マタイの福音書第6章第5節~第18節:祈りと断食についての教えマタイの福音書:第6章

2015年12月26日

マタイの福音書第6章第1節~第4節:貧乏な人たちに施すことについての教え

第6章


(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Teaching about Giving to the Needy

貧乏な人たちに施すことについての教え


1 “Watch out! Don’t do your good deeds publicly, to be admired by others, for you will lose the reward from your Father in heaven.

1 気をつけなさい。他の人たちに賞賛されるために公然と善行をしてはいけません。それはあなた方が天の父からの報いを失うからです。

2 When you give to someone in need, don’t do as the hypocrites do -- blowing trumpets in the synagogues and streets to call attention to their acts of charity! I tell you the truth, they have received all the reward they will ever get.

2 あなた方が困窮している誰かに与えるときには、偽善者たちがやるようにやってはいけません。偽善者たちは会堂や街角でラッパを吹き鳴らして、慈善の行為に注意を惹きつけようとしています。私はあなた方に本当のことを言います。彼ら偽善者たちは、彼らが受け取るすべての報いをすでに受け取っているのです。

3 But when you give to someone in need, don’t let your left hand know what your right hand is doing.

3 ですがあなた方が困窮している誰かに与えるときには、あなた方の右手のしていることを左の手に教えてはいけません。

4 Give your gifts in private, and your Father, who sees everything, will reward you.

4 贈り物は内証で与えなさい。あなた方の父はすべてが見える方なので、あなた方に報いてくださいます。




ミニミニ解説

第6章は第5章に引き続きイエスさまの語録集です(「マタイ」の第5章~第7章はイエスさまの語録集になっています)。今回は貧しい人に施しをする善行についての教えです。

ここでは善行を「公然と(in public)」行うことが批判されていますが、それはどうやらイエスさまの時代に、律法を一つも違えずに守ることを公言して民衆の支持を集めていたファリサイ派の人たちが、「善行を行うことは正しいこと」として、それを公然と行っていたからです。ファリサイ派が当時、どのように善行を行っていたか、その様子が一部ここにも書かれています。つまり「偽善者たちは会堂や街角でラッパを吹き鳴らして、慈善の行為に注意を惹きつけようと」していたのです。ファリサイ派の律法学者たちは額や腕に律法を象徴する十戒を納めた大きな箱をくくりつけ、ことさらに大きな房のついたマントのような服を着て、人々の目を惹きつけようとしていました。人々はファリサイ派が通りかかると地面にひれ伏して賞賛したのです。そしてファリサイ派が何かの善行を行おうとするときには、今回の記述によるとファンファーレのようにラッパが吹き鳴らされていたと言うのでしょうか。イエスさまはこういう見せかけのための善行を、表面だけを取り繕って中身はドロドロに汚れている偽善行為だとして繰り返し批判します。

私たちが善行をするときには、第4節にあるように、「内証で」するようにと書かれています。それは第3節にあるように、自分の右手がしている善行を、自分の左手さえ知らないくらい、こっそりと行いなさい、と言うのです。そして第4節には、それをすべて見ている天の父がいて、その方が私たちに報いてくださるのです。たとえばJeremiah 20:12(エレミヤ書第20章第12節)が「正しい者を調べ、思いと心を見ておられる万軍の主よ」([新改訳])と書き始められているように、神さまは行為ばかりでなく、人の心をご覧になり、それによってどのように人に報いるかを決めているのです。1 Samuel  16:7(第1サムエル記第16章第7節)の最後の部分には次のように書かれています。「(主は)人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」([新改訳])。

なお「報いてくださる」の部分は英語では「will reward you」と、確率を示す「probably」などの副詞や「I think」「I believe」などの節を伴わない、単体の「will」を使った未来形で書かれていますから、これは話者であるイエスさまが、天の父による報いの起こることが確実であるとの確信を持って語っていることを示しています。

逆に第1節では、人の前で公然と善行を行うと「あなた方は報いを失う(you will lose the reward)」と書かれています。「失う(lose)」と言うのは「すでに持っているものをなくす」ことです。そのことは第2節の終わりに、「彼ら(偽善者たち)は彼らが受け取るすべての報いをすでに受け取っている(they have received)」と完了形を使って書かれていて、と言うことは、公然と善行を行う偽善者たちは受け取ったものを失っていく一方で、内証で善行を行う者には将来の報いが約束されていることになります。







english1982 at 22:00│マタイの福音書 
マタイの福音書第6章第5節~第18節:祈りと断食についての教えマタイの福音書:第6章