ヨハネの福音書第6章第16節~第21節:イエスさまが水の上を歩くヨハネの福音書:第6章

2015年09月25日

ヨハネの福音書第6章第1節~第15節:イエスさまが五千人に食べさせる

第6章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Jesus Feeds Five Thousand

イエスさまが五千人に食べさせる


1 After this, Jesus crossed over to the far side of the Sea of Galilee, also known as the Sea of Tiberias.

1 その後イエスさまはガリラヤ湖(テベリヤ湖の名でも知られています)の奥の岸へ渡りました。

2 A huge crowd kept following him wherever he went, because they saw his miraculous signs as he healed the sick.

2 大ぜいの群衆がイエスさまの行くところには、どこへでもついて行きました。彼らがイエスさまが病人を癒す奇跡のしるしを見たからです。

3 Then Jesus climbed a hill and sat down with his disciples around him.

3 イエスさまは丘に登り、自分のまわりに弟子たちを置いて座りました。

4 (It was nearly time for the Jewish Passover celebration.)

4 (そろそろユダヤ人の過越しの祭の時期でした。)

5 Jesus soon saw a huge crowd of people coming to look for him. Turning to Philip, he asked, “Where can we buy bread to feed all these people?”

5 イエスさまは、すぐに大ぜいの群衆が自分を探して来るのに気づきました。イエスさまはピリポの方を向いてたずねました。「この人たち全員に食べさせるパンはどこで買えるだろうか。」

6 He was testing Philip, for he already knew what he was going to do.

6 イエスさまはピリポをためしていたのです。イエスさまはこれから自分がしようとしていることを知っていたのです。

7 Philip replied, “Even if we worked for months, we wouldn’t have enough money to feed them!”

7 ピリポは答えました。「我々が何ヶ月もかけて働いても、これだけの人たちを食べさせるお金は得られないでしょう。」

8 Then Andrew, Simon Peter’s brother, spoke up.

8 するとシモン・ペテロの兄のアンデレが言いました。

9 “There’s a young boy here with five barley loaves and two fish. But what good is that with this huge crowd?”

9 「ここに大麦のパンを五つと魚を二匹持っている少年がいます。しかしこれだけ大ぜいの群衆では、それが何になりましょう。」

10 “Tell everyone to sit down,” Jesus said. So they all sat down on the grassy slopes. (The men alone numbered about 5,000.)

10 「みなに座るように言いなさい。」イエスさまが言いました。そこで人々はみな草の茂る斜面に座りました。(男だけでも約五千人いました。)

11 Then Jesus took the loaves, gave thanks to God, and distributed them to the people. Afterward he did the same with the fish. And they all ate as much as they wanted.

11 それからイエスさまはパンを取り、神さまに感謝を捧げ、人々に分け与えました。続いて魚も同じようにして分け与えました。そしてすべての人々が欲しいだけ食べました。

12 After everyone was full, Jesus told his disciples, “Now gather the leftovers, so that nothing is wasted.”

12 みなが満腹した後でイエスさまは弟子たちに言いました。「余った食べ物を集めなさい。何も無駄が出ないように。」

13 So they picked up the pieces and filled twelve baskets with scraps left by the people who had eaten from the five barley loaves.

13 そこで弟子たちは断片を集めました。すると人々が大麦のパン五つから食べ残したパンのくずで十二の籠が一杯になりました。

14 When the people saw him do this miraculous sign, they exclaimed, “Surely, he is the Prophet we have been expecting!”

14 人々はイエスさまが行ったこの奇跡のしるしを見て言いました。「本当に、この方こそが我々が待ち望んできた預言者です。」

15 When Jesus saw that they were ready to force him to be their king, he slipped away into the hills by himself.

15 イエスさまは人々が自分を王にするために無理矢理に連れて行こうとしているのを知ると、一人で抜け出して山の方へ入っていきました。




ミニミニ解説

ヨハネの第6章です。

第1節でイエスさまはガリラヤ湖の奥の岸へ渡ります。第5章はエルサレムで起こった出来事で、その前の第4章ではガリラヤ地方のカナにいましたから、章が進むたびに100kmの旅をして再びエルサレムからガリラヤ地方へ戻ったことになります。これについてヨハネは第5章と第4章を入れ替えて読む方が話がつながりやすいとする研究者が多くいるそうです。当時の書物は羊皮紙に記述されていましたが、章ごとに羊皮紙に書かれていたものが誤って入れ替わったのではないか、と言うのです。たしかに第3章(エルサレム)、第5章(エルサレム)、第4章(ガリラヤ地方のカナ)、第6章(ガリラヤ湖)と読み進むと自然な感じでつながる気がします。興味のある方はやってみてください。

