ルカの福音書第20章第20節~第26節:シーザーへの税金ルカの福音書第20章第1節~第8節:イエスさまの権威が挑戦を受ける

2015年10月12日

ルカの福音書第20章第9節~第19節:邪悪な農夫のたとえ話

第20章



 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Parable of the Evil Farmers

邪悪な農夫のたとえ話


9 Now Jesus turned to the people again and told them this story: “A man planted a vineyard, leased it to tenant farmers, and moved to another country to live for several years.

9 さてイエスさまは再び人々の方に向き直り、このたとえ話を話しました。「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸し付けて、他の国へそこで何年か住むために移っていきました。

10 At the time of the grape harvest, he sent one of his servants to collect his share of the crop. But the farmers attacked the servant, beat him up, and sent him back empty-handed.

10 ぶどうの収穫の時期となり、その人は収穫物の割り当てを徴収するためにしもべをひとり派遣しました。ところが農夫たちは、そのしもべを襲ってひどい目にあわせ、何も持たせずに送り帰しました。

11 So the owner sent another servant, but they also insulted him, beat him up, and sent him away empty-handed.

11 そこでぶどう園の所有者は別のしもべを送りましたが、農夫たちはそのしもべをはずかしめ、ひどい目にあわせ、何も持たせないで追い払いました。

12 A third man was sent, and they wounded him and chased him away.

12 三番目の人が送られましたが、農夫はその人に傷を負わせて追い払いました。

13 “‘What will I do?’ the owner asked himself. ‘I know! I’ll send my cherished son. Surely they will respect him.’

13 ぶどう園の所有者は自分に言いました。『どうしようか。わかったぞ。私の愛する息子を送ろう。農夫たちも息子には敬意を払うだろう。』

14 “But when the tenant farmers saw his son, they said to each other, ‘Here comes the heir to this estate. Let’s kill him and get the estate for ourselves!’

14 しかし農夫たちはその息子を見ると、互いに言いました。『この地所のあと取りが来るぞ。殺して地所を我々のものにしよう。』

15 So they dragged him out of the vineyard and murdered him. “What do you suppose the owner of the vineyard will do to them?” Jesus asked.

15 そこで農夫たちは息子をぶどう園の外へ引きずり出して殺しました。イエスさまがたずねました。「あなた方はぶどう園の所有者が農夫たちに何をすると思いますか。」

16 “I’ll tell you -- he will come and kill those farmers and lease the vineyard to others.” “How terrible that such a thing should ever happen,” his listeners protested.

16 「あなた方に教えましょう。彼はやって来て農夫たちを殺し、ぶどう園は他の人たちに貸すのです。」 聞き手の人たちは言いました。「そのようなことがあるとはなんと恐ろしいことでしょうか。」

17 Jesus looked at them and said, “Then what does this Scripture mean? ‘The stone that the builders rejected has now become the cornerstone.’

17 イエスさまは人々を見つめて言いました。「では聖書のこの言葉は何を意味しますか。『家の建築者たちが捨てた石が、いまや土台の石となった。』

18 Everyone who stumbles over that stone will be broken to pieces, and it will crush anyone it falls on.”

18 この石につまずく者はだれでも粉々に砕かれ、またこの石が上に落ちれば、どんな人でも押し砕きます。」

19 The teachers of religious law and the leading priests wanted to arrest Jesus immediately because they realized he was telling the story against them -- they were the wicked farmers. But they were afraid of the people’s reaction.

