ヨハネの福音書:第20章ヨハネの福音書:第19章第17節~第27節:十字架刑

2015年09月12日

ヨハネの福音書第19章第28節~第42節:イエスさまの死、イエスさまの埋葬

第19章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Death of Jesus

イエスさまの死


28 Jesus knew that his mission was now finished, and to fulfill Scripture he said, “I am thirsty.”

28 イエスさまはこのとき自分の任務が完了したのを知り、聖書の言葉を実現するために「私はのどが渇いた。」と言いました。

29 A jar of sour wine was sitting there, so they soaked a sponge in it, put it on a hyssop branch, and held it up to his lips.

29 そこに酸っぱいぶどう酒の入った瓶がありましたので、ローマ兵たちは海綿をその中に浸し、ヒソプの枝につけて、イエスさまの口もとに当てました。

30 When Jesus had tasted it, he said, “It is finished!” Then he bowed his head and released his spirit.

30 イエスさまはそれを味わうと「完了した。」と言いました。それからて頭をたれて霊をあけ渡しました。

31 It was the day of preparation, and the Jewish leaders didn’t want the bodies hanging there the next day, which was the Sabbath (and a very special Sabbath, because it was the Passover). So they asked Pilate to hasten their deaths by ordering that their legs be broken. Then their bodies could be taken down.

31 それは準備の日のことで、ユダヤ人の指導者たちは翌日の安息日(過越の祭なので、とても特別な安息日)に死体を掲げておきたくありませんでした。そこでユダヤ人たちは罪人たちの足を折るように命じることで死を早めるようにピラトにたのみました。そうすれば死体を降ろせるからです。

32 So the soldiers came and broke the legs of the two men crucified with Jesus.

32 そこで兵士たちが来て、イエスさまと共に十字架にかけられた二人の人の足を折りました。

33 But when they came to Jesus, they saw that he was already dead, so they didn’t break his legs.

33 ところが兵士たちがイエスさまのところに来ると、イエスさまがすでに死んでいるのを見てイエスさまの足は折りませんでした。

34 One of the soldiers, however, pierced his side with a spear, and immediately blood and water flowed out.

34 しかし兵士たちの一人が槍でイエスさまのわき腹を突き刺しました。するとすぐに血と水が流れ出ました。

35 (This report is from an eyewitness giving an accurate account. He speaks the truth so that you also can believe.)

35 (この報告は正確な話をする目撃者からのものです。その人はあなた方も信じられるようにと真実を話しているのです。)

36 These things happened in fulfillment of the Scriptures that say, “Not one of his bones will be broken,”

36 これらの事が起こったのは次の聖書のことばが実現するためでした。「彼の骨は一つも砕かれません。」

37 and “They will look on the one they pierced.”

37 それと「彼らは自分たちが突き刺した人を見ます。」の部分です。



The Burial of Jesus

イエスさまの埋葬

38 Afterward Joseph of Arimathea, who had been a secret disciple of Jesus (because he feared the Jewish leaders), asked Pilate for permission to take down Jesus’ body. When Pilate gave permission, Joseph came and took the body away.

38 その後でイエスさまの弟子であることを隠していたアリマタヤのヨセフが(それはヨセフがユダヤ人の指導者たちを恐れていたからです)、イエスさまの死体を降ろす許可をピラトに願い出ました。ピラトが許可を与えるとヨセフが来て死体を取り去りました。

39 With him came Nicodemus, the man who had come to Jesus at night. He brought seventy-five pounds of perfumed ointment made from myrrh and aloes.

39 ヨセフと共に来たのは、以前イエスさまを夜間に訪問したニコデモでした。ニコデモはミルラ(没薬)とアロエから作った香りをつけた軟膏を75ポンド(約30kg)持ってきました。

40 Following Jewish burial custom, they wrapped Jesus’ body with the spices in long sheets of linen cloth.

40 ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、彼らは細長い亜麻布に香料をつけてイエスさまの死体を巻きました。

41 The place of crucifixion was near a garden, where there was a new tomb, never used before.

41 十字架刑の場所は庭園の近くでした。その庭園には誰にも使われたことのない新しい墓がありました。

42 And so, because it was the day of preparation for the Jewish Passover and since the tomb was close at hand, they laid Jesus there.

