マルコの福音書第14章第43節~第52節:イエスさまが裏切られ逮捕されるマルコの福音書第14章第27節~第31節:イエスさまがペテロの否定を予告する

2015年11月17日

マルコの福音書第14章第32節~第42節:イエスさまがゲッセマネで祈る

第14章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Prays in Gethsemane

イエスさまがゲッセマネで祈る


32 They went to the olive grove called Gethsemane, and Jesus said, “Sit here while I go and pray.”

32 イエスさまと弟子たちはゲッセマネと呼ばれるオリーブの木立へ来ました。イエスさまは言いました。「私が祈りに行く間、ここに座っていなさい。」

33 He took Peter, James, and John with him, and he became deeply troubled and distressed.

33 イエスさまはペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて行きました。イエスさまは深く悩んで苦しみ始めました。

34 He told them, “My soul is crushed with grief to the point of death. Stay here and keep watch with me.”

34 イエスさまは弟子たちに言いました。「私の魂は深い悲しみで死ぬほどに押しつぶされています。ここにいて、私と一緒に注意していなさい。」

35 He went on a little farther and fell to the ground. He prayed that, if it were possible, the awful hour awaiting him might pass him by.

35 イエスさまは少し遠くへ行って地面に倒れ伏しました。イエスさまはもし可能であれば、イエスさまを待ち受ける恐ろしい時間が自分から過ぎ去るようにと祈りました。

36 “Abba, Father,” he cried out, “everything is possible for you. Please take this cup of suffering away from me. Yet I want your will to be done, not mine.”

36 イエスさまは叫びました。「父なる神さま、あなたにはすべてが可能です。どうぞこの苦しみの杯を私から取り除いてください。ですが私の意志ではなく、あなたの意志が実現されることを私は望みます。」

37 Then he returned and found the disciples asleep. He said to Peter, “Simon, are you asleep? Couldn’t you watch with me even one hour?

37 それからイエスさまが戻って来ると、弟子たちが眠っているのを見つけました。イエスさまはペテロに言いました。「シモンよ、眠っているのですか。私と一緒にほんの一時間の間も見張っていることができなかったのですか。

38 Keep watch and pray, so that you will not give in to temptation. For the spirit is willing, but the body is weak.”

38 誘惑に負けないように監視と祈りを続けなさい。なぜなら心が欲していても、肉体は弱いからです。」

39 Then Jesus left them again and prayed the same prayer as before.

39 イエスさまは再び弟子たちを後にして、前回と同じお祈りを祈りました。

40 When he returned to them again, he found them sleeping, for they couldn’t keep their eyes open. And they didn’t know what to say.

40 イエスさまが再度弟子たちのところへ戻って来ると、弟子たちは眠っていました。弟子たちは目を開けていることができなかったのです。弟子たちは何と言えばよいのか、わかりませんでした。

41 When he returned to them the third time, he said, “Go ahead and sleep. Have your rest. But no -- the time has come. The Son of Man is betrayed into the hands of sinners.

41 イエスさまが弟子たちのところへ三度目に戻って来て言いました。「ためらわずに眠りなさい。休息を取りなさい。ですがいけません。時が来ました。人の子は裏切られ、罪人たちの手に渡されるのです。

42 Up, let’s be going. Look, my betrayer is here!”

42 立ちなさい。行きましょう。見なさい。私を裏切る者がやって来ました。」




ミニミニ解説

イエスさまの一行が宿営していたエルサレム市外の東側にあるオリーブ山の中に「ゲッセマネ(Gethsemane)」と呼ばれる園があったようです。ここでイエスさまは側近のペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを連れて他の弟子たちから離れます。

イエスさまと三人だけで他に誰もいなくなるとイエスさまは苦悶の表情を浮かべて苦しみ始めます。イエスさまは「私の魂は深い悲しみで死ぬほどに押しつぶされています」と正直な気持ちを打ち明け、「ここにいて、私と一緒に注意していなさい」の言葉を残して三人の側近から離れていきます。

