マルコの福音書第8章第31節~第9章第1節:イエスさまが自分の死を予告するマルコの福音書第8章第22節~第26節:イエスさまが目の不自由な男を癒す

2015年11月23日

マルコの福音書第8章第27節~第30節:イエスさまに関するペテロの宣言

第8章


 
 (英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Peter’s Declaration about Jesus

イエスさまに関するペテロの宣言


27 Jesus and his disciples left Galilee and went up to the villages near Caesarea Philippi. As they were walking along, he asked them, “Who do people say I am?”

27 イエスさまと弟子たちはガリラヤを離れ、ピリポ・カイザリヤの近くの村々へ行きました。一行が歩いている途中でイエスさまは弟子たちにたずねました。「人々は私を誰だと言っていますか。」

28 “Well,” they replied, “some say John the Baptist, some say Elijah, and others say you are one of the other prophets.”

28 弟子たちは答えて言いました。「そうですね、洗礼者ヨハネだと言う人たちもいれば、エリヤだと言う人もいます。他には預言者の一人だと言う人もいます。」

29 Then he asked them, “But who do you say I am?” Peter replied, “You are the Messiah.”

29 するとイエスさまは弟子たちにたずねました。「ではあなた方は私を誰だと言いますか。」ペテロが答えて言いました。「あなたは救世主です。」

30 But Jesus warned them not to tell anyone about him.

30 ところがイエスさまは自分のことを誰にも言わないようにと彼らに警告しました。




ミニミニ解説

イエスさまの一行は再びガリラヤを離れ、ガリラヤ湖の北40kmほどのところにあるピリポ・カイザリヤの近くまで行きます。当時のピリポ・カイザリヤは、西暦4年に死んだヘロデ大王の跡を継いだ息子のフィリポスの領土の中心地です。「ピリポ・カイザリヤ」の「ピリポ」は、もともと「カイザリヤ」だった町の名前に自分の名前のフィリポスを付けたものです。また当時のピリポ・カイザリヤは宗教都市として大変有名で、特にギリシア神話のパンをまつっていました。パンは羊飼いと羊の群れを監視する神なので「牧神」などと呼ばれ、下半身は獣のようで頭には山羊のような角があります。

そんなピリポ・カイザリヤの近くを歩きながら、イエスさまは弟子たちに「人々は私を誰だと言っていますか。」とたずねます。 弟子たちは答えとして「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」「他の預言者の一人」の三つを挙げました。

最初の洗礼者ヨハネはイエスさまが現れる少し前に救世主の道を整える人として荒野に現れ、「悔い改めよ。神さまに向き直れ。改心のしるしとして洗礼を受けよ。」と叫んだ人です。たくさんの人々がヨハネの元へと集まり、イエスさま自身もヨハネの洗礼を受けました。 ヨハネはその後やはりヘロデ大王の息子のひとりであるヘロデ・アンティパスによって捕らえられ殺されてしまいましたが、人々の中には実はイエスさまは復活した洗礼者ヨハネではないかと言っていた人がいたのです。ちなみに洗礼者ヨハネを信仰する人たちはこの後の時代にも根強く残っていきます。

二人目の「エリヤ」は旧約聖書に登場する偉大な預言者です。たくさんの奇跡を行いました。イエスさまの時代から800~900年も前の人です。旧約聖書の中には死を体験せずに地上から神さまのもとへ連れ去られた人物が二人いますが、エリヤはそのうちの一人です(もう一人はエノクです)。

旧約聖書の最後の本である「Malachi(マラキ書)」(紀元前400年頃の本)の最後は「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」([新改訳])と結ばれていて、ここで「預言者エリヤをあなたがたに遣わす。」とエリヤが再来することが予告されています。このため人々は預言者エリヤの到来を待っていた面があり、イエスさまが実はエリヤなのではないかと言っていたのです。ちなみにイエスさま自身は洗礼者ヨハネこそが預言者エリヤの再来だったのだと言いました。このようにユダヤの人々は一度地上から消えた預言者が再来するという考えを普通に持っていたので、イエスさまは「他の預言者の一人」が再来したのだという人もいたのです。

イエスさまが問います。「ではあなた方は私を誰だと言いますか。」 なるほど自分のことを預言者の再来だなどといろいろ言う人たちがいるようだが、弟子であるあなた方は自分を誰だと思うのかという問いです。ここでペテロが「あなたは救世主です。」と言います。「救世主」に充てられた単語は[NLT]では「Messiah(メシヤ)」となっています。

「メシヤ」はヘブライ語で「油を注がれた者」の意味で、ユダヤ人が王などを任命するときにその人に油を注いだことに由来します。もともとイスラエルの王は神さまが選びましたので「油を注がれた者」とは神さまが王として任命した者ということになります。当時のユダヤ人が待ち望むメシヤ像は、ダビデ王(旧約聖書にイスラエルの理想的な王として描かれる第三代の王)の血筋から生まれ、イスラエルを再建してダビデの王国を回復する人でした。人々はローマ帝国の圧政下でそんなメシヤを待ち望んでいたのです。「救世主」に充てられた単語は[KJV]では「Christ(キリスト)」となっています。「Christ」はヘブライ語の「メシヤ」にあてられたギリシア語の「クリストス」から来ています。

イエスさまはペテロが言ったイエスさまがメシヤであるということについては誰にも言わないようにと言います。人々が待っていたメシヤとはイスラエルをローマ帝国の支配から解放して独立した王国として回復するそういう政治的なリーダーだったからです。イエスさまは人々に伝えているのは「神さまの国」の到来です。それは人々が考えるような世俗的なイスラエルのことではありません。






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