42 そこでその日がユダヤ人の過越の祭の準備の日であり、墓がすぐ近くにあったので、彼らはイエスさまをそこに横たえました。




ミニミニ解説

ヨハネの第19章です。

イエスさまは、ゲッセマネと呼ばれるエルサレムの東側にあるオリーブの木立で逮捕されると、最初に大祭司カヤパの義父のアンナスのところへ連れて行かれました。アンナスはカヤパがローマ帝国から大祭司に指名される前に大祭司を務めていた人です。アンナスは予備審問として夜中のうちにイエスさまを尋問します。そして夜明けとともに正式なサンヘドリンの最高議会が開かれ、ここでは大祭司カヤパを議長としてイエスさまに正式に有罪が宣告されました。

次に告発者たちはイエスさまをローマ総督ピラトの屋敷へ連れて行きました。ピラトはイエスさまを尋問し、イエスさまは死罪に相当するような犯罪は犯しておらず、どうやらイエスさまがユダヤ指導者たちの反感を買ってしまったらしいと理解します。ピラトはイエスさまを釈放しようと試みますが、告発者側は断固としてイエスさまの処刑を求めて譲らず、ピラトは恐らく暴動の発生を恐れる形で、結局ユダヤ指導者側の思惑どおりにイエスさまの死刑を判決します。

前回、イエスさまは他の二人の罪人と共に十字架に掛けられました。

第28節に「イエスさまはこのとき自分の任務が完了したのを知り」とありますが、この時点でイエスさまが十字架に掛けられてから約三時間が経過しています。そのことはMatthew 27:45(マタイの福音書第27章第45節)に「さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。」と書かれているところから読み取れます。この三時間の間に過去から未来に渡って地球上に存在するすべての人間の、あらゆる罪悪がイエスさまの中に流れ込んでいきます。そうやってまったく汚(けが)れのなかった無垢のいけにえとしてのイエスさまは、罪で汚れて行き、私たち人間と同様に神聖な父なる神さまから切り離されます。イエスさまはこうやって私たち人間の罪を背負ったのです。約三時間を経てすべての人間の罪が注ぎ込まれると、イエスさまは自分の任務が完了したのを知ったのでした。

この時点でイエスさまは約三時間、十字架の上にいたことになります。十字架刑に処される罪人は、最初に十字架を地面に寝かせた状態で両手首と左右の足を交差させた場所を太い釘で打ち付けられ、それから十字架が垂直に立てられます。あるいは両手首を十字架の横木に打ち付けた後で、その横木を罪人ごと吊り上げて、あらかじめ立てられていた縦木の上にT字になるように載せ、それから左右の足を交差させた場所を太い釘で縦木に打ち付けます。

十字架が完成すると自分の身体を支える箇所は両手首と足首を貫く太い釘だけになります。罪人の上半身は自分の体重で前へ倒れ込む形になります。膝をガクンと折り曲げて腰の部分を十字架の縦木にあててようやく下半身を支えると、罪人の上半身は、両肩が脱臼しそうな無理な姿勢で前のめりに吊り下がることになります。このときに釘を打ち込まれた両手首に感じる痛みは想像を絶します。あまりの痛みで罪人の身体は緊張して硬直します。私たちも何かで突然の痛みを感じたときに(たとえば足の指を家具などの角にぶつけたとき)、「痛っ」と言って上半身を硬直させて息を止めることがありますから、この緊張状態は理解できます。罪人は身体を硬直させて痛みをこらえますが、そのままの状態ではいつまでも呼吸ができません。「うっ」と息が詰まって肺の中の空気を吐き出すことができないのです。息を吐くためにはなんとか上半身の緊張を解かなければなりません。

そこで罪人は釘が打ち込まれた両足首を支えにして踏ん張り、膝を少しずつ伸ばしながら全身を上にズリ上げて、体重の大部分を下半身で支えられるようにして両手首と肩の痛みを緩和し、上半身の緊張状態を解こうとします。こうやってようやく上半身の緊張が解けると、罪人は肺の中の空気を初めて吐き出すことができるのです。しかし今度は体重を支える両足首が激痛にさらされますから、そのままの状態で長時間我慢することはできず、罪人は肺いっぱいに空気を吸い込んだらすぐに元のように膝を折り、両手首の釘で前のめりに吊り下がる状態に戻ります。そしてまた呼吸ができなくなるのです。

十字架刑はローマ帝国が考案したものですが、こうやって罪人を極限まで苦しめられるように考えられているのです。これが十字架刑が史上で最も残酷な刑と言われる理由です。罪人は十字架に掛けられる前に背中の筋肉が裂けて骨がむき出しになるほどむちで打たれ、すでに多量の失血で瀕死状態です。そんな状態でもうろうとする意識の中で、罪人は十字架上でのろのろと上下動を繰り返します。やがて体力が尽きて自分の身体を持ち上げられなくなったとき、罪人は十字架上で窒息死します。この時点でイエスさまはこの苦痛に三時間も耐えていたのでした。

