2015年10月31日

ルカの福音書第1章第67節~第80節:ザカリヤの預言

第1章


 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Zechariah’s Prophecy

ザカリヤの預言


67 Then his father, Zechariah, was filled with the Holy Spirit and gave this prophecy:

67 それからヨハネの父親のザカリヤは聖霊に満たされ、次のような預言の言葉を話しました。

68 “Praise the Lord, the God of Israel, because he has visited and redeemed his people.

68 「イスラエルの神さまである主を讃えよ。主はその民を訪れ、救い出しました。

69 He has sent us a mighty Savior from the royal line of his servant David,

69 主は、主のしもべであるダビデの王室の家系から、強力な救い主を私たちに送って下さいました。

70 just as he promised through his holy prophets long ago.

70 それは遠い昔に主の聖なる預言者たちを通じて主が約束されたとおりです。

71 Now we will be saved from our enemies and from all who hate us.

71 これで私たちは、私たちの敵から、そして私たちを憎むすべての人たちから救われるのです。

72 He has been merciful to our ancestors by remembering his sacred covenant --

72 主は聖なる契約を覚えていてくださり、私たちの父祖たちに慈悲深くありました。

73 the covenant he swore with an oath to our ancestor Abraham.

73 その契約は主が私たちの父祖アブラハムに誓われたものです。

74 We have been rescued from our enemies so we can serve God without fear,

74 私たちが私たちの敵から救い出されるのは、私たちが恐れなく主に仕えることができるようにです。

75 in holiness and righteousness for as long as we live.

75 私たちが生きている間にわたって、神聖に、また正しい形でです。


76 “And you, my little son, will be called the prophet of the Most High, because you will prepare the way for the Lord.

76 そして私の小さな息子であるあなたは、最も高き方の預言者と呼ばれるのです。なぜならあなたは主のための道を備えるのですから。

77 You will tell his people how to find salvation through forgiveness of their sins.

77 あなたは主の民に罪の許しを通じた救いを見つける方法を伝えるのです。

78 Because of God’s tender mercy, the morning light from heaven is about to break upon us,

78 神さまのあわれみ深い慈悲により、天からの朝の光が私たちの上に現れようとしています。

79 to give light to those who sit in darkness and in the shadow of death, and to guide us to the path of peace.”

79 それは暗黒と死の陰の中に座る人たちに光りを与え、私たちを平和の道へ導くためなのです。」

80 John grew up and became strong in spirit. And he lived in the wilderness until he began his public ministry to Israel.

80 ヨハネは長し、霊の強い人となりました。ヨハネはイスラエルに対して公に仕事を始めるまで、荒野に住んでいました。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第1章です。

前回、いよいよエリザベツに男の子が生まれ、天使のガブリエルが伝えたとおり、ヨハネと名付けられました。 するとザカリヤは突然口がきけるようになりました。これを見た人々は畏敬の念に包まれます。今回はその流れでザカリヤが聖霊に満たされ、聖霊の導きのままに預言の言葉を話します。

エリザベツが聖霊に満たされたときにも書きましたが、聖霊は三位一体説に基づけば、神さまを構成する「父なる神さま」「子なるイエスさま」「聖霊」の三者のうちのひとつ、つまり神さまそのものです。 神さまは神聖な存在なので、そのままの状態では汚れた人間と接することはできません。全人類の罪を背負って清めの血を流したイエスさまの十字架の前であれば、少なくとも旧約聖書の律法に定められた重厚な清めの儀式を経る必要があったでしょう。ところがエリザベツもザカリヤも、そのままの状態で聖霊に満たされています。これは二人が神さまの目に正しい存在として映っていた証です。

ザカリヤは天使ガブリエルの言葉を疑って口をきけなくされていました。神さまの言葉をそのまま信じなかったのですから、これは明らかに神さまをガッカリさせる行為、つまり「罪(sin)」にあたるでしょう。しかしそのザカリヤがここでは聖霊に満たされています。神さまのされることは私たちには到底理解できません。とてもミステリアスなのです。

