マルコの福音書第4章第21節~第25節:ランプのたとえ話マルコの福音書:第4章

2015年11月27日

マルコの福音書第4章第1節~第20節:種を蒔く農夫のたとえ話

第4章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Parable of the Farmer Scattering Seed

種を蒔く農夫のたとえ話


1 Once again Jesus began teaching by the lakeshore. A very large crowd soon gathered around him, so he got into a boat. Then he sat in the boat while all the people remained on the shore.

1 イエスさまは再び湖のほとりで教え始めました。イエスさまのまわりにはすぐにとてもたくさんの群衆が集まりましたので、イエスさまは舟に乗りました。イエスさまは船の中に座り、群衆はみな岸に残りました。

2 He taught them by telling many stories in the form of parables, such as this one:

2 イエスさまはたとえ話を使ってたくさんの物語を話して人々に教えました。たとえばこの話です:

3 “Listen! A farmer went out to plant some seed.

3 「聞きなさい。農夫が一人、種を蒔きに出て行きました。

4 As he scattered it across his field, some of the seed fell on a footpath, and the birds came and ate it.

4 農夫が自分の畑に種を蒔くと、道ばたに落ちた種がありました。そして鳥が来て食べてしまいました。

5 Other seed fell on shallow soil with underlying rock. The seed sprouted quickly because the soil was shallow.

5 別の種は岩地の上の浅い土に落ちました。土が浅かったので種はすぐに芽を出しました。

6 But the plant soon wilted under the hot sun, and since it didn’t have deep roots, it died.

6 しかし暑い日の下で草はすぐに元気を失いました。そして深い根を持たなかったために枯れてしまいました。

7 Other seed fell among thorns that grew up and choked out the tender plants so they produced no grain.

7 別の種はイバラの中に落ちて、イバラが育つとかよわい草は枯れてしまい実を結びませんでした。

8 Still other seeds fell on fertile soil, and they sprouted, grew, and produced a crop that was thirty, sixty, and even a hundred times as much as had been planted!”

8 別の種は肥えた土に落ちました。種は芽を出して育ち、三十倍、六十倍、百倍の実を結びました。」

9 Then he said, “Anyone with ears to hear should listen and understand.”

9 それからイエスさまが言いました。「聞く耳のある人は聞いて理解しなさい。」

10 Later, when Jesus was alone with the twelve disciples and with the others who were gathered around, they asked him what the parables meant.

10 後にイエスさまがひとりだけになって周囲にいるのが十二弟子と他の人たちになったとき、弟子たちはたとえ話が何を意味するのかたずねました。

11 He replied, “You are permitted to understand the secret of the Kingdom of God. But I use parables for everything I say to outsiders,

11 イエスさまは答えました。「あなた方は神の国の秘密を知ることを許されています。ですが部外者に話すときには私はすべてたとえ話を使うのです。

12 so that the Scriptures might be fulfilled: ‘When they see what I do, they will learn nothing. When they hear what I say, they will not understand. Otherwise, they will turn to me and be forgiven.’ ”

12 それは聖書の言葉が実現するためです:『彼らは私のすることを見るが何も学ばない。彼らは私の言うことを聞くが理解しない。そうしないと彼らは私に向き直り許されてしまうから。』」

13 Then Jesus said to them, “If you can’t understand the meaning of this parable, how will you understand all the other parables?

13 そしてイエスさまは弟子たちに言いました。「もしあなた方がこのたとえ話の意味を理解できないなら、どうすれば他のすべてのたとえ話を理解できるでしょうか。

14 The farmer plants seed by taking God’s word to others.

14 この農夫は神さまのことばを他の人のところへ持って行くことで種を蒔くのです。

15 The seed that fell on the footpath represents those who hear the message, only to have Satan come at once and take it away.

15 道ばたに落ちた種が意味するのは、メッセージを聞いても、サタンが来てそのメッセージがすぐ持ち去られてしまうような人たちのことです。

16 The seed on the rocky soil represents those who hear the message and immediately receive it with joy.

16 岩地の上に落ちた種が意味するのは、メッセージを聞くとすぐに喜んで受け入れる人のことです。

17 But since they don’t have deep roots, they don’t last long. They fall away as soon as they have problems or are persecuted for believing God’s word.

