2015年11月30日

マルコの福音書第1章第1節~第8節:洗礼者ヨハネが道を整える

第1章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


John the Baptist Prepares the Way

洗礼者ヨハネが道を整える


1 This is the Good News about Jesus the Messiah, the Son of God. It began

1 これは神の子、救世主イエスさまに関する良い知らせです。それが始まったのは、

2 just as the prophet Isaiah had written: “Look, I am sending my messenger ahead of you, and he will prepare your way.

2 ちょうど預言者イザヤが次のように書いたとおりでした。「見なさい。私はあなたに先だって使者を送る。その使者があなたの道を整える。

3 He is a voice shouting in the wilderness, ‘Prepare the way for the Lord’s coming!  Clear the road for him!’ ”

3 その使者とは荒野で叫ぶ声です。『主が来られる。道を用意せよ。主のために道を片付けよ。』」

4 This messenger was John the Baptist. He was in the wilderness and preached that people should be baptized to show that they had repented of their sins and turned to God to be forgiven.

4 この使者が洗礼者ヨハネだったのです。ヨハネは荒野で人々に述べ伝えました。自分たちの罪を後悔し、許しを求めて神さまに向き直ったことを示すため、洗礼を受けなさいと。

5 All of Judea, including all the people of Jerusalem, went out to see and hear John. And when they confessed their sins, he baptized them in the Jordan River.

5 エルサレムの人々すべてを含むユダヤ地方のあらゆる人々が、ヨハネの話を聞こうと出て行きました。そして人々が罪を告白すると、ヨハネはヨルダン川でその人たちに洗礼を授けました。

6 His clothes were woven from coarse camel hair, and he wore a leather belt around his waist. For food he ate locusts and wild honey.

6 ヨハネの服は粗いラクダの毛から織られていて、腰には皮のベルトを締めていました。食べ物はイナゴと野蜜を食べていました。

7 John announced: “Someone is coming soon who is greater than I am -- so much greater that I’m not even worthy to stoop down like a slave and untie the straps of his sandals.

7 ヨハネは言いました。「私よりもはるかに偉大な方がすぐに来ます。あまりに偉大な方なので、私などは召使いのようにかがんで、その方のサンダルの紐を解く価値さえありません。

8 I baptize you with water, but he will baptize you with the Holy Spirit!”

8 私はあなた方に水で洗礼を授けますが、その方はあなた方に聖霊の洗礼を授けます。」




ミニミニ解説

第1節に書かれているのが「Mark(マルコの福音書)」の要約です。英語なので後ろから後ろから修飾していきますが、第1節でマルコが書いたのは「This is the Good News(これは良い知らせです)」、「about Jesus(それはイエスさまに関する知らせです)」、「the Messiah(イエスさまは救世主です)」、「the Son of God(イエスさまは神さまの息子です)」と言うことです。

第1節~第2節、イエスさまに関する福音(良い知らせ)の話は「イザヤが書いたとおり」と書かれていますが、イザヤ(Isaiah)は紀元前700年頃に存在した預言者でその言葉が旧約聖書の「イザヤ書」に納められています。イザヤ書は全体が大きく二部構成になっていて後半は救世主に関する預言です。イエスさまに関する福音は約700年前に預言されていたということです。

第3節にその部分が引用されています。これはIsaiah 40:3(イザヤ書第40章第3節)です。「荒野に呼ばわる者の声がする。『主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。』」([新改訳])。荒野で「主の道を整えよ」という声が聞こえる、というのです。

同様の預言はやはり旧約聖書のMalachi 3:1(マラキ書第3章第1節)にも見られます。マラキは紀元前400年頃の預言者で、「マラキ書」は旧約聖書全体の最後の本です。「『見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている』と万軍の主は仰せられる。」([新改訳])。

第4節ではその声の主である使者とは「洗礼者ヨハネ」のことだったのだと言います。

「洗礼者ヨハネ(John the Baptist)」はイエスさまが伝道活動を開始する少し前に出現して荒野でメッセージを伝え始めた人です。メッセージの内容は第4節に書いてあるとおり「自分たちの罪を後悔し、許しを求めて神さまに向き直りなさい」、「そして神さまに向き直ったことを示すため洗礼を受けなさい」です。ヨハネが人々に自覚するようにと呼びかけた「自分たちの罪」とは天地万物の創造者である神さまへの「背き」なのですが、簡単に言うとこれは「神さまの期待を裏切ること」「神さまをガッカリさせること」全般のことなのです。