第28節にはイエスさまが「聖書の言葉を実現するため」に「私はのどが渇いた」と言ったとあります。これはPsalms 22(詩編第22章)で救世主の苦難を歌った箇所の中にある第15節の「私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます。」([新改訳])の部分だと言われます。イエスさまは自分が地上に立つより1000年も前に書かれた聖書のこの箇所を意識して「私はのどが渇いた」と言いました。

すると第29節で、それを聞いたローマ兵たちが酸っぱいぶどう酒を含ませた海面を枝の先につけてイエスさまの口元へ運びます。「酸っぱいぶどう酒」は安物のぶどう酒でローマ帝国の兵たちが受刑者が死ぬのを待ちながら飲んでいたものか、あるいはローマ兵が強壮ドリンクとして用いていた水と酢と卵を混ぜ合わせて作った飲物とされます。ここの部分の預言としては、Psalms 69:21(詩編第69章第21節)に「彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました。」([新改訳])と書かれています。

第30節、イエスさまが酸っぱいぶどう酒を味わうと、これで救世主に関する預言が実現し、イエスさまは「完了した」と言いました。 ギリシア語の「完了した」は「支払いを完全に済ました」の意味も持ちます。モーゼが神さまから授かりユダヤの民に与えた律法には、人間が自分たちの罪の代償として捧げるべきいけにえのシステムが複雑に書かれています。それによると、神さまの期待を裏切る「罪」を犯した人間が、神さまとの関係を修復するための支払いは、いけにえの動物をささげて行います。聖書によると生き物のいのちは「血」にあります。神さまとの関係修復に必要なのは、いけにえとして捧げられる動物の「血」なのです。

しかしそうやってささげられる血の代償は、所詮動物のものにすぎず、効力は一定の期間に限られます。よって人は聖書の律法に沿って、繰り返し何度も何度もいけにえを捧げ続けなければなりませんでした。ところが今回、人間の支払いを完結する、支払うべき代償を完済するためのいけにえが神さまの側から用意されました。それが人の姿をとった神さまの子イエスさまです。まったく罪による汚(けが)れのない無垢の人間となったイエスさまが、十字架の上であらゆる人間の罪を背負って死に、その血を流すことで、人間の罪が完全にぬぐい去られたのです。十字架の上のイエスさまは、人間の罪に対する代償の支払いが完済したので、「完了した」、「支払いを完全に済ました」と言い、自分の霊を神さまにあけ渡しました。つまり死んだのです。

第31節、ユダヤ人指導者たちは十字架上に死体を掲げておきたくなかったとありますが、これは旧約聖書のDeuteronomy 21:23(申命記第21章第23節)に「その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。」([新改訳])と定められているからです。罪人を殺すためにユダヤ人たちは「罪人たちの足を折ること」を頼みます。ローマ兵たちは主に罪人の逃亡を防ぐために、大きな木槌のようなもので罪人の膝下や足首を折っていました。罪人たちは自分の足を折られれば、上で説明した呼吸のために自分の身体を押し上げることがより困難になり、結果として窒息死を早めることになります。

第32節~第33節、こうしてイエスさまの左右の罪人の足は折られましたが、イエスさまは既に死んでいたためわざわざ足を折られませんでした。第36節には、 これが聖書にある「彼の骨は一つも砕かれません。」が実現するためだったと書かれています。引用箇所はPsalm 34:20(詩編第34章第20節)の「主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。」です([新改訳])。

なおイエスさまは人間の罪に対するいけにえとして、人間の代わりに神さまに捧げられたのですが、旧約聖書の「Exodus(出エジプト記)」で、ユダヤ人がエジプトを脱出した際、神さまがエジプトのあらゆる家の第一子を殺すという恐ろしい厄災を行いました。そのときにユダヤ人だけがこの厄災を免れるため、神さまがモーゼに与えた指示は、身代わりとなる羊をいけにえとして殺し、その羊の血を印として戸口に塗れ、といういうものでした。これはイエスさまの血を印として、イエスさまを信じる人たちが「終わりの日」に最後の裁きを免れるイベントの「型」になっています。聖書にはそのいけにえの羊について次の記述があります。Exodus 12:46(出エジプト記第12章第46節)です。「これは一つの家の中で食べなければならない。あなたはその肉を家の外に持ち出してはならない。またその骨を折ってはならない。」([新改訳])。過越に捧げられる羊についても、その骨は折られないと言う記述があるのです。

第34節、しかしローマ兵は槍を使ってイエスさまの脇腹を下から上へ突き刺します。恐らく槍は水のたまった胞と心臓を貫き、傷口の穴から血と水が流れ出しました。第37節には、これはやはり聖書にある「彼らは自分たちが突き刺した人を見ます。」を実現するためだったとします。引用箇所はZechariah 12:10(ゼカリヤ書第12章第10節)の「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」です([新改訳])。

