2015年12月31日

マタイの福音書第1章第1節~第17節:救世主イエスさまの祖先

第1章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Ancestors of Jesus the Messiah

救世主イエスさまの祖先


1 This is a record of the ancestors of Jesus the Messiah, a descendant of David and of Abraham:

1 これはダビデとアブラハムの子孫である、救世主イエスさまの祖先の記録です。

2 Abraham was the father of Isaac. Isaac was the father of Jacob.  Jacob was the father of Judah and his brothers.

2 アブラハムはイサクの父親でした。イサクはヤコブの父親でした。ヤコブはユダとその兄弟たちの父親でした。

3 Judah was the father of Perez and Zerah (whose mother was Tamar).  Perez was the father of Hezron.  Hezron was the father of Ram.

3 ユダはパレスとザラの父親でした(二人の母親はタマルでした)。パレスはエスロンの父親でした。エスロンはアラムの父親でした。

4 Ram was the father of Amminadab.  Amminadab was the father of Nahshon.  Nahshon was the father of Salmon.

4 アラムはアミナダブの父親でした。アミナダブはナアソンの父親でした。ナアソンにサルモンの父親でした。

5 Salmon was the father of Boaz (whose mother was Rahab).  Boaz was the father of Obed (whose mother was Ruth).  Obed was the father of Jesse.

5 サルモンはボアズの父親でした(ボアズの母親はラハブでした)。ボアズはオベデの父親でした(オベデの母親はルツでした)。オベデはエッサイの父親でした。

6 Jesse was the father of King David.  David was the father of Solomon (whose mother was Bathsheba, the widow of Uriah).

6 エッサイはダビデ王の父親でした。ダビデはソロモンの父親でした(ソロモンの母親はウリヤの未亡人のバテ・シェバでした)。

7 Solomon was the father of Rehoboam.  Rehoboam was the father of Abijah.  Abijah was the father of Asa.

7 ソロモンはレハブアムの父親でした。レハブアムはアビヤの父親でした。アビヤはアサの父親でした。

8 Asa was the father of Jehoshaphat.  Jehoshaphat was the father of Jehoram.  Jehoram was the father of Uzziah.

8 アサはヨサパテの父親でした。ヨサパテはヨラムの父親でした。ヨラムはウジヤの父親でした。

9 Uzziah was the father of Jotham.  Jotham was the father of Ahaz.  Ahaz was the father of Hezekiah.

9 ウジヤはヨタムの父親でした。ヨタムはアハズの父親でした。アハズはヒゼキヤの父親でした。

10 Hezekiah was the father of Manasseh.  Manasseh was the father of Amon.  Amon was the father of Josiah.

10 ヒゼキヤはマナセの父親でした。マナセはアモンの父親でした。アモンはヨシヤの父親でした。

11 Josiah was the father of Jehoiachin and his brothers (born at the time of the exile to Babylon).

11 ヨシヤはエコニヤとその兄弟たちの父親でした(彼らが生まれたのはバビロンへの国外追放の頃でした)。

12 After the Babylonian exile: Jehoiachin was the father of Shealtiel.  Shealtiel was the father of Zerubbabel.

12 バビロンへの国外追放の後、エコニヤはサラテルの父親でした。サラテルはゾロバベルの父親でした。

13 Zerubbabel was the father of Abiud.  Abiud was the father of Eliakim.  Eliakim was the father of Azor.

13 ゾロバベルはアビウデの父親でした。アビウデはエリヤキムの父親でした。エリヤキムはアゾルの父親でした。

14 Azor was the father of Zadok.  Zadok was the father of Akim.  Akim was the father of Eliud.

14 アゾルはサドクの父親でした。サドクはアキムの父親でした。アキムはエリウデの父親でした。

15 Eliud was the father of Eleazar.  Eleazar was the father of Matthan.  Matthan was the father of Jacob.

15 エリウデはエレアザルの父親でした。エレアザルはマタンの父親でした。マタンはヤコブの父親でした。

16 Jacob was the father of Joseph, the husband of Mary.  Mary gave birth to Jesus, who is called the Messiah.

16 ヤコブはマリヤの夫であるヨセフの父親でした。マリヤは救世主と呼ばれるイエスさまを産みました。

17 All those listed above include fourteen generations from Abraham to David, fourteen from David to the Babylonian exile, and fourteen from the Babylonian exile to the Messiah.

