マタイの福音書第4章第12節~第17節:イエスさまの活動が始まるマタイの福音書:第4章

2015年12月28日

マタイの福音書第4章第1節~第11節:イエスさまの誘惑

第4章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Temptation of Jesus

イエスさまの誘惑


1 Then Jesus was led by the Spirit into the wilderness to be tempted there by the devil.

1 それからイエスさまは悪魔の誘惑を受けるために、聖霊に導かれて荒野へ出ました。

2 For forty days and forty nights he fasted and became very hungry.

2 40日の昼と夜の間、イエスさまは断食して、とても空腹になりました。

3 During that time the devil came and said to him, “If you are the Son of God, tell these stones to become loaves of bread.”

3 その間に悪魔が来てイエスさまに言いました。「もしあなたが神の子なら、この石に命じてパンにならせなさい。」

4 But Jesus told him, “No! The Scriptures say, ‘People do not live by bread alone, but by every word that comes from the mouth of God.’ ”

4 しかしイエスさまは悪魔に言いました。「断ります。聖書には『人はパンだけで生きるのではなく、神さまの口から出る一つ一つのことばによる』と書いてあります。」

5 Then the devil took him to the holy city, Jerusalem, to the highest point of the Temple,

5 それから悪魔はイエスさまを聖なる町、エルサレムで、寺院の一番高いところにへ連れて行きました。

6 and said, “If you are the Son of God, jump off! For the Scriptures say, ‘He will order his angels to protect you. And they will hold you up with their hands so you won’t even hurt your foot on a stone.’ ”

6 そして悪魔は言いました。「もしあなたが神の子なら飛び降りなさい。なぜなら聖書には『神さまは天使たちに命じてあなたを守らせる。あなたの足を石に打ち当てて痛めることのないように、天使たちは手であなたを持ち上げる』と書いてあります。」

7 Jesus responded, “The Scriptures also say, ‘You must not test the Lord your God.’ ”

7 イエスさまは答えました。「聖書には『あなたの神さまである主をためしてはならない』とも書いてあります。」

8 Next the devil took him to the peak of a very high mountain and showed him all the kingdoms of the world and their glory.

8 次に悪魔はイエスさまをとても高い山の頂へ連れて行き、世の中のすべての王国とその栄華を見せました。

9 “I will give it all to you,” he said, “if you will kneel down and worship me.”

9 悪魔は言いました。「もしあなたがひざまずいて私を拝むなら、これを全部あなたにあげましょう。」

10 “Get out of here, Satan,” Jesus told him. “For the Scriptures say, ‘You must worship the Lord your God and serve only him.’ ”

10 イエスさまは悪魔に言いました。「ここからいなくなりなさい、サタン。なぜなら聖書には『あなたの神さまである主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてあります。」

11 Then the devil went away, and angels came and took care of Jesus.

11 すると悪魔は去っていきました。そして天使たちが来てイエスさまを手当てしました。




ミニミニ解説

イエスさまが洗礼者ヨハネによる洗礼を受けたとき、天が開いて鳩の姿をした聖霊が降りてきました。イエスさまはその聖霊に導かれて荒野へ出て行きます。荒野はユダヤの民にとって神がかりの場所なのです。

イエスさまの誘惑の話は「マルコ」の第1章にも登場しますが、そこに書かれているのは40日にわたってサタンの誘惑と戦ったことだけで、「マタイ」のように詳しい誘惑の内容が書かれているわけではありません。「ルカ」に登場する誘惑の話は、「マタイ」とほぼ同一の内容となっていますので、「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」=「マタイ」・「ルカ」の公式にあてはめると、誘惑の話はイエスさまの語録集である「Q資料」に含まれていたと推測されます。誘惑の物語そのものは「語録」ではありませんが、洗礼者ヨハネの話と同様、「語録集」を教義の中心に置く初期の教会(あるいは教会群)では誘惑の物語も一緒に教えられていた、と言うことです。