19 律法の先生たちと祭司長たちは、イエスさまが自分たちに反抗してこの話をしたと、自分たちが邪悪な農夫なのだと気づいたので、即座にイエスさまを逮捕したいと思いました。しかし彼らは民衆の反応を恐れました。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第20章です。

イエスさまはエルサレムに到着し、城塞内部の北東部にある寺院へ入りました。イエスさまは最初に「異邦人の庭」で動物を売っている商人や、両替をしている商人たちを一掃すると、それからは毎日、逮捕までの一週間の間、寺院で人々に教えていました。 前回、この様子を見ていた祭司長たち、律法の先生たち、そして長老たちが、「あなたは何の権威で、これらのことをしているのですか。誰があなたにその権限を与えたのですか。」とイエスさまに挑戦してきましたが、イエスさまは逆に「洗礼者ヨハネの洗礼は天から来たものですか、あるいは単なる人のものですか。」と彼らが回答できない質問をしてこれを退けています。今回はこの続きでイエスさまは人々の前で邪悪な農夫のたとえ話をしました。

今回と同じ記述はマルコとマタイに見つかります。

マルコはMark 12:1-12(マルコの福音書第12章第1節~第12節)です。

「1 それからイエスは、たとえを用いて彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。2 季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、しもべを農夫たちのところへ遣わした。3 ところが、彼らは、そのしもべをつかまえて袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。4 そこで、もう一度別のしもべを遣わしたが、彼らは、頭をなぐり、はずかしめた。5 また別のしもべを遣わしたところが、彼らは、これも殺してしまった。続いて、多くのしもべをやったけれども、彼らは袋だたきにしたり、殺したりした。6 その人には、なおもうひとりの者がいた。それは愛する息子であった。彼は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう』と言って、最後にその息子を遣わした。7 すると、その農夫たちはこう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』 8 そして、彼をつかまえて殺してしまい、ぶどう園の外に投げ捨てた。9 ところで、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。彼は戻って来て、農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。10 あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。11 これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』」 12 彼らは、このたとえ話が、自分たちをさして語られたことに気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、やはり群衆を恐れた。それで、イエスを残して、立ち去った。」([新改訳])。

マタイはMatthew 21:33-46(マタイの福音書第21章第33節~第46節)です。

「33 もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。34 さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。35 すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。36 そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。37 しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう』と言って、息子を遣わした。38 すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』 39 そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。40 この場合、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」 41 彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」 42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』 43 だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。44 また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」 45 祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。46 それでイエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、今回の部分は「マルコ」からの採用となります。

さて今回のたとえ話の解釈ですが、まずぶどう園を造ったぶどう園の所有者は神さまで、ぶどうはイスラエルの民を表します。これはたとえば旧約聖書のIsaiah 5:1-5(イザヤ書第5章第1節~第5節)を読むとわかります。

「1 さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。2 彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。3 そこで今、エルサレムの住民とユダの人よ、さあ、わたしとわがぶどう畑との間をさばけ。4 わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。なぜ、甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか。5 さあ、今度はわたしが、あなたがたに知らせよう。わたしがわがぶどう畑に対してすることを。その垣を除いて、荒れすたれるに任せ、その石垣をくずして、踏みつけるままにする。6 わたしは、これを滅びるままにしておく。枝はおろされず、草は刈られず、いばらとおどろが生い茂る。わたしは雲に命じて、この上に雨を降らせない。」([新改訳])

ここで預言者イザヤはユダヤの民をぶどうにたとえて、甘いぶどうができることを期待してぶどう畑を造ったのに、酸っぱいぶどうができてしまったと言います。だからぶどう畑の主である神さまは、畑が荒れるにまかせ、滅びるままに放置するぞ、とユダヤ人に警告しています。このように旧約聖書の預言書ではイスラエルの民がぶどうやイチジクにたとえられることがたびたびあるのです。寺院でイエスさまの話を聞いていた人々は、すぐにイザヤ書のこの部分などを思い浮かべて、イエスさまが神さまとユダヤ人の話をしているのだと気づいたはずです。