さてイエスさまがガリラヤ地方での伝道で活動拠点にしたカペナウムは、ガリラヤ湖の北岸にあり、北部から湖に流れ込むヨルダン川の西側にありますが、今回の出来事はやはりガリラヤ湖の北岸でヨルダン川の東側のベツサイダ近郊と想定されています。 第2節にはイエスさまが歩く後ろを、たくさんの群衆が追いかけていたと書かれています。これはイエスさまの行う奇跡を自分の目で見た人たちです。この人たちはイエスさまが病人を癒したのを見たと書かれていますが、イエスさまが病人を癒す様子は福音書にたくさん登場します。ほとんどの記述でイエスさまは自分のところに来たすべての人を完全に癒したと書かれています。

第5節、イエスさまは十二使徒のひとりのピリポに群衆に食べさせる食べ物の入手先について、「どこで買えるだろうか」とききます。イエスさまがピリポにきいたのは、ピリポがベツサイダの出身だからでしょう。

これに対して第6節、「我々が何ヶ月もかけて働いても、これだけの人たちを食べさせるお金は得られないでしょう。」とのピリポの答は大変現実的だと思います。この部分、[KJV]では「Two hundred pennyworth of bread is not sufficient for them, that every one of them may take a little.」となっていて、[KJV]と親和性の高い[新改訳]は「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」としています。第10節によると集まっていた群衆の数は男だけで五千人とあります。もし女性や子供が一緒にいたとすれば、少なくとも一万、多ければ二万人ほどの人が集まっていた可能性があります。1デナリは労働者一日分の日当とされます。たとえば日当が一万円だとすると二百デナリは二百万円です。これを男だけの五千人で割ると一人あたり四百円です。女性や子供も含めて一万人いたらひとりあたり二百円です。なんとなくつじつまが合いますね。ピリポはそれだけの食べ物を買うお金がないと言いますが、それだけの食べ物を売っている場所だってないのではないでしょうか。

第6節には「イエスさまはピリポをためしていた」と書かれています。私たちは自分の考えていることと、自分の口から出ることの違いに驚くことがあります。「どうして自分はこんな事を言ってしまうのだろうか」というような感じです。イエスさまはこのとき、ピリポに自分の考えを口に出させて、それを周囲の者にも聞かせ、そうやってこれからイエスさまが行う奇跡の意味を際だたせようとしているのだと思います。五千人、場合によると一万人を越える人の数、ベツサイダの近郊というへんぴな場所、食物を買うための膨大な資金、こうやって条件を並べたら食料が手に入る可能性は限りなくゼロです。可能性がゼロだから奇跡なのです。神さまに出来ることを人間の枠で限定してはいけないのです。

第8節と第9節。ペテロの兄のアンデレがパンを五つと魚を二匹持っている少年のことを告げます。この兄弟二人もやはり十二使徒でベツサイダの出身です。「魚」というのは干した魚や味付けをした魚のことで、当時主食と一緒によく食べられていたようです。群衆の中にはきっと食べ物を持っている人は他にもいたのでしょうが、この少年は自分のパンと魚を差し出したのでしょうか。あるいはアンデレに見つかってしまったのか。アンデレは群衆の中に全員の腹を満たすだけの食料があると思っていたのでしょうか。少なくとも現実的な発言を返すピリポとは対照的な、行動力のある人に見受けられます。

第10節と第11節、イエスさまはそれを見ると群衆を斜面に座らせて、神さまに感謝を捧げてからそのパンと魚を群衆に配り始めます。

第12節と第13節によると、すべての人々は欲しいだけ食べたのです。さらに残ったパンのくずを集めてみると十二の籠が一杯になった、と書かれています。

「パンのくず」で思い出すのはマルコの第7章にあるエピソードです。Mark 7:24-30(マルコの福音書第7章第24節~第30節)です。

「24 イエスは、そこを出てツロ{とシドン}の地方へ行かれた。家に入られたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れていることはできなかった。25 汚れた霊につかれた小さい娘のいる女が、イエスのことを聞きつけてすぐにやって来て、その足もとにひれ伏した。26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。そして、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた。27 するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」 28 しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」 29  そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」 30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に伏せっており、悪霊はもう出ていた。」([新改訳])。

