ヨハネの福音書:第19章ヨハネの福音書第18章第15節~第27節:ペテロの最初の否定、大祭司がイエスさまを尋問する、ペテロの二度目と三度目の否定

2015年09月13日

ヨハネの福音書第18章第28節~第40節:ピラトによるイエスさまの裁判

第18章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus’ Trial before Pilate

ピラトによるイエスさまの裁判


28 Jesus’ trial before Caiaphas ended in the early hours of the morning. Then he was taken to the headquarters of the Roman governor.  His accusers didn’t go inside because it would defile them, and they wouldn’t be allowed to celebrate the Passover.

28 カヤパの前での裁判は朝の早い時間に終了しました。それからイエスさまはローマ総督の官邸へ連れて行かれました。告発人側は中へは入りませんでした。そうすると汚(けが)れてしまうからで、そうなると過越の祭を祝うことが許されなくなるのです。

29 So Pilate, the governor, went out to them and asked, “What is your charge against this man?”

29 そこで総督のピラトが表へ出て来てたずねました。「あなた方はこの人に対して何を告発するのですか。」

30 “We wouldn’t have handed him over to you if he weren’t a criminal!” they retorted.

30 彼らは言い返しました。「この人が犯罪者でなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡したりしません。」

31 “Then take him away and judge him by your own law,” Pilate told them.  “Only the Romans are permitted to execute someone,” the Jewish leaders replied.

31 ピラトは彼らに言いました。「ならばこの人を連れて行って、あなた方自身の律法に従って裁きなさい。」 ユダヤ人指導者たちが答えました。「誰かを死刑にできるのはローマ人だけです。」

32 (This fulfilled Jesus’ prediction about the way he would die.)

32 (このことでイエスさまが自分の死に方を話した予告のことばが成就しました。)

33 Then Pilate went back into his headquarters and called for Jesus to be brought to him. “Are you the king of the Jews?” he asked him.

33 そこでピラトは官邸に入って行き、イエスさまを自分のところへ連れてくるようにさせました。「あなたはユダヤ人の王なのですか。」 ピラトがイエスさまにたずねました。

34 Jesus replied, “Is this your own question, or did others tell you about me?”

34 イエスさまは答えました。「それはあなた自身の質問ですか。あるいは他の人があなたに私のことを話したのですか。」

35 “Am I a Jew?” Pilate retorted. “Your own people and their leading priests brought you to me for trial. Why? What have you done?”

35 ピラトが言い返しました。「私はユダヤ人なのですか。あなた自身の国の人たちとその祭司長たちが、裁判にかけよとあなたを私のところへ連れて来たのです。あなたは何をしたのですか。」

36 Jesus answered, “My Kingdom is not an earthly kingdom. If it were, my followers would fight to keep me from being handed over to the Jewish leaders. But my Kingdom is not of this world.”

36 イエスさまが答えました。「私の王国はこの世の王国ではありません。もしそうなら私の弟子たちは、私をユダヤ人の指導者たちに渡さないように戦ったことでしょう。しかし私の王国はこの世のものではありません。」

37 Pilate said, “So you are a king?”  Jesus responded, “You say I am a king. Actually, I was born and came into the world to testify to the truth. All who love the truth recognize that what I say is true.”

37 ピラトは言いました。「それであなたは王なのですか。」イエスさまは答えました。「私が王だとはあなたが言っています。実際のところ私が生まれ、この世に来たのは、真理の証言をするためです。真理を愛する者はみな、私が話すことが真理だとわかります。」

38 “What is truth?” Pilate asked. Then he went out again to the people and told them, “He is not guilty of any crime.

38 ピラトはたずねました。「真理とは何か。」 それからピラトは再び人々のところに出てきて彼らに言いました。「あの人にはどんな罪もありません。

39 But you have a custom of asking me to release one prisoner each year at Passover. Would you like me to release this ‘King of the Jews’?”

