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2015年10月14日

ルカの福音書第18章第31節~第34節:イエスさまが再び自分の死を予告する

第18章



 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Again Predicts His Death

イエスさまが再び自分の死を予告する


31 Taking the twelve disciples aside, Jesus said, “Listen, we’re going up to Jerusalem, where all the predictions of the prophets concerning the Son of Man will come true.

31 イエスさまは十二人の弟子をわきへ連れて行き、言いました。「いいですか、私たちはエルサレムへ上って行きます。そこでは人の子について預言者たちが予告したことのすべてが実現するのです。

32 He will be handed over to the Romans, and he will be mocked, treated shamefully, and spit upon.

32 人の子はローマ人に引き渡され、あざけられ、恥ずべき扱いを受け、つばを吐きかけられます。

33 They will flog him with a whip and kill him, but on the third day he will rise again.”

33 ローマ人は人の子をむちで打ち、殺します。しかし三日目に人の子はよみがえります。」

34 But they didn’t understand any of this. The significance of his words was hidden from them, and they failed to grasp what he was talking about.

34 しかし弟子たちにはこれらのひとつも理解しませんでした。イエスさまの言葉の重要性は弟子たちからは隠されていたからです。そこで弟子たちはイエスさまが何を話しているのか理解できませんでした。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第18章です。

イエスさまの一行は第9章の終わりにいよいよエルサレムに向けて出発しました。そこから第19章のエルサレムへの到着まではエルサレムへの旅の途中という構成になっています。ルカの構成は長い「エルサレムへの旅程」の中に様々な出来事やイエスさまの話を時間や場所の整合をあまり重視することなしにちりばめて作っているようです。

イエスさまの一行はいよいよエルサレムへ近づいて来ました。イエスさまはエルサレムで起こる出来事を弟子たちに三度にわたって予告しています。ルカでは一回目の予告は、Luke 9:18-22(ルカの福音書第9章第18節~第22節)で行われました。「18 さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちがいっしょにいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。」 19 彼らは、答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。ある者はエリヤだと言い、またほかの人々は、昔の預言者のひとりが生き返ったのだとも言っています。」 20 イエスは、彼らに言われた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言った。「神のキリストです。」 21 するとイエスは、このことをだれにも話さないようにと、彼らを戒めて命じられた。22 そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」([新改訳])。

二回目の予告はLuke 9:43-45(ルカの福音書第9章第43節~第45節)です。「43 人々はみな、神のご威光に驚嘆した。イエスのなさったすべてのことに、人々がみな驚いていると、イエスは弟子たちにこう言われた。44 「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」 45 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである。また彼らは、このみことばについてイエスに尋ねるのを恐れた。」([新改訳])。

今回が三回目ですが、同じ記述はマルコとマタイに見つかります。

マルコはMark 10:32-34(マルコの福音書第10章第32節~第34節)です。「32 さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二弟子をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを、話し始められた。33 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。34 すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」([新改訳])。

マタイはMatthew 20:17-19(マタイの福音書第20章第17節~第19節)です。「17 さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。18 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。19 そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」([新改訳])。

「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、この部分はマルコからの採用と言うことになります。 マルコとマタイではイエスさまが引き渡される相手は「祭司長、律法学者たち」であり、その後で異邦人に引き渡されるとなっていますが(また実際にそのように出来事は進みますが)、ルカでは途中のプロセスは省かれて、ローマ人(異邦人)に直接引き渡されるように書かれています。

エルサレムではここに書かれていることがそのまま起こります。イエスさまはまずユダヤ人の宗教裁判により死刑に定められ、ローマ総督のピラトの元へ送られます。その途上でイエスさまはあざけられ、恥ずべき扱いを受け、つばを吐きかけられます。そしてピラトの判決を受けたイエスさまはムチで打たれた上で、十字架刑により処刑されます。イエスさまは十字架の上で息を引き取り、死体は墓に埋葬されますが、三日後に復活します。

これらのイエスさまの言葉は実際にイエスさまが話した予告ではなく、イエスさまの復活後に福音書が編集される段階で書かれたのではないか、という指摘があります。特に「しかし三日目に人の子はよみがえります。」の部分がつけ加えたように読めるという指摘です。そうかも知れませんし、そうではないかも知れません。ですが大きな問題ではないと思います。それはイエスさまが言うように、これからエルサレムで起こる救世主にまつわる出来事は、イエスさまの時代より数百年も昔に旧約聖書の中に預言されていたからです。

ここには、イエスさまが繰り返し自分の死の予告を行っても、弟子たちがその意味を理解しなかったのは、それが「弟子たちからは隠されていたから」と書かれています。 弟子たちはイエスさまがいよいよ逮捕されるそのときまで、ついにイエスさまがイスラエルの王として立つときが来たと、そしてそのときには自分たちはイスラエルを治める重要なポストに登用されるのだと期待していたのですが、それは弟子たちが愚かなのではなくて、イエスさまに関する奥義は神さまによって隠されていたからなのです。






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