神さまはユダヤ人を自分の言葉を伝える民族として選び、紀元前1500年頃に預言者モーゼを通じてユダヤ人が「守るべきルール」を教えています。これを律法(りっぽう)と言います。そのルールの中には条件付きの予言が含まれていて、ユダヤ人がルールを破った場合にはどのような厄災が及ぶかが書かれていました。ユダヤ民族はルールを授かったときこそ神さまへ忠誠と信仰を誓うのですが、すぐに忘れてしまって、以降は自分たちの視点で勝手なことのやり放題になります。旧約聖書に記述されたユダヤ民族の歴史は神さまへの裏切りの積み重ねなのです。

ユダヤ人の裏切りを見た神さまは次々と預言者を送って警告を発します。が、ユダヤ人は警告に従おうとしません。そのため予告どおりの厄災が降りかかります。厄災とは異民族による侵略、パレスチナ地域からの追放、そしてユダヤ国家の消滅です。紀元前8世紀からイスラエルの国家はアッシリアとバビロニアの攻撃を受けて滅び、国民は侵略国によって国外へ連れ去られ、ユダヤ国家は消滅します。その後紀元前6世紀にエルサレムの都と寺院が再建されるのですが(これも預言どおり)、洗礼者ヨハネが出現した頃のパレスチナは異邦人の国家であるローマ帝国の支配下にあり、ユダヤ民族の国家としては成立していませんでした。ローマ帝国支配からの解放と独立は当時のユダヤ人の悲願だったのです。

第5節、洗礼者ヨハネが伝えた「自分たちの神さまへの裏切りの罪を自覚して神さまに向き直りなさい」のメッセージは以前にユダヤの歴史上で警告を発した預言者のメッセージによく似ています。最後に現れた預言者は前述のMalachi(マラキ)で、それ以降400年にわたって神さまからのメッセージは止んでいましたから、人々は待望の預言者の声を聞きに荒野へ出て行きました。旧約聖書では山と荒野が霊力の強い場所なのです。さらに第5節には「そして人々が罪を告白すると、ヨハネはヨルダン川でその人たちに洗礼を授けました」と書かれています。ヨハネは自分の罪を告白した人をヨルダン川の中に連れて入り、その人をザブンと水没させて「清めの儀式」を施したのです。

聖書の中での「罪」は神さまへの裏切り行為であり、それは神聖な神さまの目には「汚(けが)れ」として映るとして書かれていることから、ヨハネは罪を告白した人を川に連れて入って形式的な洗浄の儀式を施すことでこれを悔い改めの象徴としたのです。もちろん川の水で洗うことで罪の汚れが洗い流されるわけではありません。これはイザヤ書に予告された「主のために道を整える」行為なのです。

第7節~第8節でヨハネは言っています。「私よりもはるかに偉大な方がすぐに来ます。あまりに偉大な方なので、私などは召使いのようにかがんで、その方のサンダルの紐を解く価値さえありません。私はあなた方に水で洗礼を授けますが、その方はあなた方に聖霊の洗礼を授けます」。ヨハネは自分の後から現れる救世主のことに言及して、自分はその方が来るときに備えて人々の心を準備していると言っているのです。自分は形式的に水の洗礼を授けているが、その方は「聖霊の洗礼」を授けると言います。この聖霊の洗礼こそが「罪の洗浄」の本番なのです。ヨハネの後に来るはるかに偉大な方とは救世主イエスさまのことです。

第6節にはヨハネの姿形が描かれています。「服は粗いラクダの毛から織られていて、腰には皮のベルト」「食べ物はイナゴと野蜜」。何という格好なんだろう、何という食生活なのだろうと思いますが、これは当時の生活様式からもかけ離れています。実はこれは旧約聖書に登場した最強の預言者、預言者エリヤ(Elijah)の姿形と同じなのです。2 Kings 1:7-8(列王記第二第1章第7節~第8節)です。「7 アハズヤは彼らに尋ねた。「あなたがたに会いに上って来て、そんなことをあなたがたに告げた者は、どんな様子をしていたか。」 8 彼らが、「毛衣を着て、腰に皮帯を締めた人でした」と答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ」と言った。」([新改訳])。

旧約聖書の一番最後、預言書「マラキ書」の最終節は次のように締めくくられています。Malachi 4:5~6(マラキ書第4章第5節~第6節)です。「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」([新改訳])。実際の預言者エリヤは紀元前9世紀に存在しました。マラキ書が書かれたのは紀元前5世紀(紀元前400年頃)です。その時点で「預言者エリヤをあなたがたに遣わす」との預言が出てきたということは「預言者エリヤの再来」が予告されているということになります。実はこの預言者エリヤの再来が洗礼者ヨハネだったのです。






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