ルカの福音書第5章第12節~第16節:イエスさまがハンセン病の人を癒すルカの福音書:第5章

2015年10月27日

ルカの福音書第5章第1節~第11節:最初の弟子たち

第5章



 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The First Disciples

最初の弟子たち


1 One day as Jesus was preaching on the shore of the Sea of Galilee, great crowds pressed in on him to listen to the word of God.

1 ある日、イエスさまがガリラヤ湖の岸で教えていたとき、神さまの言葉を聞こうとした群衆がイエスさまに押し迫りました。

2 He noticed two empty boats at the water’s edge, for the fishermen had left them and were washing their nets.

2 イエスさまは岸べに小舟が二そうあるのに気づきました。漁師たちは舟から離れて網を洗っていたのでした。

3 Stepping into one of the boats, Jesus asked Simon, its owner, to push it out into the water. So he sat in the boat and taught the crowds from there.

3 イエスさまは片方の舟に乗り移りながら、舟の持ち主のシモンに、舟を湖へ押し出すように頼みました。そうやってイエスさまは舟の中に座り、そこから群衆を教えました。

4 When he had finished speaking, he said to Simon, “Now go out where it is deeper, and let down your nets to catch some fish.”

4 イエスさまは話を終えるとシモンに言いました。「深いところへ出て、魚をとるために網を下ろしなさい。」

5 “Master,” Simon replied, “we worked hard all last night and didn’t catch a thing. But if you say so, I’ll let the nets down again.”

5 シモンが答えました。「先生、私たちは昨晩、夜通し懸命に働きましたが何一つとれませんでした。ですが先生がそうおっしゃるなら、もう一度網を下ろしましょう。」

6 And this time their nets were so full of fish they began to tear!

6 すると今回は網があまりにも一杯で破れ始めました。

7 A shout for help brought their partners in the other boat, and soon both boats were filled with fish and on the verge of sinking.

7 助けを求める声で別の舟の仲間たちがやって来ると、すぐに両方の舟は魚で一杯になり、沈みそうになりました。

8 When Simon Peter realized what had happened, he fell to his knees before Jesus and said, “Oh, Lord, please leave me -- I’m too much of a sinner to be around you.”

8 シモン・ペテロは何が起こったかを理解すると、イエスさまの前にひざまずいて言いました。「主よ、どうか私から離れてください。私はあなたと一緒にいるにはあまりにも罪深いのです。」

9 For he was awestruck by the number of fish they had caught, as were the others with him.

9 と言うのはシモンは掴まえた魚の数の多さに畏敬の念を抱いたからです。一緒にいた仲間たちも同じです。

10 His partners, James and John, the sons of Zebedee, were also amazed. Jesus replied to Simon, “Don’t be afraid! From now on you’ll be fishing for people!”

10 シモンの仲間でゼベダイの子のヤコブとヨハネも同様に驚いていました。イエスさまはシモンに答えました。「恐れないでください。今からあなたは人間をとるようになるのです。」

11 And as soon as they landed, they left everything and followed Jesus.

11 そして彼らは岸に着くと、すべてを後にしてイエスさまに従いました。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第5章です。

ガリラヤ地方で伝道を続けていたイエスさまはある日、ガリラヤ湖のカペナウムの町の岸で群衆に教えていました。イスラエルを北から南へ流れて死海へ流れ込むヨルダン川は大陸の裂け目を流れる川なのですが、ガリラヤ湖はその亀裂が深くなったところに水がたまってできています。湖の大きさは南北に約21km、一番幅の広いところで東西に13kmあります。南岸を除いては湖の周辺は切り立つ崖で、東岸は崖の上がそのまま標高900mの肥沃なゴラン高原になっています。この地形のため、冷たい風が急な崖を湖面に吹き下ろすと突発的に激しい嵐が起こります。当時はガリラヤ湖の周囲に人口15,000人以上の都市が九つあり、漁業が盛んでした。

今回イエスさまの弟子になった人たちはカペナウムの漁師だったのです。ここには三人しか登場しませんが、マルコの福音書の平行箇所を読むと四人だったことがわかります。シモンとアンデレの兄弟とヤコブとヨハネの兄弟です。シモンは後にイエスさまからペテロと命名されます。この四人のうちペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人は弟子の中でも、いつもイエスさまと行動を共にする側近のような存在になります。この三人はイエスさまの奇跡をすぐ間近ですべて目撃し、イエスさまの言葉を一番近くで細部まで聞いた人たちです。ペテロとヨハネはイエスさまが十字架死~復活を経て天国へ戻った後、世の中に福音を伝える中心人物となります。ヤコブは迫害によって殺される最初の使徒となります。

