2015年11月30日

マルコの福音書第1章第16節~第20節:最初の弟子たち

第1章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The First Disciples

最初の弟子たち


16 One day as Jesus was walking along the shore of the Sea of Galilee, he saw Simon and his brother Andrew throwing a net into the water, for they fished for a living.

16 ある日イエスさまがガリラヤ湖のほとりを歩いていると、シモンと兄弟のアンデレが湖で網を打っているのが見えました。二人は生活のために漁をしていたのです。

17 Jesus called out to them, “Come, follow me, and I will show you how to fish for people!”

17 イエスさまは二人に呼びかけました。「私について来なさい。漁で人間をとる方法を教えてあげます。」

18 And they left their nets at once and followed him.

18 二人はすぐに網を置いてイエスさまに従いました。

19 A little farther up the shore Jesus saw Zebedee’s sons, James and John, in a boat repairing their nets.

19 湖のほとりをまた少し行くと、イエスさまにゼベダイの息子たちのヤコブとヨハネが舟の中で網を修理しているのが見えました。

20 He called them at once, and they also followed him, leaving their father, Zebedee, in the boat with the hired men.

20 イエスさまはすぐに二人を呼び、彼らも父親のゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残してイエスさまに従いました。




ミニミニ解説

第16節、ガリラヤ湖はイスラエル北部にある湖です。イスラエルを北から南へ流れて死海へ流れ込むヨルダン川は大陸の裂け目を流れる川ですが、ガリラヤ湖はその亀裂が深くなったところに水がたまってできています。湖の大きさは南北に約21km、一番幅の広いところで東西に13kmあります。南岸を除いて湖の周辺は切り立つ崖で、東岸は崖の上がそのまま標高900mの肥沃なゴラン高原になっています。この地形によって冷たい風が急な崖を吹き下ろすと突発的に湖面に激しい嵐が起こります。このような地形にも関わらず、当時は湖の周囲に人口15,000人以上の都市が九つあり、漁業が盛んでした。

イエスさまが歩いていたのはガリラヤ湖北部のカペナウムという町です。ここで四人を最初の弟子にしています。シモンとアンデレの兄弟とヤコブとヨハネの兄弟で、シモンはペテロのことです。このうちシモン(ペテロ)、ヤコブ、ヨハネの三人は弟子の中でいつもイエスさまと行動を共にする側近のような存在になります。この三人はイエスさまの奇跡のほんとんどをすぐ間近で目撃し、イエスさまの言葉を間近で細部まで聞いた人たちです。ペテロとヨハネはイエスさまが十字架死~復活を経て天国へ戻った後で、福音を伝える中心人物となります。ヤコブは最初に迫害によって殺される使徒となります。

実はこの四人はこのときにイエスさまと初めて遭遇したわけではありません。この四人のうち少なくとも二人は最初は洗礼者ヨハネの弟子でした。師である洗礼者ヨハネが、自分はこれから来る救世主とは比べものにならないくらい低い存在なのだと話し、イエスさまをその救世主として指さしたとき、二人はイエスさまと会っています。このときの様子は「John 1:35(ヨハネの福音書第1章第35節)」から後に書かれています。この「二人」はヨハネには「アンデレともう一人」と書かれていて、二人はイエスさまが宿泊しているところまで一緒に行ってその日をイエスさまと一緒に過ごしています。ここで「神の国」と「福音」についてかなり詳しく話を聞いたはずです。そして四人は漁師仲間ですからその情報を共有して話をしていたはずです。

それから恐らく一年ほどが経過した頃にイエスさまがガリラヤ湖畔に四人を訪ね、自分に着いて来いと呼びかけて正式に弟子にしたのがこの場面です。その間、「アンデレともう一人」は一度イエスさまに会っているにも関わらずずっと漁師をしていたということになります。ペテロは後に元の漁師に戻ろうとする場面もありますが、そんなペテロがイエスさまから「私を愛するなら私の羊を養いなさい」と大切な仕事を任され、後にはクリスチャンのリーダのひとりとなるのです。イエスさまへの信仰を表明したものの神さまに近づいたり離れたり、自分はこれでよいのだろうかと思い悩む人、福音の話はひととおり聞いたけど信仰を表明する決心がつかない人はたくさんいますが、あのペテロでさえ最初はそうだったと言うことです。






english1982 at 20:00│マルコの福音書