次にぶどう園の所有者からぶどう園へ、収穫の回収に派遣されたしもべたちですが、これはつまり神さまの元からユダヤ人のところへ繰り返し派遣された人たちということになりますから、神さまのメッセージを預かった預言者たちということになります。この人たちはどうなったでしょうか。マルコでは最初のしもべは袋だたきにされ、二人目は頭をなぐられて侮辱されます。そして三人目は殺されます。さらに続いて多くのしもべが送られますが、袋だたきにされたり、殺されたりしています。マタイではしもべたちが二度にわたり、袋だたきにされ、殺され、石で打ち殺されます。ルカではしもべは殺されません。最初のしもべは襲われてひどい目にあわされ、二人目は侮辱されてひどい目にあわされ、三人目は傷を負わされます。これは旧約聖書に登場する預言者たちのたどった末路です。預言者が預かった神さまのメッセージは、耳に痛い忠告ばかりで、これを声高に叫ぶ預言者は疎まれ、迫害され、ときには殺されました。

さてぶどう園の所有者は、しもべたちが繰り返しひどい目にあわされ、いっこうに収穫の回収ができないので、最後に自分の愛する息子を送ることにします。神さまの愛する息子ですから、これはイエスさまのことです。たくさんの預言者の後で最後に神さまから送られたのが救世主イエスさまです。農夫たちはどうしたでしょうか。「この地所のあと取りが来るぞ。殺して地所を我々のものにしよう。」と話して、ぶどう園の所有者が送った息子をぶどう園から引きずり出して殺してしまいます。当時のイスラエルでも、あと取りの息子を殺したところで血縁関係にない人が地所の相続をすることは通常はできないはずですが、息子は殺される前に地所から引きずり出されたりしていますから、たとえば所有者のいなくなった地所に最初に乗り込んで占有し、最終的に自分の財産にしてしまうような横暴がまかり通った可能性はあります。

ここまで話すとイエスさまがたずねます。「あなた方はぶどう園の所有者が農夫たちに何をすると思いますか。」 そしてその答えは「ぶどう園の所有者がやって来て農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人たちに貸す。」でした。

神さまが繰り返し送り出した預言者たちをひどい目にあわせ、自分の息子までもを殺したのは誰だったでしょうか。それはぶどう園を管理していた農夫たちです。ぶどうがユダヤ民族なら、民族を管理していたのはユダヤの支配者層です。つまりはイエスさまの時代なら、祭司長たち、律法の先生たち、そして長老たちと言うことになります。最後に彼らはイエスさまのこのたとえ話が自分たちを批判していることに気づき、イエスさまをすぐにでも逮捕したいと思いますが、イエスさまを支持する民衆が騒ぎ出すのを恐れてこの時点で行動に移すことはしません。

ユダヤの指導者たちから取り上げられたぶどう園は誰に貸されるのでしょうか。マタイの第43節には「だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。」と書かれていて、それがユダヤ人ではない別の国民であることが書かれています。これはユダヤ人が預言者とイエスさまを拒絶したことで、神さまの恩恵の向かう先は外国人へ移ることになるのですよ、と警告しているのです。外国人にはもちろん私たち日本人も含まれます。私たちがこうして福音に触れて神さまとの関係が築けるようになっているのは、実は聖書の預言の実現なのです。

イエスさまが最後に引用した聖書の言葉は、Psalm 118:22-23(詩編第118章第22節~第23節)です。「22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。」([新改訳])。これはイスラエルを建てる指導者たちが民衆を扇動して排除したイエスさまが、死から復活して、その後イエスさまを通じた救済を信じるキリスト教が成立し、これを信じる人たちの礎になったことを示す句とされます。神さまのされることはいつもとても素敵で、それでいて私たちの目にはとても不思議なのです。ルカの第18節には「この石につまずく者はだれでも粉々に砕かれ、またこの石が上に落ちれば、どんな人でも押し砕きます。」と書かれています。イエスさまを救世主として信じずに攻撃を仕掛ける者は粉々に砕かれ、ひとたびイエスさまが動けばどのような人も押しつぶしてしまう、というような意味でしょう。






english1982 at 21:00│ルカの福音書 
ルカの福音書第20章第20節~第26節:シーザーへの税金ルカの福音書第20章第1節~第8節:イエスさまの権威が挑戦を受ける