イエスさまは弟子たち三人から少し離れたところ、三人の目からは見えるあたりまで一人で進むと地面に倒れ伏します。この「地面に倒れ伏す状態」は神さまに祈りを捧げるときの究極的な状態のようです。私たち日本人は、権威ある人の前に出るとまず頭を下げ、もっとへりくだるためにはそこからひざまずき、さらには正座をして最後には地面に額をこすりつける土下座の姿勢になりますが、ユダヤ人の場合は最後には地面にうつぶせに倒れ伏すようです。

イエスさまはこの倒れ伏した状態で神さまにお祈りをして、もし可能であればイエスさまを待ち受ける恐ろしい時間が自分から過ぎ去るようにと自分の気持ちを正直にそのまま伝えます。

第36節でイエスさまは「父なる神さま、あなたにはすべてが可能です。どうぞこの苦しみの杯を私から取り除いてください」と祈っています。つまりイエスさまは、サンヘドリンに捕らえられ、ローマ軍に引き渡され、むち打ちの刑を受け、最後には十字架にかけられて殺されることが嫌なのです。なので、可能ならばこの苦しみをなしで済ませられないでしょうか、とお祈りしているのです。

私たちも神さまにお祈りするときには強がりや遠慮をする必要はないのです。神さまにかっこ悪いことを言うことは信仰が薄いことの表れのように考えがちですが、怖い、つらい、苦しい、何とかならないだろうか、どうか助けてもらえないだろうか、と言う正直な自分の気持ちを神さまにぶつけても良いのです。自分の直面している苦難はイエスさまの十字架に比べたら何でもないはずだとか、こんなつまらないことはいちいち神さまに言うべきではないなどと考える必要はないのです。

神さまは私たちの心をご覧になります。お祈りの中で私たちが何を言わないようにして、何を口に出してお祈りしているか、神さまはすべてをご存じなのです。宇宙を創造し時間を超越する全知全能の神さまにとって、私たち人間の悩みや苦しみはどんなものだって些細でちっぽけなはずです。遠慮をしていたら何も言えないことになってしまいます。

また逆に神さまに相談することなく、私たち自身の力で苦しみや悲しみを克服して見せても神さまはお喜びになりません。人間は往々にしてそれをプライドにして高慢になっていきます。創造主である神さまを心に留めることを忘れてはいけないのです。すべてを神さまに打ち明け、神さまの恩恵に感謝し、神さまの庇護を信じて、自分が正しいと思うとおりにではなく、ひたすら神さまの目に正しく映ることだけを願って誠実に努力させていただく、そういう姿勢が求められているのです。

イエスさまは第36節で、「父なる神さま、あなたにはすべてが可能です。どうぞこの苦しみの杯を私から取り除いてください」と言った後で「ですが私の意志ではなく、あなたの意志が実現されることを私は望みます」と続けています。宇宙で唯一、いつも決して変わることなく「善」であり「誠」である神さまに間違いはありません。私たち人間が自分の利害や目先の判断で考える正しさではなく、神さまの意志が遂行されることが何よりも大切なのです。イエスさまは十字架が怖くてつらくてできるなら避けたいのだと正直に打ち明けた後で、でも自分の判断ではなく、神さまの意志が遂行されることが何よりも大切であり、その実現を望む、と宣言します。

イエスさまが三人の弟子のところへ戻ってみると、「ここにいて私と一緒に注意していなさい」と残してきた弟子たちは眠っています。イエスさまはそんな弟子たちに「誘惑に負けないように監視と祈りを続けなさい。なぜなら心が欲していても肉体は弱いからです」と告げます。 イエスさまに言われたことを守りたいと思い、注意を怠らずに監視をしてお祈りを捧げたいと思っても、眠りを欲する肉体には逆らえません。「心」が思っているようには肉体は動かないのです。口でどれほどのことを言っても、人間は困難に直面すると、自分の肉体が痛いこと苦しいことから逃げて楽な方へ楽な方へと進みたがります。それが人間の本質なのです。一事が万事です。私たちはどれほど心が望んでも、決して神さまの目に満足するように行動することはできず、神さまをガッカリさせてしまうのです。だから私たちは神さまに頼らなければいけないのです。そして私たちには救世主が必要なのです。

第42節、イエスさまは「 立ちなさい。行きましょう。見なさい。私を裏切る者がやって来ました」と告げます。いよいよイエスさまを逮捕する一隊が、イエスさま一行のいるオリーブ山へ到着したのです。






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