2015年10月31日

ルカの福音書第1章第46節~第56節:マニフィカト:マリヤの賛美の歌

第1章


 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Magnificat: Mary’s Song of Praise

マニフィカト:マリヤの賛美の歌


46 Mary responded, “Oh, how my soul praises the Lord.

46 マリヤは答えました。「あぁ、私の魂がどれほど主をたたえることか。

47 How my spirit rejoices in God my Savior!

47 私の霊が、どれほど私の救い主である神さまを喜ぶことか。

48 For he took notice of his lowly servant girl, and from now on all generations will call me blessed.

48 なぜなら主は卑しいしもべに気づいてくださいました。そしてこれから後はあらゆる時代の人々が私を恵まれた者と呼ぶことでしょう。

49 For the Mighty One is holy, and he has done great things for me.

49 なぜなら強き方は神聖であり、私のために偉大なることをしてくださいました。

50 He shows mercy from generation to generation to all who fear him.

50 その方は主を恐れるすべての人に、世代を超えて憐れみを示してくださいます。

51 His mighty arm has done tremendous things! He has scattered the proud and haughty ones.

51 主の強い腕はとてつもないことをなされました。高慢な者や横柄な者を追い散らしました。

52 He has brought down princes from their thrones and exalted the humble.

52 主は君主たちを王位から引きずり下ろし、謙虚な者を高く引き上げました。

53 He has filled the hungry with good things and sent the rich away with empty hands.

53 主は飢える者たちをを良いもので満たし、富む者を手ぶらの状態で追い払いました。

54 He has helped his servant Israel and remembered to be merciful.

54 主はしもべであるイスラエルを助け、憐れみを持つことを忘れません。

55 For he made this promise to our ancestors, to Abraham and his children forever.”

55 なぜなら主は私たちの父祖であるアブラハムとその子孫に、永遠にこのように約束したからです。」

56 Mary stayed with Elizabeth about three months and then went back to her own home.

56 マリヤはエリサベツの元に三か月ほど滞在し、それから自分の家へ帰りました。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第1章です。

前回、マリヤは天使ガブリエルから親戚のエリザベツが子供を授かったと聞いて、ユダヤ地方のエリザベツの家を訪ねました。マリヤのあいさつを聞くとエリザベツのお腹の中で子供が跳ね、エリサベツは聖霊に満たされたのでした。

今回のマリヤの言葉の部分は「The Magnificat(マニフィカト)」と呼ばれます。これはラテン語に翻訳された聖書の中の、この部分の最初の単語だそうです。ラテン語の聖書とはヒエロニムス(Jerome)が四世紀に時の教皇ダマスス一世の命によって、そのときまでに存在した断片的なラテン語訳を一冊に完成させた『ヴルガータ聖書(Vulgate)』(あるいはウルガタ聖書)のことです。

私が最初に読んだ英語の聖書が「ルカ」であることは書きましたが、私は最初にこの賛歌を英語で読んだとき、マリヤがエリザベツの前で突然賛歌を歌い始めるのを見て驚きました。あぁ、登場人物が突然歌い始めているぞ、まるでミュージカルの脚本を読んでいるようだ、と思いました。 そして、このようにミュージカルのように展開するから聖書は「ゴスペル」と呼ばれるのだななどと勝手に解釈していました(笑)。実はゴスペルと言う言葉が「良い知らせ」を意味していて、その良い知らせとはイエスさまに関する人類救済の計画のことであり、「歌」とはまったく関係ないと知ったのはしばらく経ってからのことです。

聖書を通して読むと、この部分は旧約聖書の「1 Samuel(サムエル記第1)」に登場するハンナの祈りを想起させます。子供ができないことで辛い思いをしていたハンナは神さまに子供を授けて欲しいと祈ります。そしてもし子供を授かったならば、その子を神さまに仕えるしもべとして捧げると誓います。ハンナの祈りは聞き入れられてハンナは妊娠し、喜びにあふれるハンナは次のような祈りを捧げました。 1 Samuel 2:1-10(サムエル記第1第2章第1~10節)です。「1 ハンナは祈って言った。「私の心は主を誇り、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。2 主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。3 高ぶって、多くを語ってはなりません。横柄なことばを口から出してはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは確かです。4 勇士の弓が砕かれ、弱い者が力を帯び、5 食べ飽いた者がパンのために雇われ、飢えていた者が働きをやめ、不妊の女が七人の子を産み、多くの子を持つ女が、しおれてしまいます。6 主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。7 主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。8 主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。まことに、地の柱は主のもの、その上に主は世界を据えられました。9 主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。10 主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます」([新改訳])。どちらも神さまは高慢な者や横柄な者を引きずり下ろし、飢える者、弱い者を助けて引き上げるのだ、と神さまを讃えています。ハンナが授かった子供はサムエルです。サムエルは預言者となり、イスラエルの初代の王サウルと二代目の王ダビデに油を注ぎます。

第48節でマリヤは、「そしてこれから後はあらゆる時代の人々が私を恵まれた者と呼ぶことでしょう」と言っています。これは優越や自慢の気持ちの現れではないと思います。まず優越感や自慢の気持ちの強い人は、往々にして神さまの存在を認めず、自分は神さまなしでやっていける、生きていけると考えます。あるいは神さまが自分を通してされたことを、さも自分がやったかのように誇らしげに語ります。 マリヤの姿勢は神さまのされることを、そのまま素直に受け取り、自分のようなつまらない者に目を留めてくれた神さまに感謝して、自分を通して実現することについて神さまだけを褒め称えています。

マリヤがそのままエリザベツの家に三ヶ月も滞在したのは驚きです。これが当時のユダヤ人の風習でよくある話だったのか、マリヤとエリザベツに関わる特別なことだったのかはわかりません。ただナザレからユダヤ地方への100キロの旅は、年に何度か通う道だとしても大変な道程には変わりありませんから、長期間の滞在は当然だったのかも知れません。






english1982 at 18:00│ルカの福音書