2015年12月31日

マタイの福音書第1章第18節~第25節:救世主イエスさまの誕生

第1章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Birth of Jesus the Messiah

救世主イエスさまの誕生


18 This is how Jesus the Messiah was born. His mother, Mary, was engaged to be married to Joseph. But before the marriage took place, while she was still a virgin, she became pregnant through the power of the Holy Spirit.

18 これは救世主イエスさまがどのように生まれたかを書いたものです。イエスさまの母のマリヤはヨセフと結婚する予定で婚約していました。ところが結婚が成立する前、マリヤが処女である間に、マリヤは聖霊の力によってみごもったのです。

19 Joseph, her fiance, was a good man and did not want to disgrace her publicly, so he decided to break the engagement quietly.

19 マリヤの夫のヨセフは善い人で、マリヤを公に辱めたくないと思ったので、婚約を秘密裏に破棄しようと決めました。

20 As he considered this, an angel of the Lord appeared to him in a dream. “Joseph, son of David,” the angel said, “do not be afraid to take Mary as your wife. For the child within her was conceived by the Holy Spirit.

20 ヨセフがこのことを考えていると、主の天使がヨセフの夢の中に現われてました。天使は言いました。「ダビデの子ヨセフよ。マリヤをあなたの妻として迎えることを恐れてはいけません。マリヤの内にいる子供は聖霊によってみごもったのです。

21 And she will have a son, and you are to name him Jesus, for he will save his people from their sins.”

21 マリヤは男の子を産みます。あなたはその子にイエスと名付けます。なぜならこの方が、ご自分の民を彼らの罪から救うからです。」

22 All of this occurred to fulfill the Lord’s message through his prophet:

22 これらのことすべては、主が預言者を通して伝えたメッセージが実現するためなのでした。

23 “Look! The virgin will conceive a child!  She will give birth to a son, and they will call him Immanuel, which means ‘God is with us.’”

23 「見よ。処女がみごもる。彼女は男の子を産む。人々はその子をインマヌエル、その意味は「神さまが私たちと共におられる」、と呼ぶ。」

24 When Joseph woke up, he did as the angel of the Lord commanded and took Mary as his wife.

24 ヨセフは目を覚まし、主の天使が命じたとおりにして、マリヤを自分の妻としました。

25 But he did not have sexual relations with her until her son was born. And Joseph named him Jesus.

25 ですが男の子が生まれるまでの間、ヨセフはマリヤと性的な関係は持ちませんでした。そしてヨセフは男の子にイエスと名付けました。




ミニミニ解説

今回の部分は「マタイの福音書」が伝えるイエスさま誕生のいきさつです。

前回、アブラハムからダビデ王を経て、血筋が証明されたイエスさまの父のヨセフは、マリヤという女性と婚約しました。「結婚」は私たち日本人と同様、ユダヤ人にとっても人生上の大切で重要なイベントです。「婚約」の持つ意味も、今日の私たちが考える「婚約」よりもずっと重く、当時のユダヤ人にとっての婚約は、私たちから見れば結婚したに等しいくらいの契約上の意味を持っていました。これはもしかするとユダヤだからと言うことではなくて、日本でもつい最近、明治維新までは好きな人と自由に結婚することはできなかったのだし、そういう文化の中で結婚の約束をすることはほぼ結婚したに等しく扱われていたのではないかと思います。

婚約をした女性が結婚をする前に妊娠するというのは大変な出来事です。ユダヤの律法によれば、処女だと言って結婚した女性が処女でなかったことを証明できれば、夫は妻を離縁できましたし、婚約者が自分の知らない子供を身ごもっていると言うことは、他の男性と関係を持ったと言うことになりますから女性は姦通の罪に問われ死罪となります。ところがヨセフはことを荒立ててマリヤを訴えることをせず、なんとか婚約を秘密裏に破棄する方法を探すことにしたのです。実際にどうやって「秘密裏」にやるのかはわかりませんが、たとえば婚約破棄の理由をマリヤの妊娠以外のものとして婚約解消を成立させれば、律法上はマリヤは独身の女性として妊娠したことになり、これは姦通罪にはなりませんからマリヤの命は守られることになります。