イエスさまを誘惑するのは「悪魔(devil)」です。「悪魔」は聖書の中では神さまに対抗する「霊(spirit)」として登場します。神さまや天使や悪魔は「霊」です。「霊」と言うと、私たち日本人は「幽霊」を想像しがちですが、聖書の中では滅びる肉体を持たない存在として「霊」が描かれています。第10節の誘惑の最後でイエスさまが「ここからいなくなりなさい、サタン」と呼びかけた相手の「サタン(Satan)」が神さまに対抗する悪の側の「霊」のリーダーです。「サタン」は固有名詞で、もともと神さまに仕えていた上位の天使のひとりとされます。サタンは神さまに造られて神さまに仕える立場でありながら、神さまと同等の高みに上りたいとの野望を持ち、結果として神さまから追放されて地上へ落とされます。そのときにサタンに従った天界の1/3の天使たちが、堕天使として「悪魔」になったとされます。このあたりの物語は、旧約聖書のあちこちの記述をつなぎ合わせた「解釈」のひとつですので、そのとおりを信じるかどうかは「教義」の問題になると思います。ただ「霊」としての「悪魔」や「サタン」は、それがどのように生まれたかはともかくとして、新約聖書の中では実在の存在として何度も登場します。

「悪魔」の誘惑を受けるためにイエスさまを荒野へ連れ出したのは「聖霊」です。「マルコ」では「compel(無理に~させる)」と言う単語を使って、聖霊が無理やりイエスさまを荒野へ連れ出した、と表現されています。イエスさまは荒野で悪魔の誘惑を受けるのは嫌だったのです。「聖霊」は「三位一体」では「神さま」、「イエスさま」と並んで神さまを構成する一つの位相とされています。つまりイエスさまが荒野で悪魔の誘惑を受けたのは、神さまの意志だったと言うことです。それがイエスさま本人の意志には反することだとしてもです。私たちも日々、たくさんの「嫌なこと」に出会いますが、その「嫌なこと」を私たちにもたらしているのはもしかすると神さまなのかも知れません。イエスさまは前回、第17節で神さまが「これは私に大きな喜びをもたらしてくれる、私の心から愛する息子」と言ったほどの存在ですから、イエスさまの行動は神さまに喜びをもたらすのです。つまり神さまは悪魔にイエスさまを誘惑させ、イエスさまがどのように対応するかを見ていらっしゃるのです。そしてイエスさまの行動は神さまの目に喜びとして映っている、と言うことですから、イエスさまの言動は常に私たちのお手本なのです。イエスさまの行動を見てみましょう。

イエスさまは荒野へ出ると40日間、断食されたのでした。「40」と言う数字は聖書の中では「試練」を象徴する数字です。ノアの箱船のときに神さまが雨を降らせたのが、四十日四十夜。エジプトを脱出したユダヤ人が神さまの怒りに触れて砂漠を放浪したのが四十年間。モーゼが十戒に代表される律法を神さまから授かるためにシナイ山に上っていたのが四十日四十夜という具合です。イエスさまは荒野で試練の40日を過ごされました。果たして40日間の断食が可能なのか、という議論もありますが、そもそも断食を用いた精神修養は当時のユダヤ人の間では珍しいものではありませんでした。また断食は開始した直後こそ、大変な空腹感に苛まれますが、ある期間を過ぎると身体が「食べないこと」に順応して来るのだと言われています。それにしても40日間の断食と言うのは大変なことでしょう。

40日の断食の肉体的にも精神的にも弱った誘惑に脆弱な状態のイエスさまのところへ悪魔がやってきてイエスさまを誘惑します。誘惑の形態は三つ、書かれています。

最初の誘惑は「石に命じてパンにならせよ」と言う誘惑で、これは自分の「肉体の欲求」を満たすことを優先して生きてみてはどうか、と言う誘惑です。イエスさまはこれに対して聖書の引用で答えました。誘惑の物語での聖書の引用箇所はいずれも「Deuteronomy(申命記)」からです。「Deuteronomy(申命記)」は四十年間の砂漠放浪の後で、いよいよヨルダン川を渡ってパレスチナに入ろうとするユダヤ人たちに対し、モーゼが最後に申し送った神さまのことばで、律法が美しく要約された本です。最初の引用は「Deuteronomy 8:3(申命記第8章第3節)」です。「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった」([新改訳])。ユダヤ民族は40年間の砂漠放浪の間、神さまが与えたマナという食べ物を毎日食べていました。その理由は「マタイ」によると、「人はパンだけで生きるのではなく、神さまの口から出るすべてのもの(=神さまの言葉)で生きる」と書かれています。イエスさまは荒野の石をパンに変えることよりも、神さまの意志を尊重する道を選んだのでした。

