ルカの福音書第20章第9節~第19節:邪悪な農夫のたとえ話ルカの福音書:第20章

2015年10月12日

ルカの福音書第20章第1節~第8節:イエスさまの権威が挑戦を受ける

第20章



 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Authority of Jesus Challenged

イエスさまの権威が挑戦を受ける


1 One day as Jesus was teaching the people and preaching the Good News in the Temple, the leading priests, the teachers of religious law, and the elders came up to him.

1 ある日イエスさまが寺院で人々に教え、福音の伝道を行っていると、祭司長たち、律法の先生たち、長老たちがイエスさまのところへ来ました。

2 They demanded, “By what authority are you doing all these things? Who gave you the right?”

2 彼らはイエスさまに要求しました。「あなたは何の権威で、これらのことをしているのですか。誰があなたにその権限を与えたのですか。」

3 “Let me ask you a question first,” he replied.

3 イエスさまは答えました。「先に私に質問させてください。

4 “Did John’s authority to baptize come from heaven, or was it merely human?”

4 ヨハネの洗礼の権威は天から来たものですか、あるいは単なる人のものですか。」

5 They talked it over among themselves. “If we say it was from heaven, he will ask why we didn’t believe John.

5 彼らは自分たちで話し合いました。「我々がもし権威が天から来たと言えば、イエスはなぜ我々がヨハネを信じなかったのかときくだろう。

6 But if we say it was merely human, the people will stone us because they are convinced John was a prophet.”

6 しかしもし我々が権威は単なる人のものだと言えば、民衆は我々を石打ちにするだろう。彼らはヨハネが預言者だと確信しているのだから。」

7 So they finally replied that they didn’t know.

7 それで彼らは結局、わからないと答えました。

8 And Jesus responded, “Then I won’t tell you by what authority I do these things.”

8 イエスさまは答えました。「それなら私も、私が何の権威によってこれらのことをするのか、あなた方には話しません。」




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第20章です。

今回と同じ記述はマルコとマタイに見つかります。

マルコはMark 11:27-33(マルコの福音書第11章第27節~第33節)です。

「27 彼らはまたエルサレムに来た。イエスが宮の中を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちが、イエスのところにやって来た。28 そして、イエスに言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」 29 そこでイエスは彼らに言われた。「一言尋ねますから、それに答えなさい。そうすれば、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているかを、話しましょう。30 ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。答えなさい。」 31 すると、彼らは、こう言いながら、互いに論じ合った。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったかと言うだろう。32 だからといって、人から、と言ってよいだろうか。」――彼らは群衆を恐れていたのである。というのは、人々がみな、ヨハネは確かに預言者だと思っていたからである。33 そこで彼らは、イエスに答えて、「わかりません」と言った。そこでイエスは彼らに、「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい」と言われた。」([新改訳])。

マタイはMatthew 21:23-27(マタイの福音書第21章第23節~第27節)です。

「23 それから、イエスが宮に入って、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」 24 イエスは答えて、こう言われた。「わたしも一言あなたがたに尋ねましょう。もし、あなたがたが答えるなら、わたしも何の権威によって、これらのことをしているかを話しましょう。25 ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか。それとも人からですか。」すると、彼らはこう言いながら、互いに論じ合った。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったか、と言うだろう。26 しかし、もし、人から、と言えば、群衆がこわい。彼らはみな、ヨハネを預言者と認めているのだから。」 27 そこで、彼らはイエスに答えて、「わかりません」と言った。イエスもまた彼らにこう言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、今回の部分は「マルコ」からの採用となります。

イエスさまはエルサレムに到着し、城塞内部の北東部にある寺院へ入りました。前回、イエスさまは異邦人の庭で動物を売ったり、両替をしている商人たちを一掃しています。それからは毎日、逮捕までの一週間の間、寺院で人々に教えていました。今回の第1節によるとイエスさまは寺院で人々に「Good News(良い知らせ=福音)」を伝えていたのです。福音とは、最初の人間から始まり、その後長らく続いていた神さまと人間との断絶がいよいよ解消される日が来る、それを受け取るために人間の側から差し出すものは何も必要なくて、なぜならそれは神さまが人間に一方的に与えてくださる贈り物だからだという、人間にとっては大変都合の良い知らせのことです。この様子を見ていた祭司長たち、律法の先生たち、そして長老たちはイエスさまの殺害計画を練り始めました。今回はこの人たちがイエスさまに挑戦してきます。

まず「the leading priests(祭司長たち)」と書かれているのは「サドカイ派」と呼ばれる貴族階級の人たちのことです。ユダヤ人の中で祭司職を務められるのは、ユダヤの12の氏族の中のレビ族の中で、特にモーゼの兄のアロンの家系の人たちに限定されます。さらにこの中の祭司長と言うのは、世襲の大祭司を筆頭に8人~10人で構成される評議会のことで、ユダヤ共同体の中の最高権力機関となります。次に「the teachers of religious law(律法の先生たち)」と書かれているのは「ファリサイ派」です。本来ユダヤ共同体の中で、聖書のこと、律法のことを司るのは祭司層のはずでしたが、イエスさまの時代には祭司層が俗化して力を失い、代わりに律法に精通し、掟の遵守を厳格に実行する宗教学者のファリサイ派が民衆の支持を集めて力をつけていました。最後に「the elders(長老たち)」と書かれているのは古くからの世襲の貴族層です。主にこの三派が「サンヘドリン」と言う、70人前後のユダヤの最高議決機関を構成していました。日本にたとえれば70人から成る「サンヘドリン」が国会兼最高裁判所で、大祭司を筆頭とした8人~10人の祭司長たちが内閣にあたります。

