ルカの福音書第20章第27節~第40節:復活に関する議論ルカの福音書第20章第9節~第19節:邪悪な農夫のたとえ話

2015年10月12日

ルカの福音書第20章第20節~第26節:シーザーへの税金

第20章



 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Taxes for Caesar

シーザーへの税金


20 Watching for their opportunity, the leaders sent spies pretending to be honest men. They tried to get Jesus to say something that could be reported to the Roman governor so he would arrest Jesus.

20 指導者たちは機会を狙い、誠実な人を装ったスパイを送りました。スパイたちはローマ帝国の総督が報告を受けてイエスさまを逮捕できるようなことをイエスさまに言わせようと試みました。

21 “Teacher,” they said, “we know that you speak and teach what is right and are not influenced by what others think. You teach the way of God truthfully.

21 スパイたちが言いました。「先生、私たちはあなたがお話しになり、お教えになることが正しく、あなたが他の人が考えることに影響されないことを知っています。あなたは神さまの道を誠実に教えていらっしゃいます。

22 Now tell us -- is it right for us to pay taxes to Caesar or not?”

22 ところで私たちに教えていただきたいのですが、シーザーに税金を払うことは正しいことなのでしょうか、あるいはそうではないのでしょうか。」

23 He saw through their trickery and said,

23 イエスさまはスパイたちの策略を見抜いて言いました。

24 “Show me a Roman coin. Whose picture and title are stamped on it?” “Caesar’s,” they replied.

24 「私にローマの貨幣を見せなさい。誰の肖像と称号が刻まれていますか。」 スパイたちは答えました。「シーザーのです。」

25 “Well then,” he said, “give to Caesar what belongs to Caesar, and give to God what belongs to God.”

25 イエスさまは言いました。「そうであればシーザーにはシーザーのものを、神さまには神さまのものを渡しなさい。」

26 So they failed to trap him by what he said in front of the people. Instead, they were amazed by his answer, and they became silent.

26 こうしてスパイたちは人々の前でイエスさまが言ったことで、イエスさまを罠にかけることに失敗しました。代わりにスパイたちはイエスさまの答に驚いて黙ってしまったのでした。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第20章です。

イエスさまはエルサレムに到着すると、最初に寺院の「異邦人の庭」で動物を売っている商人や、両替をしている商人たちを一掃しました。それからは毎日、逮捕までの一週間の間、寺院で人々に教えていました。この様子を見ていた祭司長たち、律法の先生たち、そして長老たちが、「あなたは何の権威で、これらのことをしているのですか。誰があなたにその権限を与えたのですか。」とイエスさまに挑戦してきましたが、イエスさまは逆に「洗礼者ヨハネの洗礼は天から来たものですか、あるいは単なる人のものですか。」と彼らが回答できない質問をしてこれを退けています。イエスさまは人々の前で邪悪な農夫のたとえ話をしました。祭司長たち、律法の先生たち、そして長老たちは「邪悪な農夫」が自分たちを指していると気づき、イエスさまをすぐにでも逮捕したいと思いましたが、イエスさまを取り巻く民衆の反応を恐れて行動に移すことが出来ません。

今回と同じ記述はマルコとマタイに見つかります。

マルコはMark 12:13-17(マルコの福音書第12章第13節~第17節)です。

「13 さて、彼らは、イエスに何か言わせて、わなに陥れようとして、パリサイ人とヘロデ党の者数人をイエスのところへ送った。14 彼らはイエスのところに来て、言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」 15 イエスは彼らの擬装を見抜いて言われた。「なぜ、わたしをためすのか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」 16 彼らは持って来た。そこでイエスは彼らに言われた。「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。17 するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。」([新改訳])。

マタイはMatthew 22:15-22(マタイの福音書第22章第15節~第22節)です。

「15 そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。16 彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。17 それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」 18 イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。19 納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。20 そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」 21 彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」 22 彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分は「マルコ」からの採用と言うことになります。

