2015年11月30日

マルコの福音書第1章第40節~第45節:イエスさまがハンセン病の人を癒す

第1章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Heals a Man with Leprosy

イエスさまがハンセン病の人を癒す


40 A man with leprosy came and knelt in front of Jesus, begging to be healed. “If you are willing, you can heal me and make me clean,” he said.

40 ハンセン病に冒された人が来てイエスさまの前にひざまずき癒しを求めてたのみました。その人は言いました。「もしあなたが望むなら、あなたは私を癒して清くできます。」

41 Moved with compassion, Jesus reached out and touched him. “I am willing,” he said. “Be healed!”

41 イエスさまは哀れに思い、手を伸ばしてその人に触れて言いました。「私は望みます。癒されなさい。」

42 Instantly the leprosy disappeared, and the man was healed.

42 その瞬間ハンセン病は消えてなくなり、その人は癒されました。

43 Then Jesus sent him on his way with a stern warning:

43 それからイエスさまは厳しく警告をしてからその人を帰らせました。

44 “Don’t tell anyone about this. Instead, go to the priest and let him examine you. Take along the offering required in the law of Moses for those who have been healed of leprosy. This will be a public testimony that you have been cleansed.”

44 「このことを誰にも言ってはいけません。代わりに祭司のところへ行きあなたを看てもらいなさい。そのときにモーゼの律法が定めたハンセン病が癒された者に求める捧げものを持って行きなさい。こうすればあなたが清められたことが公に証明されます。」

45 But the man went and spread the word, proclaiming to everyone what had happened. As a result, large crowds soon surrounded Jesus, and he couldn’t publicly enter a town anywhere. He had to stay out in the secluded places, but people from everywhere kept coming to him.

45 ところがこの人は出て行って話を広め、何が起こったかをみなに言いふらしました。その結果、大変な群衆がすぐにイエスさまを取り囲み、どこへ行っても公然と町に入ることができなくなりました。イエスさまは人里離れたところにとどまらなければなりませんでしたが、人々はあらゆる所からイエスさまのもとにやって来ました。




ミニミニ解説

第40節には「ハンセン病に冒された人が来て」と書かれていますが、実はハンセン病に冒された人は人に近寄ってはいけないのです。「leprosy(ハンセン病)」は「らい菌」がもたらす重い皮膚病の感染症で、病名は1873年にらい菌を発見したノルウェーの学者にちなみます。「ハンセン氏病」「らい風」とも呼ばれます。らい菌の発見以前はハンセン病に似た症状の皮膚病を広く「らい病」と呼んでいたため、聖書に書かれた「leprosy」が今日のハンセン病かどうかは正確にはわかりません。日本では「らい病」は差別用語のようです。ハンセン病に感染して発症すると、末梢神経が侵され、知覚障害、運動障害、自律神経障害が出ます。タイプにもよりますがやがて皮膚症状が現れて独特の奇怪な外観になります。皮膚の構造破壊が進むと鼻、耳、指などの末端部分を失ってしまうこともあります。

旧約聖書の「Leviticus(レビ記)」には祭司がハンセン病患者を診察して判断を下すための症例がたくさん書かれていますが、その中でLeviticus 13:45-46(レビ記第13章第45節~第46節)には次のような記述があります。「患部のあるそのツァラアトの者は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。」([新改訳])。新改訳はハンセン病に「ツァラアト」という言葉をあてていますが、ここに書かれた内容によるとハンセン病であると祭司に宣言された者は共同体から離れて一人で住み、もし他の人に近づく必要があるときには自分が来ることについて遠くの方から警告を発する目的で、口をおおって「汚れている、汚れている」と叫ばなければならないのです。

ですから第40節に書かれたハンセン病の人は、レビ記に書かれたこの部分の律法に違反してイエスさまのところまで来たことになります。ハンセン病の人が近づいて来ると人々は感染を恐れて、我先にパニックのようになって離れて行きます。遠くの方から人々の悲鳴や怒号が聞こえてきて何かが近づいてくることがわかります。この人の周囲にだけポッカリと広い空間ができていたことでしょう。

この人がイエスさまに近づいていく様子を人々は遠巻きに見守ります。きっと弟子たちもイエスさまの近くから離れて行き、先生は何をしているんだ、先生も早く離れれば良いのに、と考えたのではないでしょうか。遠巻きに見守る人たちの輪の中にこの人とイエスさまだけが残されます。この人はそのままイエスさまの前まで進み、ひざまずいて頼みます。「もしあなたが望むなら、あなたは私を癒して清くできます」。この人はどのような病でも治してしまうと言うイエスさまの噂を聞いて、一縷の望みにすがり、律法を犯してまでもイエスさまのところへやって来たのです。

第41節、するとあろう事かイエスさまは自分の手を伸ばしてこのハンセン病の人に触れます。周囲は動揺と驚きを隠せません。ハンセン病の人に直接触れるだなんて・・・。そしてイエスさまは言います。「私は望みます。癒されなさい。」 すると第42節、「その瞬間ハンセン病は消えてなくなり、その人は癒されました」と書かれています。これは大変な驚きです。重い皮膚症状が現れて鼻や耳や指が欠損し運動障害を起こして上手に歩くことさえできなかったこの人のハンセン病は、イエスさまが触れた瞬間に消えてなくなりました。完治してしまったのです。いや、完治したというのではなくてその瞬間に完全な健康体の人になったのです。欠損していた鼻や耳や腕は元通りに再生し、全身の皮膚は健康なピンク色の張りを取り戻し、この人が立ち上がると背筋がピンと伸びて誰よりも健康に見えるのです。これほどドラマチックな治癒の奇跡があるでしょうか。人々の動揺と驚きは喚起と賞賛の声に代わり、人々はこの人の周りに再び集まって来ます。

ところで「leprosy(ハンセン病)」は聖書の中では「罪(sin)」の象徴として描かれています。これを読み違えてハンセン病にかかった人は何かの重い罪を犯して神さまから罰を下されたのだと解釈され、そうやってハンセン病患者に差別を加えてきた歴史がありました。これは間違いです。聖書によれば「罪(sin)」を持たない人間はいないのです。すべての人間が例外なく罪人です。と言うことは、神さまの目にはすべての人間がハンセン病患者のように見えるということです。しかし人間を愛し慈しむ神さまは「自分は汚れているから、癒し、清めて欲しい」と願うすべての人間に、イエスさまがこの人に接したように手を差し伸べてくださいます。そして素晴らしいことに神さまは罪に汚れた人間を一瞬にして癒し清めることができるのです。と言うよりも、人間の罪を癒すことは神さまにしかできないのです。

第44節、イエスさまはこの人に奇跡のことを口止めし、やはりレビ記に律法として定められた「ハンセン病が癒された者に求める捧げもの」を持って祭司のところへ出向き、公に完治したと宣言してもらいなさい、と言います。しかしこの人は自分に起こった奇跡について口を閉ざしていることができません。こうしてイエスさまの周囲にはいよいよたくさんの人が集まってきます。大変な群衆が集まって来るので、第45節、イエスさまは公然とどこの町にも入ることができなくなりました。






english1982 at 17:00│マルコの福音書