イエスさまのところへギリシヤ人、つまり異邦人の女性が助けを求めてやって来ますが、イエスさまはユダヤ人が優先だといい、ユダヤ人からパンを取り上げて異邦人にあげることはできない、と断ります。ここでユダヤ人は子供、異邦人は子犬にたとえられています。すると女性は犬だって子供の食べ残しはもらえるでしょう、と食い下がり、その執拗さがイエスさまを動かして、イエスさまに助けてもらいます。ここで「パンのくず」はユダヤ人の食べ残しです。そして今回も集められたのはユダヤ人の食べ残しでした。その「パンのくず」で十二の籠が一杯になります。十二というのは神さまの民の全体を象徴する数字です。ユダヤの十二氏族、イエスさまの十二使徒と言うように。これはユダヤ人と異邦人が合わさって神さまの民の全体が完成するということの象徴なのかも知れません。

さて十二の籠にいっぱいになった食べ残しはどうなったのでしょうか。みんなが満腹なのです。もう誰も食べられません。もしかすると最初にパンと魚を差し出した少年が持って帰ったのかも知れません。私はLuke 6:38(ルカの福音書第6章第38節)を思い出します。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」([新改訳])。自分から与えれば、それに対する報酬は計量の量りからあふれるようになって戻ってくるという話です。まさにそのとおりですね。

第14節で人々が「本当に、この方こそが我々が待ち望んできた預言者です。」と言っているのは、前回も引用したモーゼがDeuteronomy 18:15(申命記第18章第15節)で言った、「あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。」([新改訳])と言った預言者のことです。人々はこの預言者の到来を待望していたのです。

旧約聖書の中にも、神さまを信じる気持ちから差し出された、ほんの少しの食料が、際限なく増えていく奇跡が何度か登場します。たとえば2 Kings 4:42-44(列王記第2第4章第42節~第44節)です。引用中に登場する「神の人」と言うのは預言者エリシャのことです。

「42 ある人がバアル・シャリシャから来て、神の人に初穂のパンである大麦のパン二十個と、一袋の新穀とを持って来た。神の人は、「この人たちに与えて食べさせなさい」と命じた。43 彼の召使いは、「これだけで、どうして百人もの人に分けられましょう」と言った。しかし、エリシャは言った。「この人たちに与えて食べさせなさい。主はこう仰せられる。『彼らは食べて残すだろう。』」 44 そこで、召使いが彼らに配ると、彼らは食べた。主のことばのとおり、それはあり余った。」([新改訳])。

イエスさまが五つのパンと二匹の魚を増やして、五千人あるいは一万人以上の空腹を満たした様子は、旧約聖書に記されたこれらの奇跡の再現なのです。だから人々は実際にエリシャのそれを超越する規模の奇跡を目にして「この方こそが我々が待ち望んできた預言者です!」と叫んだのでしょう。この人たちはイエスさまの奇跡の目撃者です。イエスさまの言動を記録した四つの福音書のうち、早いものはイエスさまの十字架刑から30年ほど後から記述と流布が始まったようですが、このときには当然このたくさんの人たちの大半が生きていたと思われます。イエスさまの十字架刑の後、イエスさまは復活した、イエスさまは神さまだ、と主張する信者たちが福音書や書簡の流布を始めました。イエスさまと信者を弾圧してきたファリサイ派などの指導者層はこの活動をもみ消そうとしたでしょうが、イスラエル全土にはイエスさまの奇跡を自分の目で見た人たちが、まだたくさんいたのです。

第15節、イエスさまは「人々が自分を王にするために無理矢理に連れて行こうとしている」のを知って群衆を後にします。読み方によるとガリラヤ地方の郊外に五千人の男が集結する様子は武装蜂起の準備にも見えます。人々は最初からイエスさまをリーダーにして武装蜂起しようと考えて集まってきたのかも知れません。しかしイエスさまが伝える神さまの王国の到来は、これらのユダヤ人が求めるローマ帝国支配からの脱却とは意味が異なります。それでイエスさまは群衆から離れて山へ向かいます。






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ヨハネの福音書第6章第16節~第21節:イエスさまが水の上を歩くヨハネの福音書:第6章