39 ですが過越の祭りには、あなた方が私に囚人のひとりを釈放するように頼む習慣があります。あなた方は私にこのユダヤ人の王を釈放して欲しいですか。」

40 But they shouted back, “No! Not this man. We want Barabbas!” (Barabbas was a revolutionary.)

40 しかし彼らは叫び返しました。「違う。この人ではありません。バラバを釈放して欲しい。」(バラバは革命論者でした)。



ミニミニ解説

ヨハネの第18章です。

イエスさまは、ゲッセマネと呼ばれるエルサレムの東側にあるオリーブの木立で逮捕されると、最初に大祭司カヤパの義父のアンナスのところへ連れて行かれました。アンナスはカヤパがローマ帝国から大祭司に指名される前に大祭司を務めていた人です。アンナスは予備審問として夜中のうちにイエスさまを尋問します。そして夜明けとともに正式なサンヘドリンの最高議会が開かれ、ここでは大祭司カヤパを議長としてイエスさまに正式に有罪が宣告されました。今回の第28節にある、朝の早い時間に終わった「カヤパの前での裁判」がそれにあたります。ヨハネではサンヘドリンの裁判の様子はまったく記載されていません。


下はサンヘドリンでの議会のために大祭司邸から寺院への経路と、寺院からピラトが執務していた アントニウス要塞に至る経路です。上の俯瞰図は『Holman Bible Atlas』から、下のエルサレムの地図は『New Living Translation: Life Application Study Bible』からです。矢印は私が付けています。

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第28節、告発者側はイエスさまをローマ総督ピラトの屋敷へ連れて行きます。総督の屋敷はエルサレムの城塞内部の北東部、寺院北の要塞にあったとされ、大祭司邸からは市内を南西部から斜めに横切った移動となります。告発者側はピラト邸には入りません。ユダヤの律法によると、ユダヤ人が異邦人(外国人)の家に入るとその人は儀礼上「汚(けが)れた」存在となるからです。この「汚れ」は時間が経過すれば清い状態に戻るとされているのですが、それでは翌日に迫っている一年間で一番大切な過越の祭の安息日に寺院に入って神さまを礼拝することができなくなってしまいます。ユダヤ人にとってそれは屈辱的で大変残念なことですから、告発者たちはローマ人であるピラトの屋敷の外にとどまらなければなりませんでした。

さてここで[KJV]を見ると、私が[NLT]を「過越の祭を祝うことが許されなくなることのないように」のような文意で訳した箇所は、「lest they should be defiled; but that they might eat the passover」となっていて、[新改訳]がほぼその訳になっています。そこには「過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして」と書かれていて、ここに[NLT]にはない「過越の食事」が登場しています。

「過越の食事」と言うのは旧約聖書の「Exodus(出エジプト記)」に登場する話に基づいていて、モーゼが当時奴隷状態にあったユダヤ人を連れてエジプトから脱出した日の前の晩に起こった出来事を再現する形になっています。ユダヤの暦で過越の祭が開かれるアビブの月の10日に、いけにえにする子羊か山羊の子を選び、それを14日の夕方に殺します。ユダヤでは日没から日没までが一日なので、14日の日没と共に15日となり、この日から過越の祭が始まります。日没後の夜に、殺した子羊(あるいは山羊)を焼いて、酵母の入っていないパンと苦菜を添えて食べるのが過越の食事です。

イエスさまが十字架に掛けられた年は、十字架刑の翌日が安息日(土曜日)でした。つまりイエスさまが十字架に掛けられたのは金曜日です。[KJV][新改訳]に沿うと、告発者側は過越の食事を食べられなくなることを嫌っているので、イエスさまの裁判が行われているこの時点は、14日木曜日の朝と言うことになります(14日の夜に過越の食事をする)。一方、共観福音書と呼ばれるマルコ、マタイ、ルカ側の記述を見ると、最後の晩餐を用意する場面に次のように書いてあります。たとえばMark 14:12(マルコの福音書第14章第12節)です。「種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」」([新改訳])。

これによると弟子たちが最後の晩餐を用意する時点で、その晩餐が特別な過越の食事だとしていて、と言うことはこの会話は14日の木曜日です。イエスさまが最後の晩餐を済ませてからゲッセマネで逮捕されたとすると、翌朝は15日金曜日の朝になり、ヨハネの記述とは一日ずれてしまいます。この一日のずれの問題は解決が難しいようで、あちこちで様々な議論が行われています。[NLT]は聖書に解決不能の問題があることを好まないのか、共観福音書側の設定をヨハネに持ち込もうとしているのか、わざわざ原文から過越の食事を外して、「celebrate the Passover(過越の祭を祝う)」のように時間設定をぼかした記述にしていると思われます。