この人たちが寺院で人々に教えるイエスさまに詰め寄ります。日本で言えば閣僚や、国会議員たちがまとまってやってきているわけです。おそらくこの場面で周囲の人々は後ずさり、ひざまずいていると思われます。彼らはイエスさまに答えを要求します。「あなたは何の権威で、これらのことをしているのですか。誰があなたにその権限を与えたのですか。」 「all these things(これらすべてのこと)」と書かれているのは、彼らを困らせていることすべてでしょう。ガリラヤ地方で人々を集めて支持基盤を築き、多数の弟子を引き連れてエルサレムに上り、寺院では商人たちをムチを振り回して一掃し、それから毎日、人々に対して我が物顔で福音を伝えています。これらのことすべてを言っているのでしょう。

イエスさまの権威は天から来ています。イエスさまに権限を与えたのは神さまです。しかしイエスさまはそれを伝えることはしません。たとえ伝えたとしても、彼らは「そう言うのであれば我々にしるしを見せて証明しろ」と言うだけです。イエスさまはもうすでに十分なしるしを人々に見せてきているし、この国会議員団はこれまで何度も調査団をイエスさまのところへ派遣してそのほとんどを知っているのです。しかしこの人たちはかたくなに信じようとしません。この人たちが持っている人々の上に立つ権威は明白です。サドカイ派は世襲で祭司職を受け継いできているのですし、ファリサイ派は「ラビ」と呼ばれる律法の先生になるためには、およそ40年にも及ぶ厳格な宗教教育プログラムを受けてきているのです。しかし旧約聖書に登場する数々の預言者たちの権威は、主に奇跡のわざと、伝えたメッセージの内容によって証明されて来てます。イエスさまはガリラヤで伝道の活動を始めて以降、聖書にあらかじめ予告されていた、救世主が出現したときに行うとされる奇跡のわざの数々を行って見せ、さらに会堂では律法の制定者である神さまの視点で聖書を教えて人々を驚かせて来ました(一般のラビたちの聖書指導では、過去の教えをそのままなぞることがほとんどだったようです)。

イエスさまは閣僚及び国会議員団に回答する代わりに質問で返します。「先に私に質問させてください。ヨハネの洗礼の権威は天から来たものですか、あるいは単なる人のものですか。」 ここに登場する「ヨハネ」は洗礼者ヨハネのことです。洗礼者ヨハネはイエスさまに先駆けてイスラエルに現れ、荒野にたくさんの人々を集めて「自分の罪を認めなさい。神さまに向き直りなさい。」と厳しいメッセージを伝えた人です。ヨハネは自分の罪を認めた人たちをヨルダン川などの水に水没させる形で洗礼の儀式を行ったため、特に洗礼者ヨハネと呼ばれています(同じヨハネでも、「ヨハネの福音書」を書いたヨハネはイエスさまの弟子です。洗礼者ヨハネとは別人です)。

このヨハネが行った洗礼の権威は果たして天のものか(つまり神さまの意志に基づくものか)、あるいは人のものか(つまりヨハネ個人の思いつきで始めたとか、誰か別の人間にたのまれたものか)という質問です。これは宗教的な質問です。イエスさまに詰め寄って来ているのは祭司層を代表する人たちと、律法を代表する人たちなのですから、この質問に答えないわけにはいきません。が、彼らは困ってしまいます。そしてひそひそと相談を始めます。彼らはヨハネが荒野で人々を集めていると知ると、調査団を派遣しています。その様子はJohn 1:19-27(ヨハネの福音書第1章第19節~第27節)に書かれています。

「19 ヨハネの証言は、こうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねさせた。20 彼は告白して否まず、「私はキリストではありません」と言明した。21 また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた。「違います。」 22 そこで、彼らは言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人々に返事をしたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」 23 彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。」 24 彼らは、パリサイ人の中から遣わされたのであった。25 彼らはまた尋ねて言った。「キリストでもなく、エリヤでもなく、またあの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」 26 ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。27 その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」([新改訳])。

彼らはヨハネの洗礼の権威を天からのものだと認めていないのです。それならば堂々とイエスさまにそう言えばよいのですが、彼らはそれを民衆の前で公言することができません。なぜなら自分たちの周りにいる民衆は荒野でヨハネの教えを聞き、洗礼を受けたのと同じ民衆だからです。人々はヨハネが神さまから派遣された預言者であると信じています。もし彼らがヨハネの権威が天からのものではないと言えば、人々は彼らに敵意を向けるでしょう。そこから人々がどのような行動に出るか想像できません。もしかすると自分たちが恐れている事柄の一つ、イエスさまを指導者にかつぐ反ローマの民衆の決起の引き金を引いてしまうかも知れないのです。そこで彼らは結局、「わかりません」と言わざるを得ませんでした。

これを聞いたイエスさまは言います。「それなら私も、私が何の権威によってこれらのことをするのか、あなた方には話しません。」 イエスさまを問い詰めた人たちは、イエスさまの質問に「わかりません」と答えさせられて大きな恥をかき、イエスさまが彼らを手玉にとってその場の主導権を握る様子をたくさんの人々に見られてしまいました。彼らは何とかして邪魔者のイエスさまを取り除こうと殺害の計画を進めます。しかしどうでしょうか、いまはイエスさまの周囲に集まり、イエスさまを信じて熱狂している民衆も、数日後のイエスさまの十字架の場面では「殺せ」「殺せ」とイエスさまに怒りを向けて叫ぶのです。






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