マタイの福音書:第4章マタイの福音書第3章第1節~第12節:洗礼者ヨハネが道を準備する

2015年12月29日

マタイの福音書第3章第13節~第17節:イエスさまの洗礼

第3章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Baptism of Jesus

イエスさまの洗礼


13 Then Jesus went from Galilee to the Jordan River to be baptized by John.

13 それからイエスさまはヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダン川へ行きました。

14 But John tried to talk him out of it. “I am the one who needs to be baptized by you,” he said, “so why are you coming to me?”

14 しかしヨハネはイエスさまにそうさせまいとして話しました。「私があなたから洗礼を受ける必要のある者です。なのにどうしてあなたが私のところへ来るのですか。」

15 But Jesus said, “It should be done, for we must carry out all that God requires.” So John agreed to baptize him.

15 ですがイエスさまは言いました。「洗礼はなされるべきなのです。なぜなら私たちは神さまが求められることはすべて行わなければならないのですから。」 そこでヨハネはイエスさまに洗礼を授けることに同意しました。

16 After his baptism, as Jesus came up out of the water, the heavens were opened and he saw the Spirit of God descending like a dove and settling on him.

16 洗礼の後、イエスさまが水から出てくると、天が開けられて、神さまの霊が鳩のように降りてきて自分の上に来るのを見ました。

17 And a voice from heaven said, “This is my dearly loved Son, who brings me great joy.”

17 そして天の声が言いました。「これは私に大きな喜びをもたらしてくれる、私の心から愛する息子です。」




ミニミニ解説

「あなたの罪を悔やみ、神さまに向き直りなさい」とのメッセージを荒野で伝える洗礼者ヨハネをイエスさまが訪れます。「マタイ」ではヘロデ大王によるベツレヘム周辺での幼児皆殺しを避けてエジプトへ一時避難したイエスさまの家族が、パレスチナへの帰国後はガリラヤ地方のナザレに落ち着いたと書かれた後の消息は伝えられず、成人したイエスさまが洗礼者ヨハネを訪問した場面で再登場します。この間、イエスさまの誕生からは30年の月日が流れています。

イエスさまはヨハネによる洗礼を求めますが、ヨハネは立場が逆であると言って一度は洗礼を断っています(第14節)。ヨハネによるとイエスさまは自分のすぐ後に現れる自分より偉大な方なのです(第11節)。自分がイエスさまの奴隷となり、イエスさまの履き物を運ぶ価値さえないくらいイエスさまは偉大なのだと言っています。だからヨハネは「私があなたから洗礼を受ける必要のある者です。なのにどうしてあなたが私のところへ来るのですか」と言って断ります。これに対してイエスさまはヨハネがイエスさまに洗礼を施すことは、「神さまが求められること」だとしてヨハネによる洗礼の正しさを主張します。ヨハネの判断でもなく、イエスさまの判断でもなく、神さまの視点で正しいこと・善いことをなすべきだ、とイエスさまは言うのです。

イエスさまの主張を受け入れたヨハネがイエスさまを連れてヨルダン川へ入り、イエスさまを水没させる形で洗礼を授けます。そしてイエスさまが水から出てくると、「天が開けられて、神さまの霊が鳩のように降りてきて自分の上に来る」のが見えます(第16節)。

「天が開けられて」は[NLT]の英文では「the heavens were opened」となっています。まず「heavens」と「天」は複数形で書かれています。これは「天」がいくつかの「層」でできていると解釈されていたことによります。たとえばパウロは「2 Corinthians 12(コリント人への手紙第2の第2章) 」で、自分が「第三の天」に引き上げられたと書いていますが、これは恐らく「エノク書」から来ていると思われます。「エノク書」は旧約聖書には含まれません。ユダヤ人が共有している文献は膨大な量に及び、旧約聖書はそのうちの一部をまとめたに過ぎません。しかし膨大な文献の中から39冊の本が正式に旧約聖書として編纂されたと言うことには重要な意味があるのです。「エノク書」は後の旧約聖書には収められなかったけれど、広くユダヤ人に読まれている書物のひとつで、天国と地獄、最後の審判、天使と悪魔などの記述が多いようです。その中では天国が多層構造の場所として描かれているようで、天は七層(あるいは九層)の構造を持つのです。

その多層構造の「天」をひとまとまりにした複数形の「heavens」が受動態で「were opened」となっています。これは「天」に亀裂が入って裂け目ができたような状態でしょうか。その裂け目から「神さまの霊」が「鳩」のような形で飛び出してきます。そしてその「神さまの霊」はイエスさまのところまで降りてくるのです。

人に聖霊が降りる現象はイエスさま自身が弟子たちに予告した出来事です。自分はやがて天へ帰るが、そのときには自分と入れ替わりに聖霊が訪れて助け主となるとイエスさまは伝えました。聖霊は「三位一体」と言う、父なる神さま、子なるイエスさま、聖霊が神さまの三つの位相であるという教義に登場する神さまの相のひとつです。やがてイエスさまを信じる人に起こることが、ひとりの人間として地上に立ったイエスさまにも起こっているのです。

聖霊を受けたイエスさまはここから神さまの助けを得ることになります。それを裏付ける形で天から声が聞こえます(第17節)。「これは私に大きな喜びをもたらしてくれる、私の心から愛する息子です」。これは神さまがイエスさまを「私の心から愛する息子」と呼ぶ声です。

ここに書かれている内容は「マルコ」の記述とほぼ同じです。ただし洗礼者ヨハネがイエスさまの要求を一度断る場面は「マルコ」には登場しません。








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