2015年09月30日

ヨハネの福音書:はじめに

ヨハネの福音書


はじめに
第01章 第02章 第03章 第04章 第05章
第06章 第07章 第08章 第09章 第10章
第11章 第12章 第13章 第14章 第15章
第16章 第17章 第18章 第19章 第20章
第21章
全体目次




新約聖書の中に「Gospel(福音書)」の名前がつく本は最初に四つ収録されています。それは「Matthew(マタイ)」「Mark(マルコ)」「Luke(ルカ)」「John(ヨハネ)」の四冊で、ヨハネの福音書は四番目にあたります。

ヨハネを除く最初の三冊を、特別に「共観福音書」と呼びますが、これは、この三冊に共通する記述が多く、恐らく同じ文献から発していると考えられるからです。

私はメルマガの中で「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の公式を用いていますが、これは共観福音書の三冊のうち最初に書かれたとされるのがマルコで、マタイとルカはマルコの記述から10年あまりを経て、マルコからの引用と、「Q」と呼ばれるイエスさまの説教集の資料、さらにマタイとルカがそれぞれ独自に持っていた資料を組み合わせて編集されたことが推察されることを示しています。

これに対してヨハネは、共観福音書の三冊とはまったく異なる視点で書かれており、記述が行われたのもおそらく一番最後です。共観福音書がどちらかというとイエスさまの伝道に関する記録を行ったのに対し、ヨハネはイエスさまが地上に現れ、十字架に掛かって殺されて、その三日後によみがえった、その出来事の背景や目的、あるいはその意味や意図を伝えることを主眼としていると感じさせます。共観福音書が書かなかった、福音の本当の意味を伝える最後の福音書と言っても良いかも知れません。

実はヨハネの福音書が書かれた目的は、福音書の中に明確に書かれています。John 20:31(ヨハネの福音書第20章第31節)です、「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」([新改訳])。読んだ人がイエスさまを信じるため、そしてその名前によっていのちを得るための福音書なのです。

記述者のヨハネが誰かについては議論があり、最初はイエスさまが選んだ十二人の使徒の一人で、イスラエル北部のガリラヤ湖の北岸にあるカペルナウムという町の漁師のゼベダイと言う人の息子、やはり十二使徒のひとりであるヤコブと兄弟のヨハネがそうであろうとされていました。ヤコブとヨハネは聖書にはどちらが年長かは書かれていませんが、「ヤコブとヨハネ」という記述が多いのでヤコブが年長と考えられています。ゼベダイの一家は福音書には船や召し使いを所有していたという記述がありますから、かなり裕福な家だったようです。

記述者について後から出てきた有力な説は、ヨハネの福音書の中に何回か出てくる「イエスさまが愛した弟子」と言う人物は十二人の使徒とは別に存在する人物で、この人の名前がヨハネだったのだろうというものです。この「イエスさまが愛した弟子」の行動を見るとガリラヤ湖の漁師の息子と考えるのは不自然な箇所が多いのです。しかしこの福音書が「ヨハネの福音書」と呼ばれていて、他にも同じ人物が書いたとされる本が新約聖書の中には五冊収録されており、どれもがその記述者をヨハネという人物だとしているので、このヨハネは十二使徒のヨハネとは別人だろうと考えられました。

ヨハネの福音書の書き口は控えめで、「信じる」「愛」「真実」「世界」「光」「闇」「上」「下」「名前」「目撃の証」「罪」「裁き」「永遠のいのち」「栄光」「パン」「水」「時間」などの、象徴的なキーワードが多用されます。イエスさまを信じることがどれほど人を変えて行くのか、それがうかがい知れるような福音書です。結果としてヨハネの福音書は、他の福音書とはまったく異なる救世主イエスさま像を描き出し、人々の心を揺り動かす言葉でつづられた福音書になりました。ヨハネの福音書は、何世紀もの間、クリスチャンの間で最も読まれ愛された福音書です。




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english1982 at 23:30│ヨハネの福音書