ヨハネの福音書第4章第43節~第54節:イエスさまが役人の息子を癒すヨハネの福音書第4章第16節~第26節:イエスさまとサマリヤの女性(続き)

2015年09月27日

ヨハネの福音書第4章第27節~第42節:イエスさまとサマリヤの女性(続き)、多くのサマリヤ人が信じる

第4章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


27 Just then his disciples came back. They were shocked to find him talking to a woman, but none of them had the nerve to ask, “What do you want with her?” or “Why are you talking to her?”

27 ちょうどそのときイエスさまの弟子たちが戻ってきました。弟子たちはイエスさまが女性と話しているのを見て大変驚きましたが、だれもイエスさまに「この女性に何を求めているのか」であるとか、「なぜこの女性と話しているのか」と、たずねる勇気はありませんでした。

28 The woman left her water jar beside the well and ran back to the village, telling everyone,

28 女性は自分の水がめを井戸の脇に置き、走って村へ戻り、人々に言いました。

29 “Come and see a man who told me everything I ever did! Could he possibly be the Messiah?”

29 「来て、見てください。私がこれまでしてきたことを全部私に言った人がいます。もしかするとこの方が救世主なのでしょうか。」

30 So the people came streaming from the village to see him.

30 それで人々は、イエスさまを見に、村からとぎれることなく出て来ました。

31 Meanwhile, the disciples were urging Jesus, “Rabbi, eat something.”

31 そのころ弟子たちはイエスさまにお願いをしていました。「先生、何か食べてください。」

32 But Jesus replied, “I have a kind of food you know nothing about.”

32 しかしイエスさまは答えました。「私には、あなたがたのまったく知らない食物があるのです。」

33 “Did someone bring him food while we were gone?” the disciples asked each other.

33 「我々がいない間に、誰かが食べ物を持って来たのだろうか。」 弟子たちは互いに言いました。

34 Then Jesus explained: “My nourishment comes from doing the will of God, who sent me, and from finishing his work.

34 するとイエスさまが説明して言いました。「わたしの栄養は、私を遣わした神さまの意志を行なうことと、その神さまの仕事を成し遂げることで、得られるのです。

35 You know the saying, ‘Four months between planting and harvest.’ But I say, wake up and look around. The fields are already ripe for harvest.

35 あなた方は『蒔いてから刈り入れまで四か月かかる』と言う、言い習わしを知っていますね。ですが私に言わせれば、目を覚ましてまわりを見なさい。畑は実り、刈り入れの準備は整っています。

36 The harvesters are paid good wages, and the fruit they harvest is people brought to eternal life. What joy awaits both the planter and the harvester alike!

36 刈り入れる者は良い報酬を受け取ります。彼らが刈り入れる果実は永遠のいのちへと導かれる人々です。蒔く者と刈り取る者、どちらにもどれほど大きな喜びが待っていることでしょう。

37 You know the saying, ‘One plants and another harvests.’ And it’s true.

37 あなた方は『ある者が蒔き、他のもう一人が刈り入れる』と言う、言い習わしを知っています。それは本当です。

38 I sent you to harvest where you didn’t plant; others had already done the work, and now you will get to gather the harvest.”

38 私はあなた方を、あなた方が自分で蒔かなかった場所へ、刈り取りに遣わしました。他の人たちがすでに仕事をしたので、あなた方はいま収穫を集めることができるのです。」



Many Samaritans Believe

多くのサマリヤ人が信じる


39 Many Samaritans from the village believed in Jesus because the woman had said, “He told me everything I ever did!”

39 その村のサマリヤ人の多くがイエスさまを信じました。それは女性が「あの方が、私がこれまでしてきたことを全部私に言った。」と言ったからです。

40 When they came out to see him, they begged him to stay in their village. So he stayed for two days,

40 人々はイエスさまに会いに出てくると村に滞在するように願いました。そこでイエスさまは二日間そこに滞在しました。

41 long enough for many more to hear his message and believe.

41 この間に、さらに多くの人々がイエスさまの話を聞いて信じました。

42 Then they said to the woman, “Now we believe, not just because of what you told us, but because we have heard him ourselves. Now we know that he is indeed the Savior of the world.”

