2015年12月30日

マタイの福音書第2章第13節~第18節:エジプトへの脱出

第2章


(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Escape to Egypt

エジプトへの脱出


13 After the wise men were gone, an angel of the Lord appeared to Joseph in a dream. “Get up! Flee to Egypt with the child and his mother,” the angel said. “Stay there until I tell you to return, because Herod is going to search for the child to kill him.”

13 賢人たちが去った後、主の天使が夢の中でヨセフに現われました。天使は言いました。「起きなさい。子供と母親を連れてエジプトへ逃げなさい。私が戻るように伝えるまでそこにいなさい。なぜならヘロデが殺害のために子供を捜すからです。」

14 That night Joseph left for Egypt with the child and Mary, his mother,

14 その夜、ヨセフは子供と母親のマリヤを連れてエジプトへ向けて出発しました。

15 and they stayed there until Herod’s death. This fulfilled what the Lord had spoken through the prophet: “I called my Son out of Egypt.”

15 そしてヘロデが死ぬまでそこにいました。これは主が預言者を通して言った事柄を実現しました。「私はエジプトから私の子供を呼び寄せました」。

16 Herod was furious when he realized that the wise men had outwitted him. He sent soldiers to kill all the boys in and around Bethlehem who were two years old and under, based on the wise men’s report of the star’s first appearance.

16 賢人たちに裏をかかれたことを知るとヘロデは激怒しました。ヘロデは兵士たちを派遣してベツレヘムの中と周辺で二歳か、それよりも幼い男の子をすべて殺させました。これは賢人たちが星が最初に現れたときの報告に基づいています。

17 Herod’s brutal action fulfilled what God had spoken through the prophet Jeremiah:

17 ヘロデの残忍な所行は、神さまが預言者エレミヤを通して話した事柄の成就です。

18 “A cry was heard in Ramah -- weeping and great mourning.  Rachel weeps for her children, refusing to be comforted, for they are dead.”

18 「ラマで泣き声が聞こえました。涙を流して嘆き悲しむ声です。ラケルが自分の子供たちのために涙を流し、慰められることを拒んでいます。それは子供たちがすでに死んでいるからです。」




ミニミニ解説

東方から来た賢人たちが贈り物を置いて去ると、天使が再度ヨセフの夢に現れて、「エジプトへ逃げろ」と神さまのメッセージを伝えます。マタイは躊躇せずにその夜にイエスさまとマリヤを連れてエジプトへ向かいました。

マタイはこれが預言の成就だとしています。15節で引用されているのはHosea 11:1(ホセア書第11章1節)です。「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した」([新改訳])。この部分で「わたしの子」が指しているのはユダヤ民族そのもののことです。英語では「my son」と単数になっていますが、神さまがエジプトから呼び出した「自分の息子」とはユダヤ民族のことに他なりません。紀元前1500年頃、ユダヤ人はエジプトに寄留して奴隷状態に陥っていましたが、神さまは預言者モーゼを遣わしてユダヤ民族をエジプトから脱出させて、最終的にパレスチナの地へ連れてきたのです。

「マタイの福音書」の著者はこのエジプト脱出の部分で何を伝えたいのでしょうか。ユダヤ人はホセア書の「わたしの子」が単数で息子を指すのではなく、ユダヤ民族全体を指すことはよく知っています。それはホセア書を読めば誰でもわかることです。と言うことは、「マタイ」がわざと「my son」を単数のイエスさまに読み替えているとしか思えません。旧約聖書でのエジプトはその後、「世俗」や「罪」の代名詞として扱われ、「エジプトへ帰りたいのか」「心の中からエジプトを払拭せよ」と言う問いかけへと変化していきます。もしかすると「マタイ」はイエスさまによる人類の救済が、ユダヤ民族をエジプトから脱出させた「出エジプト(Exodus)」と同じ意味で、今度は神さまが使わしたイエスさまが、人類全体を「罪」というエジプトから脱出させるのだ、と言いたいのかも知れません。逆に言うとモーゼに率いられた「出エジプト」は、その1500年後に起こるイエスさまによる「救済」の予型(ひな形)としての出来事だったのだ、と言いたいのかも知れません。こういう解釈、つまり新約聖書の中で起こる出来事があらかじめ旧約聖書の中に用意されていたとする解釈を予型論的解釈と言いますが、この視点で聖書を読んでいくと、旧約聖書と新約聖書の特にイエスさまに関する記述の間に驚くほどの一致が見つかります。さらにこれを進化させて、旧約聖書と新約聖書の予型の関係は、これから起こる救世主イエスさまの再来のタイミングでもう一度起こると考えて、ユダヤの黙示文学を読むことも大変興味深いです。

第16節、ヘロデは賢人たちが自分への報告をせずに自国へ戻ったことを知って激怒し、ベツレヘム周辺の二歳以下の男の子の虐殺を命じます。これは歴史が伝えるヘロデの残虐な性格と符合する出来事ではありますが史実としては見つからないようです。ですが考えてみると人口数百人にも満たない小さな村の世帯数を考えてみると、このときに殺された男の子の数はせいぜい数人だったのかも知れません。「マタイ」はこれも旧約聖書の預言の成就だとしています。引用の箇所は、Jeremiah 31:15(エレミヤ書第31章第15節)の「主はこう仰せられる。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている」([新改訳])の部分です。ここの引用ももともと救世主について書かれた箇所ではありません。ラマで聞こえる嘆きの泣き声は南北朝に分かれた北側のイスラエルがアッシリアに滅ぼされ、ユダヤ民族が国外へ連れ去られることを悲しんで嘆いているのです。泣いている「ラケル」はユダヤ民族の父祖であるアブラハムの息子のイサクの、そのまた息子のヤコブ(後に「イスラエル」に改名)の妻のひとりです。ヤコブの子供たちがユダヤの十二部族それぞれの始まりになったので、パレスチナから連れ去られていなくなるユダヤ民族のことを母のラケルが嘆き悲しんでいるのです(正確にはラケルは十二人の息子全員の母ではありませんが)。

「マタイ」の著者は、ヘロデが行ったベツレヘムでの男児虐殺がエレミヤの預言の成就だとしています。ベツレヘムで実際にヘロデに自分の息子を殺された母親は深く嘆き悲しんだことでしょう。ですがその母親の悲しみが、イスラエルから連れ去られるユダヤ民族を嘆くラケルの悲しみの実現、と言うのはどうもうまく理解できません。Genesis 35:19(創世記第35章第19節)によるとラケルの埋葬について「こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、今日のベツレヘムへの道に葬られた」([新改訳])と書かれていますから、ヘロデの虐殺をラケルの埋葬の地に結びつけたのかも知れませんが。







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