17 上に記録した人たち全員で、アブラハムからダビデまでが十四代、ダビデからバビロン追放までが十四代、バビロン追放から救世主までが十四代になります。




ミニミニ解説

「マタイの福音書」をお送りします。

第1章は長い長い家系図で始まります。「マタイの福音書」は新約聖書の最初の本ですから、新約聖書がこの家系図の記述でで始まることになります。

余談ですが、私は小学校三年生と四年生のときに同級生に牧師の息子がいて、彼に誘われて毎週日曜日の朝、教会の日曜学校に通っていました。教会では最初の日に新約聖書をくれました。たぶん小学校四年生のときだったと思うのですが、私はある日、聖書を最初から読んでやろう、と思い立ちました。そして最初のページを開きました。そこに書かれていたのがこの家系図です。小学生の私は「いったいなんなんだ、この本は・・・。意味不明・・・」となり、私は聖書に「難解で理解不能」のレッテルを貼ってしまいました。これがずっと尾を引いて、それから30年近く、聖書を読もうと思いたつことはありませんでした。似たようなことは作家の曽野綾子さんも書いていたように記憶しています。

聖書をひととおり勉強した後でこの第1章を読むと、ここに家系図が置かれた意味、アブラハムからイエスさまに至る血筋を説明した意味がよくわかります。アブラハムは旧約聖書の最初の本、「Genesis(創世記)」の第11章に登場します。天地創造から始まる「創世記」は、最初の人間であるアダムを起点として増えていった人類が、ノアの箱船のときの大洪水でノアの家族だけを残して一度全滅し(第6章)、人類は再びノアを起点として増えていくことになります。

創世記の第11章は、ノアの長男のセムからアブラハム(最初は「アブラム」と呼ばれている)に至る系図を説明し、第12章の最初のところで神さまがアブラハムに現れて、アブラハムをユダヤ民族の父とする最初の契約を結ぶのです。以降の旧約聖書はアブラハムを父とするユダヤ民族の歴史を描いた本になっていて、「マタイ」の第1章に登場する家系図は、そのまま旧約聖書の縮図になっています。つまり第1章1~17節は「旧約聖書」そのものとも言えるのです。そしてその家系からイエスさまが誕生したことを描くことで、救世主としてのイエスさまの正当性を旧約聖書をよく知るユダヤ人たちに伝えてこれを「マタイ」の導入部とし、「正典」と言う意味では新約聖書全体の導入部としているのです。

旧約聖書の最初の本の「Genesis(創世記)」は、第2節の「ヤコブはユダとその兄弟たちの父親でした」までを書いている本です。ところが旧約聖書の「Genesis(創世記)」に続く「Exodus(出エジプト記)」以降は、ここに書かれている「ユダ」ではなく、「兄弟たち」の中に含まれている「ヨセフ」と、ユダヤ史上最大の預言者であるモーゼの物語になります。つまりダビデ王に至る血筋は、「出エジプト記」で大活躍するヨセフの血筋ではないと言うことです。第3節の「ユダはパレスとザラの父親でした(二人の母親はタマルでした)」のくだり、わざわざ「二人の母親はタマルでした」と書いた理由は、「Genesis 38(創世記第38章)」に書かれています。第5節の「サルモンはボアズの父親でした(ボアズの母親はラハブでした)」の「ラハブ」は、モーゼの後継者であるヨシュアに率いられたユダヤ民族が、ヨルダン川を渡ってパレスチナに入るのを助けた女性です。その物語は「Joshua(ヨシュア記第2章)」に書かれています。そしてそのラハブの息子の「ボアズ」は「Ruth(ルツ記)」に登場します。第5~第6節を読むとボアズの息子がオベデ、オベデの息子がエッサイ、エッサイの息子がイスラエル史上、もっとも称えられる王となったダビデです。ダビデはイスラエル史上最大の英雄ですから旧約聖書の中で多数の本に登場しますが、「1 Samuel(サムエル記第1)」「2 Samuel(サムエル記第2)」は誰でも大変おもしろく読める歴史物語になっています。ダビデはこの中で大活躍します。また「Psalms(詩編)」の中には、神さまを称えるダビデの歌が多数収録されています。