42 そして彼らは女性に言いました。「私たちは、あなたが話したことによってではなく、今は自分たちで聞いたことで信じます。私たちは、この方が真にこの世の救世主だと知っています。」




ミニミニ解説

ヨハネの第4章です。

イエスさまの一行はイスラエル南部のユダヤ地方から北部のガリラヤ地方へ向かう上で、ヨルダン川の西側を北上してサマリヤ地方を縦断するルートをとりました。一般的なユダヤ人はサマリヤ人との接触を避けていたので、これは異例のことです。一行はサマリヤ地方のスカルという村に到着します。弟子たちは近くの村へ食料を調達しに行き、イエスさまはひとり井戸の近くに座って休みます。そこへサマリヤ人の女性が現れました。

女性はユダヤ人のイエスさまがサマリヤ人の女性に「私に水をください。」と話しかけたことで驚きます。それからイエスさまは女性に「生ける水」の話をします。飲む者は決して再び渇くことがなく、飲んだ人の中で新鮮に湧き出る泉となって、その人に永遠のいのちを与える水です。女性がイエスさまにその水を求めるとイエスさまは女性の過去をすべて言い当ててしまいます。それから神さまに対する礼拝のあり方の話をします。ユダヤ人はエルサレムで、サマリヤ人はゲリジム山で礼拝しますが、これからはどこで礼拝するかは問題ではなく、神さまは霊なのだから、霊と真実によって礼拝する人が求められるようになると言います。女性が自分はキリストと呼ばれる救世主が来ることを知っている、その人がすべてを自分たちに教えてくれる、と言うと、イエスさまは自分がその救世主だと言いました。

今回はこの続きです。

第27節、食べ物を調達しに行っていた弟子たちが戻ってきます。弟子たちはイエスさまが不浄なサマリヤ人の女性と一対一で話をしているのを見てショックを受けますが、イエスさまに理由を聞く勇気が出せません。

第28節~第30節、女性は村へ走って行き、村の人々にイエスさまのことを伝えて歩きます。詮索されたくない過去を持ち、わざわざ人目を避けて真昼の時間帯に井戸へ水をくみに行っていた女性であったのに、いま自分の耳にしたこと、いま自分が会った人物のことを人々に告げずにはいられなかったのでしょう。村人たちも「あの噂の女性」が言うことなのですから、必要以上に興味をかき立てられたに違いありません。こうして村人たちは女性を介在して、効果的にイエスさまに引き合わされることになりました。これはこの女性のために神さまが用意した計画だったのかも知れません。

第31節、弟子たちはイエスさまに何かを食べるようにとすすめますが、イエスさまはすぐに食べようとしません。これは恐らく、食べ物ばかりに執着する弟子たちに対して、食べ物をきっかけにして、この世の中にはもっと大切なことがあると教えようとしているのだと思います。Matthew 4(マタイの福音書第4章)で、イエスさまが悪魔の誘惑を受けたときに、イエスさまが旧約聖書のDeuteronomy 8:3(申命記第8章第3節)から引用した「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」の言葉は、エジプト脱出後、パレスチナに入る前に40年間砂漠を放浪させられているユダヤの民にモーゼが神さまの言葉として伝えたものです。荒野を歩き続けるユダヤ人が空腹や渇きを訴えると、神さまはマナと呼ばれるパンと岩からほとばしる水を与えましたが、ユダヤ人たちはそのときこそは感謝したものの、やがて来る日も来る日も同じマナを食べることに飽き飽きして不満を言い始めます。人間は食べ物に執着する生き物なのです。

これに対してMatthew 6:31-34(マタイの福音書第6章第31節~第34節)には、イエスさまの言葉が次のように書かれています。「31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」([新改訳])。神さまとの関係を良好に保つこと、神さまの目に正しく映ることをいつも心がけて神さまとの関係を第一に求めるようにしていれば、食べ物や着るものは神さまが与えてくださるのです、それを当たり前に期待するようにして、心配するのはよしなさい、と言っています。

さて今回の第32節からは、食べ物の話をきっかけにして、イエスさまが神さまの国と神さまの正しさを第一に追い求める人には「神さまの意志を行なうことと、その神さまの仕事を成し遂げること」が食事なのですよ、と伝えています。第33節で弟子たちは「我々がいない間に、誰かが食べ物を持って来たのだろうか」と具体的な食べ物の話をしていました。果たして弟子たちにはイエスさまの話が理解できたでしょうか。