第35節に書かれている「正確な話をする目撃者」ですが、これはこの福音書の記述者として第21章第24節に「これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。」と自分のことを書いている「イエスさまが愛した弟子」と考えるのが妥当です。前回も書きましたが、通説はこの弟子をガリラヤの漁師ゼベダイの息子でヤコブと兄弟のヨハネとします。しかし福音書の数カ所に登場するこの弟子について、いろいろな情報を総合してみると、この弟子がガリラヤの漁師ゼベダイの息子のヨハネだとするのは不自然とする説が最近は評価されているようです。ですがその一方で、新約聖書の「Gospel of John(ヨハネの福音書)」「1 John(ヨハネの手紙1)」「2 John(ヨハネの手紙2)」「3 John(ヨハネの手紙3)」「Revelation(黙示録)」の五冊の本を「ヨハネ」と言う人物が記述した「ヨハネ文書」であるとして、本のタイトルにもヨハネの名前を冠して新約聖書に収めたのは初期の教会の長老たちで、これを支持する文献が多数存在します。ここから導き出されるのはどうやらガリラヤの漁師ゼベダイの息子ヨハネとは別に、ヨハネと呼ばれる若い弟子がいたという説です。

第38節~第39節に登場するアリマタヤのヨセフとニコデモは、共にユダヤの最高議決機関サンヘドリンのメンバー、つまりは日本で言えば国会議員です。心の中ではイエスさまを信じていながら、イエスさまを告発するユダヤ人指導者たちの手前、公然と信者であると言えずに隠して来ました。ニコデモはJohn 3(ヨハネの福音書第3章)やJohn 7(同第7章)にも登場していて、第3章では夜陰に紛れてこっそりとイエスさまの教えを聞きに来て、第7章ではイエスさまを告発する指導者たちの前でイエスさまをかばうような発言して指導者たちにたしなめられています。ところが今回は自分の国会議員としての立場を失い、さらにはユダヤ共同体からも追放されかねないリスクを冒してイエスさまの死体を引き取りたいと申し出ました。大変勇気のある行動です。二人は大急ぎで作業しなければなりませんでした。律法であらゆる仕事を禁じる安息日が翌日に迫っており、ユダヤ人の一日は日没から日没までなので、安息日はイエスさまが処刑された金曜日の日没から始まるからです。

午後三時頃に十字架の上で死んだイエスさまの死体をあわてて引き取り、それを日没までに墓に納めなければなりませんでした。だからすぐ近くにある墓を使うことにしたのでしょう。当時のユダヤの墓は岩肌の露出した丘の壁面などを掘って洞窟にしたものです。人ひとりが歩いて入れるほどの大きさの洞窟です。また当時の風習で墓に納める死体は細い布でぐるぐると巻きました。包帯で全身を巻かれたミイラ男のようなイメージです。その細い布にミルラ(没薬)やアロエなどの香りをつけた軟膏を練りつけて固定していきます。軟膏は30kgもあったと書かれていますが、全身を包むのであればそれくらいは必要だったのだろうと思われます。また香料は墓室内の腐臭を緩和するために遺体の近くにも置かれました。

遺体は最初、墓室内の台の上に安置されます。それから数日間の服喪期間を経て墓室内の壁面に人の身長くらいの奥行きで掘った小さな横穴に移し、その横穴の入り口を石で塞ぎます。死体は横穴の中で年月をかけて白骨化し、数年の後に取り出されて骨箱に移されます。骨箱は墓とは別の場所に安置されます。墓は通常は洞窟の入り口がそこへ向かう周囲から見て低くなるように作られていて、死体を納めた後は大きな岩を数人で転がしてきて入り口をふさぎます。入り口部分が低いので岩を転がしてくるときは比較的楽ですが、逆にその岩をどかすのは大変です。

イエスさまの納められた墓が「誰にも使われたことのない新しい墓」であったことはとても大切です。通常は墓は家族が何世代もかけて使うものだからです。しかしこの墓が新しい墓であったということは、この時点で墓の中にあったのはイエスさまの死体だけということになります。後で墓の中からイエスさまの死体が消失しますが、墓の中にあったのはイエスさまの死体だけなのですから、その消失の事実は疑いようがありません。さらに言うと通常、十字架に掛けられた反ローマ帝国の罪人の死体は共同の死体廃棄場に投げ捨てられたのでした。もしアリマタヤのヨセフが死体の引き取りを申し出ず、イエスさまの死体がそのように投げ捨てられていたら、重要なイエスさま復活の証拠が失われてしまいます。






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