第6節にはダビデがソロモンの父親だと書かれています。ソロモンはイスラエル史上、もっとも賢い人物とされていて、イスラエルはソロモン王のときに最大の栄華を誇ります。エルサレムに最初に寺院が建築されたのもソロモン王の時代です(この寺院は後に破壊されてしまいます。イエスさまの時代の寺院はその後で再建・増築された寺院です)。ソロモンの母親のバテ・シェバはダビデ王が率いるイスラエル軍の戦士ウリヤの妻だった人です。その物語は「Samuel 2 11(サムエル記第2第11章)」に書かれています。

ソロモン王によるイスラエル王国最大の栄華はソロモン王の代で終わり、次の代で王国は南北に分裂してしまいます。北がイスラエル王国、南がユダ王国となります。第7節に書かれているソロモンの息子のレハブアムは南朝ユダ王国の最初の王です。第7節以降に書かれているのは南朝ユダの王室の家系です。それぞれの王がどのような歴史の中を生きたのかは、「1 Kings(列王記第1)」と「2 Kings(列王記第2)」の中で読むことができます。

第11節~第12節に書かれているヨシヤの子供の代の頃、当時強国となったバビロンのネブカデネザル王が攻めてきてユダ王国は滅びます。ユダ王国の国民は富裕層を中心にバビロンへ連れ去られ、代わりにユダヤ人のいなくなったパレスチナ南部のユダの地には、バビロンが異民族を植民します。こうやって征服した民族の団結力をそぐ策なのです。これが「Exile(国外追放)」です。国外追放は70年続き、その後でユダヤ民族(の一部)はユダヤの地に戻って再びイスラエルを建国します。そのときの様子は「Ezra(エズラ記)」や「Nehemiah(ネヘミヤ記)」に書かれています(他にも国外追放の時代にてついて書かれている本は旧約聖書の中にあります)。

ユダヤ人がパレスチナの地に戻って再建したイスラエルの中で、ダビデ王の血筋を引くヤコブと言う男までの家系が書かれていて(第16節)、このヤコブから生まれたヨセフが、イエスさまを産んだマリヤの夫なのでした。ここまでの記述で、「マタイ」の導入部は「どうですかユダヤ人の皆さん、これでイエスさまがダビデ王の血筋から生まれたことがきちんと証明されているでしょう」と言っているのです。それは旧約聖書のあちこちに、やがて現れる救世主はダビデの血筋に生まれることが預言されていて、救世主を待望するユダヤ人は長い間、救世主はダビデの家から出ることを信じていたからです。

実際のところ、イエスさまはマリヤの処女懐胎(マリヤが処女の状態)で生まれたとされますので(そのときの様子はこの後で登場します)、この家系を説明してもイエスさまがダビデの血筋を引いていることにはならないではないか、と言う反論がありますが、ユダヤでは男性だけが家系図に登場する文化ですし、家系図の血筋は必ずしも実子である必要はなく、ユダヤのルールに従って子供として認知された人は正式に家系図に組み込まれていきます。ですからヨセフがイエスさまを実子として家系に組み込むことについては、ユダヤ人にとっては何も問題はないのです。聖書はすべてユダヤの文化の中の話なのです。男性だけが登場する家系図に登場する「タマル」「ラハブ」「ルツ」、ウリヤの妻の「バテ・シェバ」の四人は旧約聖書の中で重要な役割を演じた女性たちです。どこに書かれているかは上で書きましたので、それぞれ旧約聖書の中で読んでいただければ、聖書に対する興味が深まると思います。男尊女卑の文化を持つユダヤ人の読者に対して、この部分をことさらに強調して書く「マタイ」は、保守的なユダヤ社会に対して挑戦をしているようにも読めます。さらに言えば、純血を重んじるユダヤ文化であるのに、この四人の女性は実は異邦人(外国人)なのです。旧約聖書に書かれた律法は、もともとは異邦人に優しく開かれた文化を求めていますが、保守的なユダヤ人にとってはあまり触れてもらいたくない部分だったかも知れません。









english1982 at 22:00│マタイの福音書