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2015年10月27日

ルカの福音書第5章第27節~第32節:イエスさまがレビ(マタイ)を呼ぶ

第5章



 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Calls Levi (Matthew)

イエスさまがレビ(マタイ)を呼ぶ


27 Later, as Jesus left the town, he saw a tax collector named Levi sitting at his tax collector’s booth. “Follow me and be my disciple,” Jesus said to him.

27 その後でイエスさまが町を出て行くときに、レビという取税人が収税所に座っているのを見ました。「私について来て私の弟子になりなさい」とイエスさまはレビに言いました。

28 So Levi got up, left everything, and followed him.

28 そこでレビは立ち上がり、すべてを捨ててイエスさまに従いました。

29 Later, Levi held a banquet in his home with Jesus as the guest of honor. Many of Levi’s fellow tax collectors and other guests also ate with them.

29 後にレビは自分の家で宴会を開き、賓客としてイエスさまを招きました。レビの仲間の取税人たちや他の客たちも一緒に食べました。

30 But the Pharisees and their teachers of religious law complained bitterly to Jesus’ disciples, “Why do you eat and drink with such scum?”

30 しかしファリサイ派と、ファリサイ派の律法の先生たちはイエスさまの弟子たちに厳しく不平を言いました。「どうしてあなた方は、あんな人間のくずたちと一緒に飲み食いするのですか。」

31 Jesus answered them, “Healthy people don’t need a doctor -- sick people do.

31 イエスさまは彼らに答えました。「健康な人は医者を必要としません。病人が必要とするのです。

32 I have come to call not those who think they are righteous, but those who know they are sinners and need to repent.”

32 私は自分が正しいと思う人ではなく、自分が罪人だと知っていて、悔いる必要があると知っている人たちを招くために来たのです。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第5章です。

これはイエスさまが後に十二使徒の一人になるマタイを弟子に呼んだ場面です。「レビ」はマタイの別名で、マタイは「マタイの福音書」の記述者とされている人です

第27節、イエスさまはカペナウムの町を出ようとしているところで、「収税所」に座っているマタイを見かけます。 マタイの職業は取税人、つまり税金を集める人です。取税人は集めた税金を支配国であるローマ帝国へ納めます。ローマ帝国は地域ごとにマタイのようなユダヤ人の取税人を任命して税金を集めさせていたのです。

マタイのような取税人が徴収する税金は間接税で、対象は地域のユダヤ人と町を通る商人たちでした。取税人はローマ帝国が定める税率に、自分の手数料を追加して税金を集めることができる仕組みになっていたので、ほとんどの取税人は必要以上に過大な手数料を上乗せして税金を集め、ローマ帝国には税率どおりに納金して裕福に暮らしていました。ユダヤ人は取税人が私欲を肥やすために必要以上の手数料を徴収し、しかも支配国のローマ帝国の手先となって働いていることから取税人を軽蔑して嫌悪していました。これはローマ帝国の巧妙な作戦なのです。こうしておけば人々の怒りの矛先はローマ帝国ではなく、自国民の取税人に向くからです。

カペナウムはガリラヤ湖の北岸にあり、イエスさまがガリラヤ地方で行った伝道活動の拠点だった町です。この町には当時イスラエルを支配していたローマ帝国軍が駐留していて、交易も盛んな裕福な町でした。異邦人(外国人)であるローマ人が多数いたことで異国の宗教や習慣が入り込み、交易が生み出す富裕が退廃と堕落をもたらしているような町でした。取税人が集める資金の一部がこれらの邪教の発展にも寄与しているとの噂もひろまりました。取税人は誰よりも嫌われる職業の一つだったのです。

第28節、イエスさまが自分についてくるようにと呼びかけると、マタイはイエスさまについていきます。そして第29節でマタイはイエスさまを自分の家の晩餐に招き、仲間の取税人や他の人たちにイエスさまを紹介します。

第30節、ファリサイ派はイエスさまの時代にいた政治結社です。旧約聖書に記された律法を厳格に守ることで、自分たちは神さまの目に正しく映る清い人間であり、天国行きを約束された人間だと考えていた人たちです。ファリサイ派の大半はカペナウムからは100キロも南に離れたユダヤ地方のエルサレム周辺にいたはずですが、恐らくイエスさまの噂を聞いて調査に来ていたのです。今回そのイエスさまと弟子たちが取税人の家に招かれて、取税人や他の評判の悪い人たちと交わっているのを見て、「なぜ彼はあんな人間のくずどもと一緒に食事をするのか」と非難します。清めの儀式を厳格に守り、自分たちの清さを誇りに思うファリサイ派の人たちからすれば、このような汚(けが)れた罪人たちと同じ家で食事などしたら、自分まで汚れてしまうと考えていたのです。

第31節、イエスさまがこれに答えます。「健康な人は医者を必要としません。病人が必要とするのです。」 これではちょっと意味がわかりません。イエスさまはこのようにたとえ話を使って毎度毎度わかりにくい話をします。なぜわかりにくい話をするのか、実はそれには理由があるのですが、その説明は他の場所でイエスさま自身から行われます。

今回はこれに続く次節の「私は自分が正しいと思う人ではなく、自分が罪人だと知っていて、悔いる必要があると知っている人たちを招くために来たのです。」を読むとイエスさまが何を言おうとしているのかがわかります。つまり自分を健康だと思っている人には医者は不要だが、自分が病気だと思う人には医者が必要だ。自分は医者なので「自分は病気だ」と自覚する人のところへ行く、と言うのです。ファリサイ派の人たちは「自分たちは神さまの目に正しく映る清い人間だ」と思っているのだから、イエスさまから見れば自分が行く必要のない人と言うことになります。ファリサイ派の人たちが信じる「清い人」「汚れた人」の基準と、イエスさまの教える基準はまったく異なるのです。

聖書を知らない人に福音の話をすると「私にはそういう話は必要ありません」「私はいま十分幸せだからその手の話は必要ありません」「私はそういう話に頼らなくても大丈夫です」と言う人がたくさんいます。イエスさまの言葉を借りれば、こういう人たちは自分は健康だから医者は必要ない、と言っていることになります。ですがそれは人間の自分の目から見て、自分は健康だ、自分は大丈夫だと思っているだけのことで、神さまの目から見ればイエスさまの助けを必要としない人は地球上にひとりもいないのです。

第32節には、イエスさまが来たのは「自分が罪人だと知っていて、悔いる必要があると知っている人たちを招くため」と書かれています。自分は神さまの目から見れば罪人であると、汚れていると認めることのできる人をイエスさまは呼んでいます。その罪の汚れは自分の努力では洗い流すことができないと知っている人、自分の行いを激しく後悔している人に、イエスさまは無償で救いの手を差し伸べてくださいます。神さまの目から見れば、汚れていない人、つまり罪人でない人は世の中には一人もいないのです。

自分の「罪(sin)」が何なのか、神さまから見た自分がどれくらい汚れているのかを知るためには人それぞれにステップがあり、場合によっては長い時間がかかります。ですがもし「罪(sin)」とは何か、救済とは何かを知りたいのなら、直接神さまにたずねれば良いと思います。神さまは一人でも多くの人間を救いたいと考えていらっしゃるのですから、必ず答えを教えていただけます。 特に自分には神さまや救世主は必要ないと思うのだが、なんだかちょっと気になる、なんだか胸騒ぎがするという人は「神さまお願いです。もし教えていただけるのであれば、イエスさまによる救いとは何なのか、私の罪とは何なのか、どうか教えてください。」とお祈りしてみてください。






english1982 at 19:00│ルカの福音書 
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