第35節、イエスさまは『蒔いてから刈り入れまで四か月かかる』という言い習わしを出します。種蒔きから刈り入れまでには四ヶ月の時間がかかります。種まきという労働の成果が収穫の喜びとなって戻ってくるまでには四ヶ月もの長い時間かかるのです。しかしイエスさまは「目を覚ましてまわりを見なさい。畑は実り、刈り入れの準備は整っています。」と言います。もうすでに労苦が報われる喜びの収穫のときがここに来ているのですよ、よくまわりを見てみなさい、と言うのです。

ここで「種蒔き」と「刈り入れ」は明らかに比喩として用いられています。聖書に言う「刈り入れ」は終末論の「終わりの日」の出来事を指す場合が多いようです。Revelation 14:14-16(ヨハネの黙示録第14章第14節~第16節)がわかりやすいかも知れません。これは終わりの日にイエスさまが行う刈り入れです。「14 また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。15 すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」 16 そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。」([新改訳])。

ここではいったい何が刈り取られたのでしょうか。今回の第36節には、刈り入れる者は良い報酬を受け取ると書かれた後、「彼らが刈り入れる果実は永遠のいのちへと導かれる人々である。」と書かれています。刈り入れられるのは「永遠のいのちを得る人たち」なのです。新約聖書に書かれている永遠のいのちを得る方法は、神さまの救済の計画(=福音)を受け入れて、それを信じると自分の口で宣言することです。

第35節に戻ると、イエスさまは「目を覚ましてまわりを見なさい。畑は実り、刈り入れの準備は整っています。」と言っていました。これは言い換えれば世の中には福音を受け入れて永遠のいのちを受け取る準備のできた人たちがたくさんいる、ということでしょう。

第37節~第38節、イエスさまは『ある者が蒔き、他のもう一人が刈り入れる』と言う言い習わしを持ち出し、弟子たちを自分で蒔かなかった場所へ、刈り入れに向かわせた、と言います。そして他の人たちがすでに種蒔きの仕事をしておいてくれたので、弟子たちは収穫の刈り入れができるのだ、と言います。「刈り入れ」が人々が福音を受け入れて永遠のいのちを得ることなのだとしたら、「種蒔き」は何の比喩でしょうか。それは神さまの言葉である「聖書に触れること」でしょう。福音書が書かれた時代に人々がイエスさまを救世主として信じられたのは、イエスさまが旧約聖書の預言をことごとく実現していったからです。人々の頭の中に聖書の知識があったから、人々はイエスさまが救世主だと認めることができたのです。派遣された弟子たちが人々を福音へと導くことができたのは、ユダヤ人の間で長い年月をかけて守り伝えられてきた聖書の言葉、預言者たちが話し記録した神さまの言葉があったからです。

第39節、スカルの村の多くの人がイエスさまを信じたのは、女性が人々に「イエスさまが自分がこれまでしてきたことを全部言った。」と告げたからだと書かれています。前回、第25節で女性は「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」([新改訳])と言っていました。これはDeuteronomy 18:18(申命記第18章第18節)に基づいているのだと思います。ここで神さまはモーゼに「わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。」([新改訳])と伝えています。このやがて訪れるモーゼのような預言者は「わたしが命じることをみな告げる。」のです。つまりこの預言者は神さまと同じように全知である、いっさいのことを自分たちに知らせてくださる、と考えられているです。だから女性が「自分がこれまでしてきたことを全部言った。」と言うことは、イエスさまはもしかするとDeuteronomy 18:18に書かれた預言者なのではないか、と言うことになるのです。

イエスさまはスカルの村に二日滞在し、多くの人に伝道します。このときはきっと誰かの過去を言い当てるような話ではなく、聖書の言葉を神さまの視点で伝えて、人々を福音へと導いたことでしょう。また二日の間には噂を聞きつけて周囲の村からも、イエスさまの話を聞きにサマリヤ人が訪れたかも知れません。結果として第41節、この間にさらに多くの人々がイエスさまの話を聞いて信じたのです。






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