次の誘惑は「寺院の一番高いところから飛び降りて見せよ」と言う誘惑で、これは「能力の証明の欲求」を満たすことを優先して生きてみてはどうか、と言う誘惑です。イエスさまの回答は「Deuteronomy 6:16(申命記第6章第16節)」です。「あなたがたがマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない」([新改訳])。「マサ」は地名です。「Exodus 17(出エジプト記第17章)」に登場します。ユダヤ人が四十年間、砂漠をさまよっている間の出来事で、そのときユダヤ人は飲み水がなくて困っていました。ユダヤ人は何とかしてくれ、という不満をモーゼにぶつけます。モーゼは最初こそ、「あなたがたはなぜ私と争うのですか。なぜ主を試みるのですか」と、イエスさまが最初の誘惑に対処したようにユダヤ人の誘惑を退けようとしますが、結局は根負けしてしまって神さまに相談します。そしてモーゼが神さまの指示どおりに岩を杖で打つと、岩から水がほとばしり出るのです。モーゼはこの地を「マサ(試し)」と名付けました。

悪魔はイエスさまに飛び降りよ、と言ったところで、自分も聖書を引用しています。引用箇所は「Psalms 91:11-12(詩編第91章第11節~第12節)」です。「11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。12 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする」([新改訳])。ここには、神さまはどんなことがあってもあなたを守る、と書かれています。悪魔は、そのように書かれているのだから、きっと飛び降りても大丈夫だろう、証明して見せろ、と言うのです。「マサ」の場面では、ユダヤ人は水がなくて乾き呻いていて、きっと神さまなんていないんだろう、こんなことならエジプトから出てくるのではなかった、と言ったのです。それまでさんざん自分の目で見てきた奇跡の数々を忘れて神さまの存在に疑問を呈し、神さまを疑い、「試す」ことを行ったのでした。悪魔の同じような誘惑に対し、イエスさまは神さまの存在を100%信じて疑うことがないので、どうしてわざわざ飛び降りて試すようなことをする必要があるのか、と言って誘惑を退けます。自分の「能力の欲求」を満たすために、神さまの存在を試すようなことをしてはいけないのです。

最後の誘惑は「世の中のすべての王国をあなたにあげましょうか」と言う誘惑です。これは「所有欲」であり「プライド」を満たすことを優先して生きてみてはどうか、と言う誘惑です。悪魔の交換条件は、代わりに「ひざまずいて私を拝め」でした。イエスさまの回答は「Deuteronomy 6:13(申命記第6章第13節)」です。「あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。御名によって誓わなければならない」([新改訳])。十戒の最初の命令も「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」と書いてあります。これは律法の中で繰り返し言われることです。私たちがひざまずいて拝まなければならないのは、神さまだけなのです。神さまは宇宙の創造者、支配者であり、全知全能です。自分の好きなように世の中に王国を興し、それを好きな人に与えることができます。また「いのち」を司る存在ですから、人を生かすも殺すも思いのままです。それだけの能力を持つ神さまの存在を知っていながら、どうして自分で「所有欲」や「プライド」を追求する必要があるのでしょう。何かが欲しいなら、何かになりたいなら、それを神さまにお願いするのが一番の早道です。

私はこの40日の荒野の苦行は、イエスさまにとっては本当につらい修行だったのではないか、と思います。この物語での悪魔とイエスさまのやり取りは、悪魔が一言二言で誘惑し、それに対してイエスさまが聖書を引用して一言二言で拒絶する、と言う具合に淡々とシンプルに描かれていますが、実際はそうではなかったのではないでしょうか。まず40日に及ぶ断食がもたらす精神状態がどれほどのものなのか、私たちには想像できません。それから悪魔がどのようにイエスさまに迫ったのかもここには書かれていません。「悪魔のようなやつ」と書いてどんな人物を想像しますか? もしかすると悪魔はイエスさまを恫喝したり、殴りつけたり、かと思うと巧妙にそそのかしたりして、ありとあらゆる手段を使って、何度も何度もしつこくイエスさまに要求を受け入れさせようとしたのではないでしょうか。そういう状況に追い込まれた人は自分が一言「わかりました」と言いさえすれば苦痛から解放されると知っていると、心のどこかから「受け入れてはいけない」と言う声が聞こえても、それを無視して「わかりました」と言ってしまうものです。人間は弱いですから。しかしそれほどの極限状況にあっても、最後まで神さまの意志を追求したイエスさまの行動は、神さまの目に正しく映ったのです。








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