マルコの福音書:第8章マルコの福音書第7章第24節~第30節:ある異邦人女性の信仰

2015年11月24日

マルコの福音書第7章第31節~第37節:イエスさまが耳の不自由な男を癒す

第7章


 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Heals a Deaf Man

イエスさまが耳の不自由な男を癒す


31 Jesus left Tyre and went up to Sidon before going back to the Sea of Galilee and the region of the Ten Towns.

31 イエスさまはツロ地方を去り、ガリラヤ湖のデカポリス地方へ戻る前にシドンへ行きました。

32 A deaf man with a speech impediment was brought to him, and the people begged Jesus to lay his hands on the man to heal him.

32 耳が不自由で言語の障害がある男が連れてこられました。人々はイエスさまにその男の上に手を置いて癒してくれるようにと懇願しました。

33 Jesus led him away from the crowd so they could be alone. He put his fingers into the man’s ears. Then, spitting on his own fingers, he touched the man’s tongue.

33 イエスさまは自分たちだけになれるように、その男の人を群衆から連れ出しました。イエスさまは男の人の両耳に指を差し入れました。それから自分の指につばを吐きかけて男の人の舌に触りました。

34 Looking up to heaven, he sighed and said, “Ephphatha,” which means, “Be opened!”

34 イエスさまは天を見上げ、ため息をついて言いました。「エパタ」 これは「開け」と言う意味です。

35 Instantly the man could hear perfectly, and his tongue was freed so he could speak plainly!

35 直ちに男の人は耳が完璧に聞こえるようになりました。舌も自由になってはっきりと話せるようになりました。

36 Jesus told the crowd not to tell anyone, but the more he told them not to, the more they spread the news.

36 イエスさまは群衆に誰にも言わないようにと言いましたが、イエスさまが人々に言わないようにと言えば言うほど、人々は知らせを広めていきました。

37 They were completely amazed and said again and again, “Everything he does is wonderful. He even makes the deaf to hear and gives speech to those who cannot speak.”

37 人々はとても驚いて繰り返し繰り返し言ったのでした。「この人のすることはみな素晴らしい。この人は耳の不自由な人を聞こえるようにし、話すことのできない人に話す力を与えます。」




ミニミニ解説

イエスさまの一行は前回のツロ地方からさらに足を北へ伸ばしてシドン地方へとやって来ます。シドンはツロから地中海沿岸をさらに40キロほど北へ上がった町で、現在のレバノンのサイダにあたります。

そこではイエスさまの元へ耳が不自由で、うまく話せない人が連れてこられます。シドンは異邦人の町ですが、連れてこられたこの人がユダヤ人なのか異邦人なのかはここではわかりません。

イエスさまはこの人だけを別の場所に連れて行って癒します。イエスさまは男の人の耳に指を入れ、それから自分のつばを付けた指で男の人の舌に触れ、天を見上げて深く息をしてから「エパタ」と言いました。イエスさまが人を癒す様子についてここまで詳細に書かれている箇所はあまりありません。「エパタ」と言うのはイエスさまが話していたアラム語だと思います。新約聖書はギリシア語で書かれていますが、わざわざイエスさまが言った原語のアラム語を載せて「これは『開け』と言う意味です」としているのは、きっとイエスさまがこのときに行った一連の癒しの行動と「エパタ」というアラム語の響きが目撃者(おそらく側近の弟子たち)の心に印象深く刻まれていたからではないでしょうか。「エパタ」の言葉の直後に男の人の耳は開き、口も自由に話せるようになったのです。

何度か説明しましたが、旧約聖書のIsaiah 6:9-10(イザヤ書第6章第9節~第10節)では、神さまからユダヤ人の元へ派遣されるイザヤが伝えるべき言葉を次のように預かります。「9 すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』 この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返っていやされることのないように。」([新改訳])。

つまりあまりにも頑固にいつになっても神さまの言葉を拒み続けるユダヤ人に対して、目で見てもわからないように耳で聞いても悟らないようになってしまえ、と呪いの言葉をかけているのです。イエスさまは福音のメッセージを伝える伝道の旅を続けながら、実際に耳の不自由な人の耳を聞こえるようにし、目の不自由な人の目を開いていきます。人々はそれを褒め称えますが、イエスさまが本当に見て欲しいもの聞いて欲しいものは健常な人々の目の前に常に提示されているのです。「耳のあるものは聞いて理解に努めなさい。」と、イエスさまが繰り返し言う言葉を正しく受け止める人はほんの少数に限られていました。あるいは一人もいなかったのかも知れません。

第36節、イエスさまは人々にこのことを誰にも言うなと警告します。人々が伝え広めるのは「奇跡を行う人」としてのイエスさまです。イエスさまが人々に知ってもらいたかったのは神さまの国の到来についてなのですから、奇跡を行う人としての自分の評判が広まっていくのはイエスさまの意図に反したのでしょう。






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