ルカの福音書:第22章ルカの福音書第21章第5節~第28節:イエスさまが未来を予告する

2015年10月11日

ルカの福音書第21章第29節~第37節:イエスさまが未来を予告する(続き)

第21章



 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


29 Then he gave them this illustration: “Notice the fig tree, or any other tree.

29 それからイエスさまは人々に例を示しました。「いちじくの木か、あるいは他のどんな木でもよいので見てみなさい。

30 When the leaves come out, you know without being told that summer is near.

30 葉が出て来ると、あなた方は教えてもらわなくとも夏が近いと知ります。

31 In the same way, when you see all these things taking place, you can know that the Kingdom of God is near.

31 同じように、これらのことすべてが起こるのを見たら、あなた方は神さまの王国が近いと知ることが出来るのです。

32 I tell you the truth, this generation will not pass from the scene until all these things have taken place.

32 私はあなた方に本当のことを言います。これらのことすべてが起こるまで、この時代は過ぎ去りません。

33 Heaven and earth will disappear, but my words will never disappear.

33 天と地は消え去ります。しかし私の言葉は決して消え去りません。

34 “Watch out! Don’t let your hearts be dulled by carousing and drunkenness, and by the worries of this life. Don’t let that day catch you unaware,

34 気をつけなさい。あなた方の心を、飲んで騒いで酔っぱらったり、この世の心配事で鈍らせてはいけません。あなた方が気づかないうちに、その日に掴まることのないようにしなさい。

35 like a trap. For that day will come upon everyone living on the earth.

35 まるでわなにかかるように。なぜならその日は、地球に住むすべての人に訪れるからです。

36 Keep alert at all times. And pray that you might be strong enough to escape these coming horrors and stand before the Son of Man.”

36 いつも警戒していなさい。そしてあなた方が、これらの訪れる恐怖から逃れられるほど強くあり、そして人の子の前に立つことができるように祈りなさい。」

37 Every day Jesus went to the Temple to teach, and each evening he returned to spend the night on the Mount of Olives.

37 イエスさまは教えるために毎日寺院へ行き、夕方にはオリーブ山で夜を過ごすために戻りました。

38 The crowds gathered at the Temple early each morning to hear him.

38 人々はイエスさまの話を聞くために、毎朝早くに寺院に集まりました。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第21章です。

イエスさまはエルサレムに到着すると、最初に寺院で動物商や両替商を追い立てて一掃し、それから逮捕までの一週間の間、毎日寺院で人々に教えていました。ある日の終わりのことでしょうか、イエスさまの一行が寺院を去ろうとするところで弟子のひとりが寺院の石細工や、壁の装飾をほめたところから、イエスさまの未来の予告が始まりました。イエスさまはクリスチャンに迫害が起こること、エルサレムが軍隊に包囲されて陥落し、破壊の限りを尽くされることを予告しました。

今回と同じ記述はマルコとマタイに見つかります。

マルコはMark 13:28-37(マルコの福音書第13章第28節~第37節)です。「28 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。29 そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。30 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。31 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。32 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。33 気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。{祈っていなさい。}その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。34 それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。35 だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。36 主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。37 わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」 」([新改訳])。

マタイはMatthew 24:32-36(マタイの福音書第24章第32節~第36節)です。「32  いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。33 そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。34 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びるあsことがありません。36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、これは「マルコ」からの採用と言うことになります。

イエスさまは、人々が木から新しい葉が生えて来るのを見て夏が近いことを知るように、神さまの王国の到来が近いことを知ることが出来ると話します。マルコやマタイは木を「いちじく」に限定していますが、ルカは「他の木」も追加しています。またマルコやマタイは「人の子が戸口まで近づいている」ことを知ると書いていますが、ルカはここを「神さまの王国が近い」と言い換えています。ここに書かれた「神さまの王国の到来」が、「人の子の到来」と同義なのであれば、これは前回の最後に登場した「すべての人が、人の子が力と輝かしい栄光とともに、雲に乗って来るのを目撃」するときのこと、つまりイエスさまの再来のことでしょう。ではイエスさまの再来が近いと知ることのできる前兆が見られるとき、「これらのことすべてが起こる」ときと言うのはいつなのでしょうか。それはここまでに語られた西暦70年のエルサレム陥落までに起こる出来事のことでしょう。つまり自らを救世主と名乗り民族を扇動する革命家たちが出現し、戦争、地震、飢饉、疫病が発生し、そしてクリスチャンに対する迫害、さらには軍隊によるエルサレムの包囲と城塞都市の陥落が見られるときです。そのとき人々は殺されるか捕虜となって国外へと連れ去られるのです。イエスさまは人々がこれらのことが起こるのを見たら、神さまの王国の到来は近い、イエスさまの再来は近いと知りなさい、と言っています。これらは西暦70年に史実となった出来事なのですから、私たちはここに書かれたイエスさまの預言は予告通りに進行していると考えてよいのです。