今回のザカリヤの預言の言葉は「The Benedictus(ベネディクトゥス)」と呼ばれます。これはマリヤの「The Magnificat(マニフィカト)」と同様、ラテン語に翻訳された聖書の中の、この部分の最初の単語なのだそうです。

ザカリヤの預言は多分に旧約聖書の「Psalm 107(詩編第107章)」を想起させます。最初の部分を引用してみます。第1節~第15節です。「1 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。2 主に贖われた者はこのように言え。主は彼らを敵の手から贖い、3 彼らを国々から、東から、西から、北から、南から、集められた。4 彼らは荒野や荒れ地をさまよい、住むべき町へ行く道を見つけなかった。5 飢えと渇きに彼らのたましいは衰え果てた。6 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。7 また彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた。8 彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。9 まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。10 やみと死の陰に座す者、悩みと鉄のかせとに縛られている者、11 彼らは、神のことばに逆らい、いと高き方のさとしを侮ったのである。12 それゆえ主は苦役をもって彼らの心を低くされた。彼らはよろけたが、だれも助けなかった。13 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。14 主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕かれた。15 彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ」([新改訳])。

最後の朝の光が訪れ、暗黒と死の陰の中に座る人たちに光を与えるというあたりは、やはり旧約聖書の「Isaiah(イザヤ書)」の第9章を想起させます。Isaiah 9:1-7(イザヤ書第9章第1~7節)です。「1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。3 あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。4 あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。5 戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」([新改訳])。

つまり「やみの中を歩んでいた民」や、「死の陰の地に住んでいた者たち」の上に照る光とは、「私たち(=ユダヤ人)」のために生まれる「ひとりの男の子」なのです。そして「主権はその肩にあり」、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれるのです。そしてその主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえます。そしてそれが「今より、とこしえまで」続くのです。 これは言うまでもなく救世主イエスさまのことを指し、その到来を預言する言葉です。つまりザカリヤは聖霊に導かれ、預言の言葉の中でイエスさまの誕生を予告しているのです。 注目すべきは英語で使われている時制です。「he has visited and redeemed his people」「He has sent us a mighty Savior」とイエスさまの到来と、イエスさまのもたらす救いは現在完了形で書かれています。ザカリヤは聖霊に導かれて、イエスさまの到来をすでに目撃しながら、この言葉を話しているのです。

洗礼者ヨハネ本人については第76節~第77節に予告されています。「最も高き方の預言者と呼ばれる」、そして、「主のための道を備える」、「 あなたは主の民に罪の許しを通じた救いを見つける方法を伝える」と書かれています。

洗礼者ヨハネが預言者エリヤの再来であると予告したのは、旧約聖書最後の預言書である「Malachi(マラキ書)」です。 なんだか今回のザカリヤの言葉を読むと、短い預言の中で旧約聖書をひととおり通過しているように見えます。救世主イエスさまの到来は旧約聖書最初の本、「Genesis(創世記)」の中で神さまがユダヤ人の父祖、アブラハムに約束した通りなのだし、偉大なるダビデ王の時代に残された「Psalm(詩編)」を想起させながら、預言書の中でも救世主を指し示す最強の節とも言える「Isaiah(イザヤ書)」の第9章を通って、洗礼者ヨハネの役割への言及で最後の預言書である「Malachi(マラキ書)」に到達している、という具合です。

この世に生を受けた洗礼者ヨハネは、機が熟すまでイスラエルの「wilderness(荒野)」に住みます。これは「こうや」ではなくて「荒れ野」と読んだ方が雰囲気が出ると思います。 イスラエルの荒れ野はサハラ砂漠みたいな砂の山ではなくて、大きな岩や石がごろごろとしているような荒れ果てた土地です。非常に乾燥しているために農業に適さず、荒涼とした土地ですが、その一方で非常に霊的(スピリチュアル)な場所でもあります。旧約聖書でも預言者は荒れ野にいることが多いのです。






english1982 at 16:00│ルカの福音書