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2015年10月19日

ルカの福音書第13章第10節~第17節:イエスさまが安息日に癒す

第13章



 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Heals on the Sabbath

イエスさまが安息日に癒す


10 One Sabbath day as Jesus was teaching in a synagogue,

10 ある安息日、イエスさまはある会堂で教えていました。

11 he saw a woman who had been crippled by an evil spirit. She had been bent double for eighteen years and was unable to stand up straight.

11 イエスさまは邪悪な霊によって不自由にされた一人の女性に目をとめました。彼女は18年もの間、腰が二つに曲がり、まっすぐに立つことができませんでした。

12 When Jesus saw her, he called her over and said, “Dear woman, you are healed of your sickness!”

12 イエスさまは女性を見ると、自分のところへ呼び寄せて言いました。「女性よ、あなたの病気は癒されました。」

13 Then he touched her, and instantly she could stand straight. How she praised God!

13 それからイエスさまが女性に触れると、彼女はその瞬間、まっすぐに立つことができました。女性がどれほど神さまを褒め称えたことでしょう。

14 But the leader in charge of the synagogue was indignant that Jesus had healed her on the Sabbath day. “There are six days of the week for working,” he said to the crowd. “Come on those days to be healed, not on the Sabbath.”

14 しかし会堂の管理者はイエスさまが安息日に彼女を癒したことで憤慨しました。管理者は群衆に言いました。「労働のための日は週に六日あります。癒して欲しければその日に来なさい。安息日ではなく。」

15 But the Lord replied, “You hypocrites! Each of you works on the Sabbath day! Don’t you untie your ox or your donkey from its stall on the Sabbath and lead it out for water?

15 ですが主は答えました。「偽善者たちめ。あなた方の誰もが安息日に働くではありませんか。あなた方は安息日に牛やろばを牛舎から出して、水を飲ませに行きませんか?

16 This dear woman, a daughter of Abraham, has been held in bondage by Satan for eighteen years. Isn’t it right that she be released, even on the Sabbath?”

16 この素敵な女性はアブラハムの娘で、18年もの間、サタンにより束縛されてきたのです。彼女が自由になることは正しいことではないのですか。それがたとえ安息日であっても。」

17 This shamed his enemies, but all the people rejoiced at the wonderful things he did.

17 この言葉は反対者たちを恥じ入らせました。すべての人々がイエスさまの行った素晴らしいことに喜びました。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第13章です。

イエスさまの一行は第9章の終わりにいよいよエルサレムに向けて出発しました。そこから第19章のエルサレムへの到着まではエルサレムへの旅の途中という構成になっています。ルカの構成は長い「エルサレムへの旅程」の中に様々な出来事やイエスさまの話を時間や場所の整合をあまり重視することなしにちりばめて作っているようです。

今回は安息日についての話です。会堂(シナゴーグ)はユダヤ人の共同体には必ずあって、成人男子は毎週土曜日の安息日には会堂に集まり、ラビと呼ばれる指導者から聖書に関する講話を聞き、また神さまを礼拝する儀式を行っていました。ラビは各共同体に必ずいたわけではなく、イエスさまのような師が旅の途中で共同体を訪れると、安息日に会堂で話をするように招かれるのが普通でした。共同体を巡回して先々の会堂で安息日に話をする巡回ラビも少なからずいたようです。今回の話はイエスさまがある会堂でそのようにして教えていたときの出来事です。

そこに18年にもわたって腰が二つに折れてまっすぐに伸びず、不自由をしている女性がいました。イエスさまは女性を呼び寄せると「あなたの病気は癒されました。」と声をかけ、女性に触れます。するとたちどころに女性の腰が伸びて、18年間に及んだ苦しみの原因が一瞬にして取り除かれてしまうのです。それを見ていた群衆は大喜びして神さまを褒め称えますが、会堂の管理者だけは怒っています。その理由はイエスさまが安息日に「癒し」という「労働」を行ったからなのでした。

「安息日(Sabbath)」は旧約聖書の律法に定められた毎週土曜日の休日です。旧約聖書の一日は日没から始まるので、実際には金曜日の日没から翌日の土曜日の日没までの時間帯のことです。安息日はモーゼの十戒の四番目に登場します。旧約聖書のExodus  20:8-11(出エジプト記第20章第8節~第11節)です。「8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」([新改訳])。この「あなたはどんな仕事もしてはならない。」と書かれた掟について、何をしたら仕事をしたことになり、逆に何をしても仕事をしたことにならないのか、聖書の外側でユダヤ人が伝承してきた慣習法にはそれを事細かく規定する細則がありました。その中で病人に対する治癒行為は仕事のひとつとされており、命にかかわるような緊急事態を除いては許されていなかったのです。それでイエスさまが行った女性を癒した行為は律法違反にあたるとして、会堂の管理者はひどく怒ったわけです。

イエスさまは会堂の管理者の怒りに対し、第15節で「偽善者たちめ。」と応じます。安息日の労働を律法違反として咎める人に、イエスさまが「偽善者たち」と呼びかけるのは、たとえば誰もが安息日でも牛やロバを牛舎から「解く」という、おそらく律法の細則で「してはいけない行為」に分類されている労働行為を行って、家畜の世話のためにどうしても必要な水やりの作業を行っているのに、これについてはいちいち咎めることをしていないからです。であればこの女性をサタンの呪縛から「解く」という行為がどうして咎められるのか、とイエスさまはうまいことを言うのですが、そもそも病に苦しむ女性がそこから自由になると言うのは神さまの目から見ても「正しいこと」であり、ユダヤ人の主である神さまの目に正しいことをするのに、それが安息日かどうかにこだわる必要があるのかないのか、そんなことは問う前から明らかである、というのがイエスさまの言わんとすることでしょう。

なお安息日にイエスさまが会堂で行う癒やしについては似たような話がマルコにあります。Mark 3:1-6(マルコの福音書第3章第1節~第6節)です。「1 イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。3 イエスは手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。彼らは黙っていた。5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。」([新改訳])。今回の話では会堂の管理者はイエスさまの言葉に恥じ入りましたが、マルコでは人々の面前で恥をかかされた形のファリサイ派はイエスさまに対する殺意を抱き、イエスさま殺害の計画を始めています。

ちなみに余談ですが、私たちが毎週日曜日に仕事や学校を休むという習慣はキリスト教から発しています。1世紀の初期に成立した最初の教会で礼拝を日曜日に行ったのが始まりとされています。一方、世界的に日曜日に労働を休むようになったのは大変新しく、日本では明治時代に欧化政策のひとつとして取り入れられました。つまり19世紀末以降の話で、まだ200年ほどの歴史しかありません。それまでは日本の農村では毎月一回、定例の市(いち)が立つ日に農作業を休んでいた程度のようで、人々はほぼ毎日労働をし続ける人生を送っていたのです。






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