第32節は議論の的になります。「これらのことすべてが起こるまで、この時代は過ぎ去りません。」の「この時代」は[KJV]でも[NLT]でも「this generation」となっており、「この世代」とも訳せるのですが、ここを「これらのことすべてが起こるまで、この世代は死に絶えません。」と解釈し、さらに「これらのことすべて」にイエスさまの再来までもを含めて考えると、寺院でイエスさまの話を聞いている人たちの世代が、地上から消え去るまでの間にイエスさまの再来が実現する、と予告しているようにも読めるのです。そして迫害に苦しむ当時のクリスチャンには、イエスさまの言葉のこの部分に対する期待も少なからずあったことでしょう。

しかし前回、第24節の「エルサレムは異邦人の時代が終わるまでの間、異邦人に踏み荒らされます。」の部分の「異邦人の時代」の解釈として、ひとつが「エルサレムから異邦人が去り、聖地としてのエルサレムが完全にユダヤ人の手に取り戻されるまでの期間」、もうひとつが「福音がエルサレムからもイスラエルからも外へ出て、私たち日本人を含むユダヤ人以外の外国人に述べ伝えられる、そんな時代」が可能だと書きました。この期間が終わるまでの間、エルサレムは外国人に踏み荒らされ、そして聖地としてのエルサレムが完全にユダヤ人の手に取り戻されて、いよいよイエスさまは再来する、と予告されているのですから、第32節の「これらのことすべてが起こるまで」にイエスさまの再来までもを含めてしまうのには、やや無理があると感じます。よって第32節は「エルサレム陥落までの恐ろしい出来事のすべてが起こるのは遠い未来の話ではない。いまここで私の話を聞いている人たちの中には生きている人もいるくらいです。」と解釈してもよいのではないでしょうか。イエスさまの十字架刑は西暦30年頃の出来事です。ここから西暦70年のエルサレムの陥落までには40年あります。この「40年」と言う期間は聖書の中で鍵となる「苦難の期間」の象徴で、たとえばユダヤ人がパレスチナに入る前に、神さまの期待を裏切ったことで砂漠を放浪させられた期間が40年です。西暦30年頃に寺院でイエスさまの話を聞いていた人の中に、西暦70年のエルサレム陥落を目にする人がいたとしてもおかしな話ではありません。その40年はユダヤ人にもクリスチャンにも苦難の年月となるのです。

第33節には「天と地は消え去ります。しかし私の言葉は決して消え去りません。」と書かれています。「天と地が消え去るとき」と言うのは、これから先、「終わりの日」に起こる出来事のことでしょう。しかしそれでもイエスさまの言葉は残る、と言うのです。天と地が消え去った後でも残る言葉というのは、その後に来る神さまの王国に残る言葉と言うことですから、イエスさまはここで自身の言葉を神さまの言葉として語っているのだと思います。

ここから後は油断することなくイエスさまの再来を待ちなさいと言う、クリスチャンに対する警告の言葉となります。第35節には「なぜならその日は、地球に住むすべての人に訪れる」と書かれています。前回の第27節にも「 そしてすべての人が、人の子が力と輝かしい栄光とともに、雲に乗って来るのを目撃します。」と書かれていました。 この「すべての人」と言う記述が重要です。これはイエスさまの再来が地球上の「すべての人」が認知できる形で実現する、と言うことだからです。私たちがいま「イエスさまは神さまです。それは聖書に書かれています。」と訴えたところで、これを真剣に受け止めてくれる人は限られていますが、イエスさまの再来の日にはイエスさまが雲に乗って来る姿を地球上のすべての人が目撃するのです。これはそのような不思議が起こることを言っているのかも知れないし、もしかすると地球の裏側の出来事さえリアルタイムで中継されるようになった、そういう時代のことを言っているのかも知れません。

第37節にはイエスさまが逮捕までの一週間、毎日寺院で教えていたこと、そして夜間はオリーブ山で宿営していたことが書かれています。オリーブ山はエルサレムの城門の外側、谷を越えて東側にあった山です。






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