ルカの福音書第14章第15節~第24節:盛大な祝宴のたとえ話ルカの福音書第14章第1節~第6節:イエスさまが安息日に癒す

2015年10月18日

ルカの福音書第14章第7節~第14節:イエスさまが謙遜について教える

第14章



 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Teaches about Humility

イエスさまが謙遜について教える


7 When Jesus noticed that all who had come to the dinner were trying to sit in the seats of honor near the head of the table, he gave them this advice:

7 イエスさまは食事に来た人々の全員が上座に近い名誉の席に座ろうとしていることに気づき、彼らに助言をしました。

8 “When you are invited to a wedding feast, don’t sit in the seat of honor. What if someone who is more distinguished than you has also been invited?

8 「あなた方が婚礼の宴会に招かれる場合、名誉の席に座ってはいけません。あなた方よりもずっと高名な誰かが宴会に招かれていたらどうするのですか。

9 The host will come and say, ‘Give this person your seat.’ Then you will be embarrassed, and you will have to take whatever seat is left at the foot of the table!

9 主催者が来て言うでしょう。『この人にあなたの席を譲ってください。』 するとあなた方はきまりの悪い思いをして、下座で残っている席ならどこでもよいから着かなければならないでしょう。

10 “Instead, take the lowest place at the foot of the table. Then when your host sees you, he will come and say, ‘Friend, we have a better place for you!’ Then you will be honored in front of all the other guests.

10 そうではなくて下座の一番低い席に着きなさい。すると主催者があなた方を見つけると、来て言うでしょう。『友よ、あなたのためにもっと良い席がありますよ。』 そうすると他の賓客全員の前で名誉に感じます。

11 For those who exalt themselves will be humbled, and those who humble themselves will be exalted.”

11 なぜなら誰でも自分を褒めそやす者はくじかれ、誰でも自分を謙虚にする者は褒めそやされるからです。」

12 Then he turned to his host. “When you put on a luncheon or a banquet,” he said, “don’t invite your friends, brothers, relatives, and rich neighbors. For they will invite you back, and that will be your only reward.

12 それからイエスさまは主催者の方を向いて言いました。「昼食会や夕食会を催すなら、あなたの友人、兄弟、親戚、近所の裕福な人たちを招いてはいけません。なぜならその人たちはお返しにあなたを招き、それだけがあなたの受け取る報いとなります。

13 Instead, invite the poor, the crippled, the lame, and the blind.

13 そうではなくて、貧しい者たち、からだの不自由な者たち、足のなえた者たち、目の不自由な人たちを招きなさい。

14 Then at the resurrection of the righteous, God will reward you for inviting those who could not repay you.”

14 そうすれば正しい者が生き返るときには、あなたにお返しができない人たちを招いた分については、神さまがあなたに報いてくださるからです。」




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第14章です。

イエスさまの一行は第9章の終わりにいよいよエルサレムに向けて出発しました。そこから第19章のエルサレムへの到着まではエルサレムへの旅の途中という構成になっています。ルカの構成は長い「エルサレムへの旅程」の中に様々な出来事やイエスさまの話を時間や場所の整合をあまり重視することなしにちりばめて作っているようです。

今回と次回は婚礼の祝宴の話です。「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式にあてはめると、これは「ルカ」の福音書だけに見られる話ですので、ルカの「独自の資料」と言うことになります。

話はあたかも前回の話の続きのように編集されていて、安息日の礼拝の儀式の後で開かれたファリサイ派による食事会の席での出来事にように読めます。ここで問題とされているのは、そういう食事会に招かれた誰もが、上座の席に座ろうとしている点です。私たち日本人も冠婚葬祭の席順には「こうあるべき」と言う常識的なマナーがあることを知っています。実際に結婚式の披露宴を開く側となると、招待客のどの人をどのテーブルに着かせるべきかが重大事となります。それはつまり招かれる側にも、どのテーブルに通されるかで、その宴会における自分の序列がある程度わかるからで、祝宴が大きくなればなるほど、すべての人が納得する席順の設定が難しくなり、主催者を悩ませるのです。