なんとしてもイエスさまを排除したい祭司長たち、律法の先生たち、長老たちはイエスさまを罠にかけようと策を巡らします。そして民衆の見ている前でイエスさまから失言を引き出そうと画策します。マルコやマタイではこの場面で派遣されたのは、ファリサイ派とヘロデ党の人たちと言うことになっていますが、ルカではそれについての言及はなく、単に「スパイ」となっています。彼らは誠実なふりを装い、イエスさまに話しかけます。「先生、私たちはあなたがお話しになり、お教えになることが正しく、あなたが他の人が考えることに影響されないことを知っています。あなたは神さまの道を誠実に教えていらっしゃいます。」 寺院の中でたくさんの人々が見ている前で、ファリサイ派から「先生」と呼びかけられ、その後には恭しくイエスさまを褒めそやす言葉が続くのですから、人々はここからの問答の展開に注目せざるを得ません。スパイの側にとっては思うつぼです。彼らはここでできるだけ多くの民衆の注目を集めたいのです。

スパイたちは続けます。「ところで私たちに教えていただきたいのですが、シーザーに税金を払うことは正しいことなのでしょうか、あるいはそうではないのでしょうか。」  シーザーは言うまでもなくイスラエルを植民地として支配するローマ帝国の皇帝です。当時はローマ帝国による属領の人口調査が行われた後で、そのシーザーはその調査結果に基づいて属領に重い税金を課しました。人々は重税に苦しんでいたのです。イスラエル国内ではあちこちで人々を扇動する活動家が現れ、人々にローマ帝国の支配から脱却しようと呼びかけて武装蜂起を起こし、これをローマ帝国軍が鎮圧するなどの騒動も起こっていました。

人々はスパイの問いかけに対し、イエスさまがどのように答えるかに注目します。もしイエスさまが「シーザーに税金を払うのは正しい」と言えば、その発言はローマ帝国によるイスラエル支配を認める発言ですから、イエスさまこそがイスラエルを救う救世主なのではないかと期待して支持してきた民衆は落胆し、大変不満に思うでしょう。そして民衆の心はイエスさまから離れて行きます。これは祭司長たち、律法の先生たち、長老たちには好都合です。そうなればイエスさまを殺しても民衆が暴動を起こす懸念が小さくなります。逆に民衆の面前でイエスさまが「シーザーに税金を払うのは正しくない」と発言すれば、スパイたちはイエスさまがローマ帝国への納税を拒否せよと民衆を扇動する反逆者であるとして、ローマ帝国の総督に通報することができます。

よく考えられた策略です。スパイたちはこれでイエスさまが答に窮してしまうだろうと考えたのでしょうが、イエスさまは最初から質問者の意図を見抜いています。そうそう簡単には尻尾を掴ませません。イエスさまはローマ帝国の貨幣を持ってくるように要求し、そこに何が刻まれているかを確認させます。ローマ帝国の貨幣にはシーザーの肖像と称号が刻まれています。それが確認されるとイエスさまは言いました。「そうであればシーザーにはシーザーのものを、神さまには神さまのものを渡しなさい。」 この機転の利いた回答にはスパイたちも驚嘆し黙り込んでしまいます。

貨幣にはシーザーの像が刻まれていたのですから、この貨幣はシーザーのものです。イエスさまの言葉に従えば、シーザーのものをシーザーに渡すローマ帝国への納税行為は是として認められます。しかしそもそも、私たちは誰のものでしょうか。私たち一人一人は神さまの創造物であり、神さまの所有物です。ですから私たちは私たちの存在すべてを神さまに渡さなければなりません。全身全霊をかけて神さまを信じ、神さまを愛し、神さまを賛美し、神さまを崇拝しなければなりません。当時のイスラエルを支配していたローマ帝国による政治秩序と同様、私たちも自分たちを取り巻く政治秩序に従うのは是です。日本国の法律を守り、日本国に税金を納めるのが正しいのです。ですが、同時に自分たちがどうしてここに存在するのか、私たち一人一人が毎日、何を意識して、どうやって過ごさなければいけないのか、それが今回のイエスさまの言葉で語られています。






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