第29節、告発者たちはイエスさまを官邸へ押し込んで、自分たちは汚れを嫌って敷地内へ入って来ようとしません。おそらく屋敷の外からイエスさまを処刑せよと叫ぶばかりなのです。そこでピラトがわざわざ表へ出て来て告発の理由をききます。ピラトはローマ帝国の属領となっていたユダヤの当時の総督です。任期は西暦26年~36年でした。ピラトは在職中にエルサレムの寺院に踏み込んで財宝を運び出して売り払い、そのお金を財源にして市内に高架式の水道橋を築くなどしたので、ユダヤ人との関係はうまく行っていませんでした。

第30節、告発者側は罪状を言うのではなく、犯罪者でないものをローマ政府に引き渡したりはしない、と主張します。つまりイエスさまは明確に犯罪者だと言うのです。

第31節、ピラトはそれならばユダヤ人のことはユダヤの律法で裁けば済むことだとイエスさまの受け取りを拒否しようとします。ピラトにとってイエスさまは特別な存在でもなんでもなく、ユダヤ人が持ち込んできた面倒な問題の一つに過ぎないのです。告発者側は「誰かを死刑にできるのはローマ人だけです。」と言って、ローマ政府によるイエスさまの処刑を求めます。

第32節に、「このことでイエスさまが自分の死に方を話した予告のことばが成就しました。」と書かれているのは、告発者側がピラトの引き取り拒否を受けてイエスさまを連れて帰ろうとはせず、あくまでもローマ政府による処刑を求めたことでイエスさまの十字架刑が決したということでしょう。たとえば、John 12:32-33(ヨハネの福音書第12章第32節~第33節)には、「32 「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」 33 イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。」([新改訳])と書かれていて、ここの「わたしが地上から上げられる」が十字架刑を予告していると解釈できます(「十字架に掛けられる」と「天に上げられる」の二重の意味に解釈できます)。他の箇所にもイエスさまは自分が高い場所に掲げられることを示唆した発言があります。

第33節、ピラトは再度官邸内に戻り、イエスさまに「あなたはユダヤ人の王なのですか。」と問います。これは告発者がピラトに伝えていた罪状から来ていると思われます。告発者たちはイエスさまが安息日の律法を犯したから、あるいは自分を神さまと等しく並べて神さまを冒涜したから、などという宗教的な理由でイエスさまを殺したかったはずなのに、ローマ政府に訴えるときには「この男は自分を王と自称している。」などと告げているのです。つまりそれは支配国であるローマ帝国皇帝に対する冒涜であり、また反ローマの暴動を企てている活動家たちの首領である、反逆罪で処刑してくださいと言う意味です。

第34節、イエスさまは「あなたはユダヤ人の王なのですか。」というピラトの質問が、ピラト自身から出て来た質問なのか、あるいは告発者か誰かがそう言っているのかと問います。

第35節、ピラトは「私はユダヤ人なのですか。」と言います。これは「そうじゃないよね?」という逆説的な質問で、ユダヤ人であるあなたたちが、あなたを死刑にしろと連れてきているのだから、いったいあなたが何をしたのか、その理由をユダヤ人であるあなたの言葉で教えてくれ、と言うようなことを言います。

第36節で、イエスさまは「私の王国はこの世の王国ではありません。」と言い、これを聞いてピラトはこれは話がまったく違うと悟ります。イエスさまが伝道する「王国」とは、この世の中とはどこか別のところにある王国の話だったのです。ピラトはユダヤ人に敬意など払っていたはずがありませんが、特別にユダヤ人に恨みがあるわけでもなく、属領の総督として不要なトラブルは避けなければなりませんから、誰でもかまわずユダヤ人を殺していたわけではありません。ピラトはイエスさまの話を聞くと、イエスさまが告発されている理由はユダヤの宗教に基づいていて、どうやらイエスさまがユダヤの指導者層から反感を買ってしまったらしいことを知りました。ピラトはユダヤ人指導者たちの感情的で勝手な思惑に基づいて、自分がイエスさまに死刑執行の判決を下す理由が見つけられません。ピラトは正義の味方ではありません(と言うよりも他の箇所を読むとかなりの悪人です)から、利害さえ一致すれば死刑の判決を下したのでしょうが、最初はその理由を見つけられなかったのです。

