2015年10月31日

ルカの福音書第1章第39節~第45節:マリヤがエリザベツを訪問する

第1章


 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Mary Visits Elizabeth

マリヤがエリザベツを訪問する


39 A few days later Mary hurried to the hill country of Judea, to the town

39 数日後、マリヤは山地にあるユダヤ地方の町へ急ぎました。

40 where Zechariah lived. She entered the house and greeted Elizabeth.

40 ザカリヤの住んでいた町です。マリヤは家へ入り、エリサベツにあいさつしました。

41 At the sound of Mary’s greeting, Elizabeth’s child leaped within her, and Elizabeth was filled with the Holy Spirit.

41 マリヤのあいさつを聞くとエリザベツの子供が胎内で跳ね、エリサベツは聖霊に満たされました。

42 Elizabeth gave a glad cry and exclaimed to Mary, “God has blessed you above all women, and your child is blessed.

42 エリザベツは喜びのあまりに大きな声をあげてマリヤに言いました。「神さまはすべての女性の中であなたを一番祝福されました。あなたの子供も祝福されています。

43 Why am I so honored, that the mother of my Lord should visit me?

43 私が何をそれほど誇りに思うって、私の主の母が私を訪問してくださるとは。

44 When I heard your greeting, the baby in my womb jumped for joy.

44 あなたのあいさつの声を聞いたとき、私の胎内で子供が喜びのあまりに跳ねました。

45 You are blessed because you believed that the Lord would do what he said.”

45 あなたが祝福されるのは、主がされると言ったことを実行すると、あなたが信じたからです。」




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第1章です。

前回の第36節では天使のガブリエルがマリヤに「あなたの親類のエリサベツは老齢で妊娠しました」と言っていました。エリザベツは胎内に洗礼者ヨハネを授かっています。洗礼者ヨハネはマラキ書で予告されたとおり、預言者エリヤの再来として主イエスさまの前に道を整えるため、世に現れるのです。 マリヤとエリザベツは親類なので、マリヤはガブリエルの情報を聞いて、エリザベツを訪問することにしたようです。なにしろマリヤはガブリエルから不思議なことを聞かされましたから、エリザベツから何か関係のある情報が得られるのではないかと考えたのかも知れません。

マリヤが住んでいるのはイスラエル北部、ガリラヤ地方のナザレの町です。一方、第39節によるとエリザベツの家はイスラエル南部のユダヤ地方にあったようです。たとえばエリザベツの家がユダヤ地方のエルサレムの都に住んでいたとすると、ナザレからエルサレムまでは直線距離で100キロ程度あります。ユダヤ人は律法の定めで年に何度か、エルサレムを訪ねることを習慣にしていましたから、この旅程は通い慣れた道なのだと思います。

第41節、到着したマリヤがエリザベツにあいさつすると、その声を聞いた胎内のヨハネが喜んで跳ねます。そしてエリサベツは「聖霊」に満たされたとあります。 「聖霊」は「父なる神さま」と「子なるイエスさま」と共に「三位一体」説を形作る要素のひとつです。「三位一体」説は「神さま」「イエスさま」「聖霊」は三つのようで一つ、一つのようでいて三つ、神さまとはそのような存在だ、という考え方です。

このうち「聖霊」はイエスさまの十字架を境にして聖書の中で役目が変わっています。イエスさまは十字架にかかる前に、自分はやがていなくなるが、自分の代わりに聖霊が訪れると話しました。新約聖書の「Acts(使徒の働き)」の最初の部分には、このイエスさまの予告どおりに聖霊が降りてきて、神さまを信じる人ひとりひとりに宿る様子が書かれています。聖霊はそうやって信者の中にあって信者を守り導く存在となるのです。 聖霊は三位一体説では神さまです。そして神さまは神聖な存在です。イエスさまはどうして十字架にかかる必要があったのでしょうか。それは私たち人間が、「罪(sin)」によって汚れているので、そのままでは神さまのいる天国に入れないからです。イエスさまが十字架で流した血が私たちの「罪」の汚れを洗い流し、人間と神さまの関係を和解させてくれたので、私たち人間は神さまにお祈りすることもできるし、天国に入ることもできるのです。 復活したイエスさまを目撃した信者たちのところへ聖霊が訪れ、イエスさまの十字架の意味を理解した信者たちひとりひとりの中に聖霊が封印されます。これも信者たちがイエスさまの十字架を信じたことで、「罪」の汚れが洗い流された結果だと理解できるでしょう。

ところがエリザベツはマリヤの訪問を受けた時点でもうすでに聖霊に満たされています。これは驚くべきことで、第6節に書かれていたことが思い返されます。そこには「ザカリヤとエリザベツは神さま目に正しく映り、主のすべての戒めと規則を注意深く守っていました」と書かれていました。つまり二人は神さまの目に正しく映り、聖霊が入れるほどの清い存在だったということになります。なんとも希有な存在です。 エリザベツは第43節で、「私の主の母が私を訪問してくださる」と言っていますから、エリザベツはマリヤがやがて自分の「主」の母親となる、つまりイエスさまを出産することをもう知っていることになります。これはエリザベツを満たした聖霊が教えたのでしょう。 またエリザベツは旧約聖書に書かれている主なる神さまを信じてきたユダヤ人でありながら、やがてマリヤの胎内に授かる存在も「主」だと認めているのですから、ここにもやはり三位一体の考え方、つまり「父なる神さま」「子なるイエスさま」「聖霊」の三者が神さまを構成している、という考え方が表現されていることになり、ここにも聖霊の導きが感じられます。

マリヤはエリザベツの口から「私の主の母が私を訪問してくださる」の言葉を聞き、これでガブリエルが告げた不思議な事柄が、エリザベツの発言と符合したので心強く感じたのではないでしょうか。 ザカリヤとエリザベツがどれほど敬虔に誠実に神さまを信奉していたかはマリヤも知っていたでしょうから、そのエリザベツが信じられないほどの高齢で子を宿し、また天使の言葉と符合する話をきかせてくれるので、大変安心したことでしょう。

第45節、エリザベツは「あなたが祝福されるのは、主がされると言ったことを実行すると、あなたが信じたからです」と告げます。マリヤはガブリエルの話をきいて、前回の38節で「私は主のしもべです。あなたが私について言ったことすべてが本当になりますように」と答えました。たとえ自分が不義の疑いをかけられるようなことになろうと、神さまのされることに間違いはないと信じ、マリヤはガブリエルの言葉をそのまま受け止めたのです。エリザベツは、神さまに対するマリヤのこの誠実な姿勢こそが、神さまがマリヤを祝福する理由なのだと言います。 聖霊を受けたエリザベツの言葉は、すでに預言のように聞こえます。






english1982 at 19:00│ルカの福音書