するとヨセフの夢の中に天使が現れてお告げを与えます。聖書の中で人が神さまからのメッセージに触れるのは、直接神さまの声を聞くパターン、天使が神さまのメッセージを伝えるパターン、神さまが人間を使者として遣わせるパターンがあります(神さまの言葉を預かる使者を「預言者」と言います)。ヨセフの場合には天使が自分の夢の中に現れて神さまのメッセージを伝えます。結果としてヨセフは婚約者のマリヤが妊娠していることを知り、その父親が誰だかわからないのにマリヤを妻として迎える決断をしたのです。そしてその理由はこの夢であると説明されています。これは逆に言えば、「天使が夢に現れて神さまのメッセージを伝える」と言う文脈が当時のユダヤ人にはそれだけの説得力を持って理解されていたということです。

第21節、 天使は生まれてくる子供にイエスと名付けるように伝えました。「イエス」は当時のユダヤ人にとってはそれほど珍しい名前ではありません。ちなみに旧約聖書でモーゼの後継者に指名された「ヨシュア」(ヘブライ語)は「イエス」(ギリシア語)と同じ名前です。天使はイエスと名前を付ける理由を「なぜならこの方が、ご自分の民を彼らの罪から救うからです」と伝えました。その理由は22節以降に書かれています。これは旧約聖書の預言の実現なのだと言うのです。第23節に引用されているのは、Isaiah 7:14(イザヤ書第7章第14節)「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」の部分です([新解訳])。これは神さまが預言者イザヤに預けて南朝ユダの王アハズに伝えさせた言葉の一部です。そのときアハズは北朝のイスラエルが攻めてくるのではないかと怯えていたのですが、神さまはそのようなことは起こらないとアハズに伝えさせ、それが実現する証として処女がみごもって男の子を産むという超常現象を目にするだろう、と言っているのです。

この男の子がここではインマヌエルと名付けられています。インマヌエルは23節にあるように「神さまが私たちと共におられる」の意味です。神さまは預言者イザヤを通してアハズに「心配するな」と伝え、その証拠に処女が男の子を産むところを見せます。つまりその男の子の誕生がアハズにとって「神さまが私たちと共におられる」ことの証明なのです。そして今回はマリヤが処女の状態でみごもり男の子を産みます。これはイザヤ書の中で起こったことの繰り返しであり、やはり「神さまが私たちと共におられる」ことの証明なのです。そして救世主として世に送り出されるイエスさまは、自らが十字架にかかる道を選ぶことで、神さまが私たち人間と共におられることを示すのです。

第25節には、ヨセフが「男の子が生まれるまでの間」、マリヤと性的な関係を持たなかった、とされています。余談ですが、後のカトリック教会はマリヤを聖母として拝み、マリヤは永遠の処女であるとの教義を持つようになりましたので、マリヤにヨセフと性的な関係を持たれては困りました。福音書を読むとヨセフとマリヤの間にはイエスさまの誕生の後で子供が何人も生まれていることがわかりますから、ここに書かれているのは明らかにイエスさまが誕生するまで二人が性的な関係を持たなかったという意味のはずなのですが、後のカトリック教会はその兄弟や姉妹さえも従兄弟(いとこ)であるとこじつけて解釈しました。

それからもうひとつ、マリヤが処女の状態でイエスさまを産んだという「処女降誕」とか「処女懐胎」と呼ばれる教義は、クリスチャンにとっては譲ることのできない基盤とされています。ですがその教義が書かれているのは四つの福音書のうち「マタイ」と「ルカ」だけです。最初の回に書きましたように四つの福音書の存在は、当時の四つの教会(あるいは教会群)の存在を意味しているはずなので、1~2世紀の教会でも処女降誕を強く信じる教会もあれば、そうでない教会もあったと言うことになります。その後、新約聖書が29冊の本を含む正典(canon)として成立し、キリスト教の教義が確立されていく段階で、処女降誕・処女懐胎もキリスト教にとってなくてはならない教義の一つとなったのだと思います。ですからこの部分を信じるのがクリスチャンだ、信じなければクリスチャンではない、というような議論はあまり意味がないように思います。イエスさまの誕生、十字架死、復活という歴史上の出来事は旧約聖書の預言の成就であると主張する「マタイ」の教会は、ユダヤの文化の視点からイエスさまの救世主としての正当性を説き、これが神さまの意図に沿った計画どおりの出来事だとしてこのように伝えたのです。










english1982 at 21:00│マタイの福音書