実はこの四人はこのときにイエスさまと初めて遭遇したわけではないのです。ルカの話の順序だとイエスさまは第4章ですでにペテロの義母の家で義母の病気を癒していますから、少なくともペテロとは知り合いだったということになりますが、ルカの福音書が下敷きとしているマルコの福音書ではペテロの義母の話は今回の話の後に登場しています。

ここで私が前に遭遇していると言っているのは、実はこの四人のうち少なくとも二人は最初は洗礼者ヨハネの弟子だったようだと言うことです。John 1:35-40(ヨハネの福音書第1章第35節~第40節)に次のように書かれています。

「35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言った。37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」 39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。」([新改訳])。

今回の場面はこのときから恐らく一年ほどが経過した頃の話で、イエスさまがガリラヤ湖畔に四人を訪ねて来て自分に着いて来なさいと呼びかけて正式に弟子にした場面なのではないか、と言うことです。その間、アンデレともう一人は、一度イエスさまに会っているにも関わらず、ずっと漁師をしていたということになります。 実は後にペテロはイエスさまを離れて元の漁師に戻ろうとするのです。そんなペテロにイエスさまは「私を愛するなら私の羊を養いなさい」と声をかけて、世の中に福音を伝える大切な仕事を任し、そうやってペテロは後にクリスチャンのリーダのひとりとなるのです。イエスさまへの信仰を表明したものの、自分は神さまに近づいたり離れたり、果たしてこれでよいのだろうかと思い悩む人がたくさんいます。また福音の話はひととおり聞いたけれど、信仰を表明する決心がつかない人もたくさんいます。でもペテロでさえ最初はそうだったと言うことを忘れないでください。

ところでルカの福音書ではマルコの福音書と話の順序が入れ替わっていると書きましたが、イエスさまの指示どおりに網を下ろして大漁となったところで、ペテロがイエスさまに言う「主よ、どうか私から離れてください。私はあなたと一緒にいるにはあまりにも罪深いのです。」の言葉は、なんだか大げさすぎて不自然に感じられます。 ここで気になるのは、マルコにも登場する今回の場面が、実はヨハネの福音書の最後の場面に酷似していることなのです。ヨハネの最終章、John 21:1-7(ヨハネの福音書第21章第1節~第7節)は十字架刑でイエスさまが死んでしまったことに落胆して、故郷のガリラヤ地方の戻った弟子たちに復活したイエスさまが現れる場面です。なお文中の「テベリヤ湖」はガリラヤ湖の別称です。

「1 この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」 6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。」([新改訳])。

もしも今回のルカの場面が実はヨハネの福音書の最後の場面と同じ場面なのだとしたらどうでしょうか。ペテロはイエスさま逮捕の場面では師を見捨てて現場から逃げ出し、その後でイエスさまの弟子だったのではないかと嫌疑をかけられると、イエスさまなど知らないと三度も否定して、自分にも嫌気がさしてボロボロの状態でガリラヤに戻って来ていたのです。漁師に戻ろうかと考えていたペテロは、岸にいた男の指示で下ろした網が異常なほどの大漁になったのに驚いた結果、今回のルカの第8節、「シモン・ペテロは何が起こったかを理解するとイエスの前にひざまずいて言いました。「主よ、どうか私から離れてください。私はあなたと一緒にいるにはあまりにも罪深いのです」」となったと理解すると、話がとても自然につながるように感じるのです。

だとすると今回の場面は「最初の弟子たち」ではなくて、イエスさまがいよいよペテロと他の弟子たちに「世に福音を伝えよ」と告げている福音書の最後の場面だということになります。今回の第10節のイエスさまの言葉は「恐れないでください。今からあなたは人間をとるようになるのです。」ですが、最初の「恐れるな」は旧約聖書の中で神さまと遭遇した人間に対して、神さまの側から最初にかけていただく言葉ですし(つまりこのイエスさまの言葉は神さまとして発せられていることになります)、「今からあなたは人間をとるようになるのです。」の言葉も、「世の中に福音を伝えなさい」の任務を告げている言葉としてなら自然に読めます。そして最後の第11節、「そして彼らは岸に着くと、すべてを後にしてイエスさまに従いました。」も、十字架死から復活したイエスさまに遭遇して、すべてを理解した弟子たちが福音の伝道を決意しているように読めます。

なんとも最初の場面なのか最後の場面なのか、狐につままれたような気持ちになりますが、福音書はこうやってグルグルと回る解釈ができる不思議な本でもあるのです。






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ルカの福音書第5章第12節~第16節:イエスさまがハンセン病の人を癒すルカの福音書:第5章