17 ですが根を深く張らないので長続きしません。神さまのことばを信じることで困難や迫害が起こるとすぐに脱落していきます。

18 The seed that fell among the thorns represents others who hear God’s word,

18 イバラの中に落ちた種が意味するのは、神さまのことばを聞くのですが、

19 but all too quickly the message is crowded out by the worries of this life, the lure of wealth, and the desire for other things, so no fruit is produced.

19 すぐに世の中の心配事や富の誘惑や他の物事への欲望で一杯になってしまう人のことです。そのため実を結びません。

20 And the seed that fell on good soil represents those who hear and accept God’s word and produce a harvest of thirty, sixty, or even a hundred times as much as had been planted!”

20 そして肥えた土に落ちた種が意味するのは、神さまのことばを聞いて受け入れ、蒔いた種の三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。」




ミニミニ解説

「種を蒔く農夫のたとえ話」です。イエスさまは福音書の中でたくさんのたとえ話をしますが、今回のたとえ話の解説はとても大切です。

第10節で、たとえ話を聞いた群衆が去り、イエスさまのまわりにいるのが十二弟子と他の限られた弟子たちだけになったとき、弟子たちがたとえ話の意味をたずねます。するとイエスさまは第11節で「あなた方は神の国の秘密を知ることを許されています。ですが部外者に話すときには私はすべてたとえ話を使うのです。」と言います。つまりイエスさまのたとえ話にはすべてに「裏の意味」があり、その裏の意味を知ることを許されているのはイエスさまの弟子たちだけなのです。さらにイエスさまは第13節で「もしあなた方がこのたとえ話の意味を理解できないなら、どうすれば他のすべてのたとえ話を理解できるでしょうか。」と言っています。この「種を蒔く農夫のたとえ話」の裏の意味がわからなければ、他のたとえ話の意味は決してわからないと言うのです。

さらに第12節にはイエスさまがわざわざたとえ話を用いる理由が書かれています。イエスさまは「それは聖書の言葉が実現するため」だと言います。イエスさまが用いた旧約聖書の引用はイエスさまの時代から700年ほど前に記述されたIsaiah 6:9-10(イザヤ書第6章第9節~第10節)の部分です。イザヤ書の第6章は預言者イザヤが神さまを見てしまうところから始まります。イザヤは自分が神さまの目から見てどれほど汚(けが)れた存在かを知っているので、そんな自分が聖なる神さまを見てしまって許されるわけはないと自分の死を覚悟します。しかしイザヤのところへひとりの天使が飛んできてイザヤの汚れを清めてくれるのです。そしてそのすぐ後、イザヤは神さまが人間のところへ赴く使者を求めているのを耳にすると「ここに私がおります。私を遣わしてください。」と立候補します。そして神さまがイザヤに託す人間に向けてのメッセージが今回の引用の部分です。Isaiah 6:9-10(イザヤ書第6章第9節~第10節)です。

「9 すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』 10 この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返っていやされることのないように。」 」([新改訳])

これは神さまが人間に呪いをかけることばです。人間が神さまの意志に反する行動ばかり取るので人間が神さまに「立ち返っていやされることのないように」、神さまのことばを聞いても意味を悟れず神さまの奇跡を見ても理解できないような状態に、わざわざ心を鈍らせ耳を遠くし目を閉ざしてしまったのです。

たとえ話そのものの内容はわかり易い内容です。四種類の土壌が登場して、農夫が蒔いた種は落ちた土壌によってたどる運命が異なります。当時の農夫は肩から掛けた鞄の中に種を入れておいて、畑を歩きながら種を放り投げて蒔いていたそうです。なのでどんなに熟練の農夫が蒔いても種はときには想定外の場所へと飛んでいくのです。さらに畑の中には岩もあれば雑草なども生えたままだったようです。

イエスさまが明かした「裏の意味」では、蒔かれる種が聖書のことばで、土壌は人の心です。聖書の中では人の心はよく土壌ににたとえられます。四種類の土壌は四種類の人間が存在すると考えることもできますが、同じ人間が通る四つの時期であるとか、同じ時期の同じ人間でも異なる課題に対したときに取る四つの態度と考えることもできます。






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