前半部分のイエスさまの助言は、席次が特に示されない類の食事会に招かれた場合の招待客の取るべき行動で、そういうときにはとりあえず末席のあたりに座っておけば、それよりも下位の席は存在しないのですから、主催者から席次を下げられて恥ずかしい思いをすることはないのですよ、と言っています。なるほどこれは私たち自身も日頃の会食で使えそうな実践的マナー講座みたいな知恵で、「さすが聖書」「さすがイエスさま」と言うような評価もされそうですが、そういう間違いを犯してはいけません。イエスさまは最初に自分の話すたとえ話はすべて「神さまの王国」についての話をしているのだと弟子たちに明かしました。そして弟子たちだけがたとえ話の裏にある奥義を知ることを許されているのだと告げました。だからこのたとえ話にもきっと裏に奥義があるのでしょう。

世界の終わりを扱う「終末論」に出てくる祝宴は、天国の神さまの王国に迎えられる人が、イエスさまと共に着くことになる宴席です。だからこのたとえ話の祝宴も、その祝宴を指すのだろうと考えた方が良いと思います。最終的に自分の選択する行いが神さまの目にかなって、自分が天国へ迎えられる人の列に加えていただいたからと言って、イエスさまの祝宴で上座に座ろうなどとは考えてはいけない、とイエスさまは言っているのでしょうか。自分がどれほど神さまの期待を裏切って来ているかを正しく認識し、自分は当然地獄へ堕とされるべきだと知り、それにもかかわらず神さまが用意したイエスさまの十字架と言う人類救済のプランが、本来は不可能であったはずの天国への道を開き、福音を信じることで初めて自分は天国へ至ることができるのです。だとしたら、自分が神さまの祝宴の席で取るべき態度は、ただただ謙虚に神さまに感謝することになるのでしょう。そうすれば自然と足は末席に向かうことになるのではないですか、それが神さまを褒め称える人の振る舞い方ではないですか、とイエスさまは言っているのかも知れません。

第11節にある「誰でも自分を褒めそやす者はくじかれ、誰でも自分を謙虚にする者は褒めそやされる。」はイエスさまの話に特有の謎かけです。神さまの前で高慢になる者は挫かれ、謙虚に振る舞うことを覚えればそれが評価されて高められるのです。

最後の第12節~第14節は祝宴を開く主催者に対する言葉になっています。イエスさまはもし自分が昼食会や夕食会を催す側に立つのなら、見返りの期待できるような友人、兄弟、親戚、近隣の裕福な人たちではなくて、見返りを期待できない貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、目の不自由な人を招きなさい、と言います。身体の不自由な人たちが社会的な保護を受けていろいろな意味で守られるようになるのは、世界の歴史上ごく最近の話で、身体の不自由な人たちはどこでも不当な扱いを受けて、まともに就職もできないような生活を余儀なくされてきました。聖書はそんな中では珍しく、そういう不遇な人たちや、異邦の人たちに優しくしなさい、手厚くもてなしなさい、寛容に施しなさいと教えている本なのです。

そしてそういう見返りが期待できない人たちへの施しは神さまへの「貸し」になるのですよ、という話はマタイにも登場していました。Matthew 25:31-40(マタイの福音書第25章第31節~第40節)です。「31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』 37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』 40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」([新改訳])

第14節には「そうすれば正しい者が生き返るときには、あなたにお返しができない人たちを招いた分については、神さまがあなたに報いてくださるからです」と書かれています。「正しい者が生き返るとき」と言うのは「終末論」で言えばこの世の中の「最後の日」のことでしょう。見返りを期待しないで行った施しについては、最後の日に神さまご自身がが代わりに報いて下さるのです。






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