第37節、ピラトが「あなたは王なのですか。」とたずねると、イエスさまは「私が王だとはあなたが言っています。」と答えます。イエスさまはずっと神さまの王国を説いていたのであって、自分がその王国の王だと言っていたわけではありません。ユダヤ人の指導者層は、イエスさまが話の中で、ときに神さまと自分を同格のように語る部分があるのでイエスさまが気に入らなかったのです。

第37節、イエスさまは「私が生まれ、この世に来たのは、真理の証言をするためです。」と言い、第38節でピラトは「What is truth?(真理とは何か)」と問います。これはピラトが真理を探究して言っているのではなく、イエスさまの発言を皮肉ったものと思われます。たとえば何が正しくて何が正しくないか、それに絶対的な真理などなく相対的な問題であり、個々人の主観による判断や、そのときどきの状況によって異なるのだから、イエスさまの言う「真理」などというのは戯れ言に過ぎないと言っているのでしょう。

世の中で「クリスチャンは独善的」との批判を受けることがあります。なぜクリスチャンは頑なに聖書にとどまり、他の考え方を受け入れようとしないのか、なぜ自分たちだけが正しいと言い切れるのか、と。ここには誤解があると思います。クリスチャンは宗教ではありません。クリスチャンが信じているのは万物の創造主である神さまです。私がクリスチャンと区別して「宗教」と言っているのは、心の平安を得たいとか、悩みを解決したいとか、そういう理由で「入門」「入信」する営みのことです。宗教が提供する儀式やメディアに触れたり、同じ宗教に属する人と話をすることで、心の平安や悩みの解決が得られることもあるでしょう。またそもそも心の平安や悩みの解決を目的に始めるものなのですから、目的の答が得られるのであれば異なる複数の宗教と接することも可能かも知れません。

一方クリスチャンが信じているのは万物の創造主であるただひとりの神さまです。この神さまは初めに無から天と地を創り出した存在です。その神さまは人間を特別に愛していて、ひとりひとりの人間と個人的な契約を結びたいと思っている存在です。その神さまの存在と神さまが提供する計画を信じて、神さまと個人的な契約を結ぶ人がクリスチャンです。だとしたらそこに他の何かが入り込む余地はありません。

クリスチャンが信じる神さまは、宇宙にただひとりの神聖な存在なのですから、自身の正しさ以外を正しいとする考え方を「正しい」として受け入れる寛容さはありません。世の中に絶対的な正しさが存在するとしたら、それは神さま以外にはありません。そのことを知っているのが、ご自身で最初に天と地を創造された神さまなのですから、そこには何も入り込めません。神さまが自分で造った自分の宇宙なのです。寛容であるとかないとか、独善であるとかないとか、そういう問題ではないのです。これは私個人が勝手に言っていることではなくて「聖書」に書いてあることで、多少の教義上の解釈の違いはあるとしても、クリスチャンの研究者が一般的に共有する情報です。聖書は日本ではどこの書店でも買うことができます。

第39節~第40節にあるように、当時はローマ総督が過越の祭の際に囚人を一人釈放する習慣があったようで、ピラトはこの慣習を利用してイエスさまを釈放しようとします。ユダヤ人の指導者たちは熱くなっているだけなので、落ち着いて考えればイエスさまを釈放することを要求するだろうと思ったのでしょう。これに対して告発者側が釈放するように求めたバラバは、ローマ帝国への反逆罪と殺人罪で捕まっていた犯罪者です。ユダヤ人にとってのバラバは、支配国として重税を課すローマ帝国に対して立ち上がり、恐らく反逆の過程でローマ人を殺害した民衆のヒーローだったはずです。指導者層から見れば秩序を乱してローマ帝国の反感を買い、自分たちが受けている既得権益を脅かす存在に変わりないのでしょうが。






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