マルコの福音書:第13章マルコの福音書第12章第35節~第40節:救世主は誰の息子か

2015年11月19日

マルコの福音書第12章第41節~第44節:未亡人の献金

第12章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Widow’s Offering

未亡人の献金


41 Jesus sat down near the collection box in the Temple and watched as the crowds dropped in their money. Many rich people put in large amounts.

41 イエスさまは寺院の中の献金箱の近くに座り、人々がお金を投げ入れるのを見ていました。多くの金持ちが大金を投げ入れていました。

42 Then a poor widow came and dropped in two small coins.

42 そこへひとりの貧しい未亡人が来て、少額の貨幣を二つ投げ入れました。

43 Jesus called his disciples to him and said, “I tell you the truth, this poor widow has given more than all the others who are making contributions.

43 イエスさまは弟子たちを呼び寄せて言いました。「あなた方に本当のことを言います。この貧しい未亡人は献金を投げ入れている他のすべての人よりも多く入れました。

44 For they gave a tiny part of their surplus, but she, poor as she is, has given everything she had to live on.”

44 なぜなら彼らは余剰の中からほんの少しだけを入れましたが、彼女は乏しいのに、生きていくために持っていたすべてを投げ入れたからです。」




ミニミニ解説

十字架刑に処せられる前の一週間、イエスさまは寺院で人々に教えていました。

「献金箱(collection box)」は寺院の中にいくつか置かれていて、ユダヤ人の男性が律法で定められた寺院税を入れる箱の他に、自由意志で誰でも好きなだけ献金を入れるような箱もあったそうです。「多くの金持ちが大金を投げ入れていた。」と書かれていますが、この人たちは自分が大金を献金する様子を、ことさら周囲の人に誇示するように入れていたのだと思います。

そんな人たちに混じって、この未亡人は肩身が狭い思いをしながら献金箱へ近づいて献金をしたのでしょう。イエスさまがわざわざ「この貧しい未亡人は献金を投げ入れている他のすべての人よりも多く入れました。」と弟子たちに伝えたのは、当時、信心深さを測る尺度の一つが献金の額だったからだと思います。

イエスさまが言いたいのは、この女性のように誰もが所持金の全額を献金して信心深さを示しなさい、と言うことではなくて、献金は金額よりも、献金する人の「気持ち」が大切だということです。

自分の持っているお金を何に使うべきか、いつも自分を見ていてくださる神さまがお喜びになるお金の使い方とは何だろうか、と考えます。 そしてまずは自分の意志で使えるお金が自分の手元に与えられていることに感謝し、それを自分個人の趣味や利益のためばかりに使うのではなく、家族や友人や社会のために使う方法はないか、と考えます。いつもそういう気持ちを持つことや、そういう目的で惜しみなくお金を使うことが神さまを喜ばせるのではないでしょうか。

そう言う使い方をする人には神さまの祝福が降り注ぐと書かれています。Luke 6:38(ルカの福音書第6章第38節)です。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」([新改訳]) 。私は同じことが「お金」ばかりでなく、「時間」と「労力」についても言えると思います。






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