のLeviticus(レビ記)には祭司がハンセン病患者を診察して判断を下すための症例がたくさん書かれていますが、その中でLeviticus 13:45-46(レビ記第13章第45節~第46節)には次のように書かれています。「45 患部のあるそのツァラアトの者は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。46 その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。」([新改訳])。ここに書かれた内容によるとハンセン病であると祭司に宣言された者は共同体から離れて一人で住み、もし他の人に近づく必要があるときには自分が来ることについて遠くの方から警告を発する目的で、口をおおって「汚(けが)れている!汚れている!」と叫ばなければならないのです。

今回の場面の様子を思い描いてみましょう。イエスさまに従って歩く群衆にハンセン病患者の男が近づいてくると、人々は悲鳴を上げて我先にと離れて行きます。イエスさまの周囲から見ると、少し遠くの方から人々の悲鳴や怒号が聞こえて来て、何かが近づいて来ることがわかります。遠くから見ると一人の男の周囲にだけポッカリと広い空間ができていて、その空間が少しずつこちらへ近づいてきます。そして人々は男がイエスさまに近づいていく様子を遠巻きに見守ります。男がいよいよイエスさまに近づくと、弟子たちも慌てて離れて行きます。こいつは何をしているんだ、先生も早く逃げなければいけないのに、とハラハラしていたことでしょう。遠巻きに見守る人たちの輪の中心にイエスさまとハンセン病患者の人だけが取り残されます。あろうことか、この人はそのままイエスさまの前まで進んでひざまずきます。どうしてイエスさまが逃げないのか、何が起こっているのか、人々には理解できません。

男の人がイエスさまに言うのが聞こえます。「主よ、もしあなたがお望みであれば、あなたは私を癒し、私を清くすることができます」。なるほどこの人は、どのような病でも治してしまうと言うイエスさまの噂を聞いて、律法違反を犯してまでも、最後の希望にすがりつく思いでイエスさまのところへやって来たのです。するとあろう事かイエスさまは自分の手を伸ばしてこのハンセン病の人に触れます。周囲から動揺と驚きのどよめきが上がります。まさかハンセン病の人に自分から直接触れるだなんて。そしてイエスさまの声が聞こえます。「私は望みます。癒されなさい。」

第3節には「すると瞬時にハンセン病が消えてなくなりました」と書かれています。これは大変な驚きです。ハンセン病患者には重い皮膚症状が現れて独特の奇怪な外観を呈し、鼻や耳や指が失われている上、運動障害を起こして上手に歩くことさえできなかったはずです。ところがこの人にイエスさまが触れた瞬間、失われていた鼻や耳や指が、まるでフィルムが逆回転するかのように元通りに再生し、全身の皮膚が健康なピンク色の張りを取り戻し、顔からは独特の浮腫(むくみ)が引いてしまいます。そしてこの人が立ち上がると背筋がピンと伸びて誰よりも健康に見えるのです。これほどドラマチックな癒しの奇跡はないと思います。人々の動揺と驚きは喚起と賞賛の声に代わり、人々は二人の回りに集まって来ます。

イエスさまは男に祭司のところへ行くように告げます。これはハンセン病の診断を下すのは祭司であるとモーゼの律法書に書かれているからです。またハンセン病が治ったときには、二羽の生きている小鳥、杉の木、緋色の撚り糸、ヒソプ(聖書に出てくる植物)を使って清めの儀式をすることが定められています。

ところで「ハンセン病」は聖書の中では「罪(sin)」の象徴として描かれています。これを読み違えてハンセン病にかかった人は何かの重い罪を犯して神さまから罰を下されたとの解釈が行われ、そうやってハンセン病患者に差別を加えてきた歴史がありましたが、これは間違いです。何度も書いているように聖書の「罪」とは神さまの期待を裏切ること、神さまをガッカリさせることを言い、これに基づけば「罪」を持たない人間はいないのです。すべての人間が例外なく罪人です。ハンセン病患者の症状が私たちの目から明らかなように、神さまの目にはすべての人間が罪に汚れている様子がハッキリと見えるということです。しかし人間を愛し慈しむ神さまは、人間が「自分は汚れている」と自分の罪を謙虚に認め、「癒し、清めて欲しい」と願うのであれば、そういう人には神さまの側から手を差し伸べてくださるのです。ちょうど今回、イエスさまが手をさしのべたように、です。神さまは人間を罪から救う方法をご自身の側で用意されました。それがイエスさまの血による罪の購い(あがない)です。救世主イエスさまを通じた罪の救済を信じ、それを信じると表明した人が「許し」を得るときに起こる出来事は、きっと今回ハンセン病の人が瞬時に癒されたようにドラマチックな出来事なのでしょう。

なお今回の話は「マルコ」にも掲載されています。Mark 1:40-45(マルコの福音書第1章第40節~第45節)です。「40 さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」 41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」 42 すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。43 そこでイエスは、彼をきびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた。44 そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。」 45 ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中に入ることができず、町はずれの寂しい所におられた。しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来た」([新改訳])。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この話は「マルコ」から採用されたことになります。「マタイ」は山の上の説教の後に、この話を位置づけて、第8章以降をイエスさまの奇跡の話で構成していきます。







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